最初の酒の失敗談

沢田和早

最初の酒の失敗談

 前書き

 酒にまつわる失敗は結構やらかしている。後悔するような内容を公開する気はなかったのだが、最初のやらかしに関しては中編の拙作「金沢ひがし茶屋街外れの町家」で若干の脚色を加えて書いてしまっている。すでに公開しているのだからもう一度公開しても問題なかろうということで黒歴史放出祭に参加することにした。なお以前書いた小説中では下宿が現場になっているが実際には研究室である。関係各位の皆様、ご迷惑をお掛けしたこと、再度陳謝する。



 大学生の頃、親元を離れて下宿生活をしていたのだが、家が貧乏だったので仕送りもなく、借金はできれば避けたかったので大学四年間は奨学金を借りなかった。そうなるとバイトで生活費を稼ぐしかない。

 選んだバイトは朝刊配達だ。店員や家庭教師のように他人と対面する必要もなく、ただ新聞を配るという単純作業で金がもらえるのだから、これほどお気楽な仕事はない。


 とは言っても朝二時間ほど働くだけなので収入はたかがしれている。食うのがやっとで酒などというぜいたく品を購入する余裕はない。たまに開かれる学部や学科の飲み会などは全て不参加だ。下宿生活を始めてから四年生になるまで酒を飲む機会はなかった。


 四年生になって研究室に配属された。気合いの入った研究室で夕食後も実験が続く。そしてその日の作業が終了すると「今日も一日ご苦労さん」ということで酒を飲むのがその研究室の通例となっていた。

 酒は学生が持ち込んだもので、大衆酒の外にもナポレオンとかマッカランとか、こんな歳になった今でもおいそれとは飲めない酒も置かれていた。もちろんただである。ただならば飲まねば損である。ということで毎晩付き合った。


「へえ~、酒って意外においしいものなんだな」


 と思った。高級酒なのでうまいのは当たり前である。


 そんな感じで最終学年の一年間はあっと言う間に過ぎ去った。卒業後の進路も決まり後は卒論を仕上げるだけという頃、学科の同期生たちによる飲み会が企画された。


「最後くらいは参加しておくか」


 そう思ったのは他人と一緒に酒を飲む楽しさを知ってしまったこともあるが、一番大きな要因は経済的状況がかなり改善されていたことだ。大学四年間、春、夏、冬の長期休暇はせっせとバイトに励んでいた。そのおかげで貯蓄できるほどの財を成していたのである。


「あ~、飲み過ぎた」


 飲み会ではかなり飲んだ。昔の話なので記憶があいまいだが飲み放題だったのかもしれない。遊園地のフリーパスと同じ感覚で飲みまくっていた気がする。体がだるいし眠い。下宿まで徒歩で三十分。途方もなく遠い距離に感じられた。しかもその数時間後には朝刊配達に行かねばならないのだ。


「研究室で仮眠してから配達に行くか」


 それはこれまでも時々実行していたことだった。下宿より大学のほうが新聞販売所に近く通勤時間も半分以下になる。論文作成に追われて泊まり込みが続いている院生も、いつものことかと見て見ぬふりをしてくれたので研究室のソファで横になった。


 朝四時、目覚ましの音に起こされて新聞販売所へ向かった。


「おはようございます」


 挨拶をして中へ入る。「おはよう」と声が返ってくるがどことなくよそよそしい。昨晩は風呂にも入らず、今朝は顔を洗わず、髪はボウボウ、着の身着のままで来たのだから仕方ないかと思いながら支度を整え配達に出た。

 いつものように一軒一軒歩いて配達していると気分が悪くなってきた。二日酔いは初めての経験だ。


「やっぱり飲み過ぎたな」


 後悔先に立たずである。体を動かしていれば具合も良くなるだろうと配達を続けたが逆に気分は悪くなるばかりだ。我慢できなくなったので配達を中断し近くにある公園のトイレで吐いた。酒を飲んで吐くのも初めての経験だ。


「おかしいな」


 昨晩は酒だけでなく料理も食べた。吐けば当然それらも出て来るはずなのだが、どういうわけか液体しか出て来ない。


「もう消化されたのか。胃ってすごいな」


 などと思いつつ配達を終え、大学の研究室に戻った私を待っていたのは驚愕の光景だった。昨晩、仮眠をとっていたソファがゲロまみれになっていたのである。


「いったい誰がこんなことを……」


 言葉を失って立ち尽くしていると院生に声を掛けられた。


「バイトお疲れ。ところで大丈夫? 吐くまで飲ませるなんてひどいね」

「えっ?」


 まるで吐いたのは私だと言わんばかりの口振りである。とんでもない濡れ衣だ。吐いた記憶などまったくないのだから。これをやったのは自分ではない、他の学生の仕業に違いない、そう思いながら髪の毛を触るとゴワゴワしている。何かこびりついている。手に取って見てみるとチーズのカケラだ。どことなく酸っぱい臭いも漂っている。


「ま、まさか本当にボクが吐いたのか」


 とても信じられなかった。しかしそう考えざるを得ない事実ばかりが思い浮かぶ。販売所の配達員たちのまるで汚物でも見るような目付き。液体しか出て来なかった嘔吐。髪にこびりついた未消化のチーズ。全てが嘔吐の犯人は私であることを示している。


「すみません、片付けます」


 バケツと雑巾と洗剤を研究室に運び込み、せっせとソファを掃除した。教授も他の学生も笑って許してくれたが、穴があったら入りたくなるくらい恥ずかしかった。後に院生から聞いた話によると、ゲロの海に顔を突っ込んで寝ていたらしい。窒息死しなかっただけでも儲けものである。


 以上が私がやらかした最初の酒の失敗だ。その後も失敗が続いたので社会人になってからしばらくは禁酒していた。

 最近は酒を飲まない若者が増えていると聞く。大変喜ばしいことだと思う。酒は嗜好品というよりはむしろ薬品に近い。用法用量をきちんと守って正しく摂取したいものである。













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