漁父四時詞

高麗楼*鶏林書笈

第1話

前の川に霧が晴れ

後の山に日が差して

夜の水は引いて行き

昼の水が寄せて来る

川辺の村の花々が日に照らされて綺麗だ


「だいぶ上手くなったな」

 琴を置きながら孤山先生が言うと

「恐れ入ります」

と侍女が応じた。自作の時調(朝鮮の韻文、日本の短歌に相応⁉)を歌わせているのだが、彼女は妓女ではない。胡乱で家族を失った庶民の娘で、彼が引き取り侍女にしたのだった。

「この島の春の景色は本当に趣き深いですね」

と続けた。

「ああ、それゆえ、詩が次から次へとと浮かんでくるのじゃ。初めてこの島を見た時、一目で気に入ったよ」

 孤山尹善道がこの甫吉島を見つけたのは偶然だった。

 先の戦乱に敗北し朝廷が降伏したことを知った時、彼は失望し宮仕えを辞した。そして、隠棲しようと済州島に向かったのだが、その途中でこの島を発見したのだった。

 海上に浮かぶ深い緑色に心惹かれた孤山は、近付き上陸してみた。

形の良い松や珍しい形の洞窟等々、趣き深い風景が点在していた。

 彼は、済州島ではなく、この島に隠棲することに決めた。

 彼は、使用人たちを呼び寄せ、さっそく、住居や亭を作った。

 そして、読書や詩作、琴を奏しながら日々を送った。

 時々、友人が訪ねて来たり、また、教えを請いに若手士人がやって来たりもした。

 文字通りの悠々自適な生活だった。


天気が暖かくなり

水面に魚影が浮かぶ

カモメが二つ三つ

行き交っている

釣竿を手にして酒瓶を載せて行こう


 孤山自らが琴を弾きながら詠じると

「今日は海釣りにいらっしゃるのでしょうか」

と侍女は問いかける。

「そうだな」

 彼女はさっそく支度を始めた。

 釣竿と酒瓶を手にした主人は海辺へと向かった。

 

 舟に揺られながら眺める風景は面白かった。

 前の山が後にいったり、村の家々の間に見える緑の木々も目新しく感じる。

 釣り糸を垂れながら、去りし日を思う。

 科挙に合格し、民のため、国のために尽くそうと努めたが、朝廷内の力関係で上手くいかず、鬱憤が溜まるばかりだった。

 結局、自分一人が、足掻いたところで何も進まず、何一つ解決しないのだ。

 しがらみから逃れ、佳き景色の中に身を置いた今は、もう、何も望むことも羨むこともなかった。

 日が西に傾きかけた。そろそろ帰らねば。


「お帰りなさいませ」

 家に着くといつものように侍女が出迎える。

「都からお客様がお見えです」

 彼女の言葉に孤山は 

「都に戻らねばならないようだな」

 孤山が呟いた。

「もう二度と出仕なさらないと仰っていたではありませんか」

と侍女が応じると

「ああ、桃源郷のようなこの地から離れ難いのだが…」

 士大夫である自分は、やはり民や国のために尽くさなくてはならない身の上なのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

漁父四時詞 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ