起・物語の中

「多分怒られるだろうから、僕が職員室に届けてくるよ」


 一時間半もかかってしまったが、無事に体育祭のポスターを全て剥がし終えた。


「ありがとう。それじゃあ私、昇降口で待ってるね」


 せっかくだからと、彼女と一緒に帰る約束をした。

 初めての彼女との下校。自然と胸が熱くなってくる。


「なるべく、急いでいくよ」


 鳴り響く雨音が心地いい階段を、駆け足で登る。


 職員室に向かう廊下の途中、ふと真っ暗な図書室が目につく。

 いつも照明がついているからか、暗闇の中に本棚がずらりと並ぶ光景がとても新鮮だった。

 窓の方へ目を向ければ、大勢の雨粒がボツボツと窓に衝突していた。

 今にも本に水がかからないかと、無性に心配してしまう。


「こんな時間まで居残り?」

 窓際の椅子から、小柄な女子生徒が話しかけてきた。

 とても落ち着いたダウナーな声。見た目とのギャップのせいか、彼女にどこか危ないミステリアスな印象を覚える。


「まぁ、学級委員長だからね。君は、どうしてこんな時間まで?」


 彼女は読んでいた本を机に置き、椅子から立ち上がった。こちらを覗く小さな顔には表情がなく、何を考えているのか分からない。


「春瀬くんを待ってた」


「僕を?」


「さっき、花月沙奈さんに告白されてたでしょ?」


「もしかして、見てたの?」


 彼女が手をぐっと伸ばし、写真を撮るジェスチャーをした。


「うん。ばっちり」


 そして、ショートボブの髪を揺らしながら、ぱっちりと片目を閉じてウインクをする。


 沙奈とハグをしていた事を思い出す。

 見られていた。その事実を聞いて全身がゾクっと身震いする。


「じゃあ、なんで話しかけたの?」


 自分で喋っておいて驚いた。

 焦りと緊張で呂律があまり回らない。


「ちょっと、焦りすぎだよ」


 初めて彼女を変え笑った。僕を嘲笑うようで、気味が悪い。でも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。


「じらすのも飽きたし、話してあげよっか。とりあえずこっちに来なよ。ほら」


 彼女が隣の椅子を引いて、手招きをする。

 重力に引き寄せられるように、身体が彼女の方へと向かい、スッと椅子に座ってしまった。


「春瀬くん、沙奈さんに告白された時、どう思った?」


「どうって、嬉しかった?」


 素朴というか、当たり前というか、そんな質問をされて、どう答えればいいのか少し戸惑う。


「それって本当?春瀬くん、ホントは沙奈さんのこと嫌いなんじゃないの」


「そ、そんなわけない」


 だって、ずっと今まで好きだったんだ。

 あるわけない。


「じゃあさ、告白の返事をした時、何か胸の中でモヤモヤした何かを感じたりしなかった?」


 核心をつくような質問に、言葉が詰まる。


「その反応からして、感じたんだね、モヤモヤ」


 確かに、あの時感じた。何か、不快感と言うべきか何か腑に落ちないようなモヤモヤ。


「私も感じるんだ、そのモヤモヤ。例えば、早く帰りたいのに、無性に居残りしたくなった時とか」


「それで、僕たちを見たっていうの?」


「そう。何かに都合よく動かされている感じがするの。そこで、考えたの。もしかしたら、この世界は、物語の中の世界じゃないかって」


 無茶苦茶だ。そんなバカな話がある訳ない。

 でも、あの感情を抱いた時のあの不思議な感覚を思い出したら、ない話でもないように思えてしまう。


「そんな話ある訳ないと思ったでしょ?だから、ここで証明してあげる」


 彼女のポーカーフェイスが僕の顔の目の前まで、ぐいっと近づく。

 彼女の柔らかい匂いがほのかに香る。


「春瀬くん、私とキスをして」

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ずっと言いたかった 琴吹ツカサ @kotobuki_58

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