第10話 ミーコ、大人になる。

 冬が過ぎ、俺は、入学試験を受けた。

エスカレーター式に入学できるとはいえ、獣医学部に入れなければ意味がない。

テストの点数次第によっては、入れないこともあり得るからだ。

それでも、やるだけのことはやった。自分の机で勉強しているときも、

ミーコは、俺の膝に乗ってきた。ミーコの背中を撫でていると、なぜか、勉強がはかどる。勉強している間は、ミーコは、おとなしくしていた。

だから、勉強が終わった後は、思いっきり遊んでやった。

ミーコが好きな、ネコじゃらしやボール遊びだ。今日もミーコは、元気いっぱいだ。

ネコになったとはいえ、元に戻っただけで、決して、寂しいとは思わない。

 人間だった時のミーコの話は、家族の間でも話さなくなった。

ミーコのことは、以前より家族で可愛がった。ミーコも、俺たちに甘えてくる。

寝るときは、毎晩いっしょだった。ミーコの背中を撫でながら寝ると、ぐっすり眠れた。

 そして、待望の合格発表の日がやってきた。

その日は、もうすぐ春だというのに、季節外れの雪が降っていた。

俺は、大学に行くと、合格発表の掲示板を探した。

受験生がたくさんいる中をかき分けるようにして、掲示板の前に出る。

俺の受験番号は、315だ。読みようによっては、ミーコと読めなくもない。

 俺は、目を皿のようにして自分の番号を探した。

心臓がドキドキ言って、口から飛び出しそうな気分だった。

こんなに緊張したのは、いつ以来だろう・・・

「あった!」

 俺は、受験番号と掲示板の番号を何度も確認した。

「よし、やったぞ。ミーコ、やったぞ」

 俺は、心の中でガッツポーズをした。自然とミーコの名前を呼んでいた。

なぜか、俺の頬には、熱い涙が流れていた。

「ミーコ、お前のおかげだ。ありがとうな」

 俺は、雪が降る空に向かって、そう叫んだ。

その後、入学案内のパンフレットをもらって、急いで帰宅した。

雪が降る中、傘も刺さずに自然と早足になっていた。

 そう言えば、初めてミーコと会ったのも、雪の日だったなと思い返した。

だから、一番先に知らせるのは、もちろんミーコだ。合格できたのは、ミーコのおかげと俺は信じている。

「ただいま」

「お帰りなさい」

「母さん、ミーコは?」

「あっちにいるわよ」

 今日は、外が雪なので、ミーコは、リビングのヒーターの前で丸くなっていた。

「ミーコ、やったぞ。ありがとうな。ミーコのおかげだ。ホントに、ありがとう」

 俺は、ミーコを抱き上げて思いきり抱き締めた。

「ニャ~ン」

 いきなり抱きしめられたミーコは、意味がわからず、一声鳴くと、俺の腕の中から、スルっと抜け出した。

「合格したの?」

「ほら、これ」

 俺は、入学案内のパンフレットを母さんに見せた。

「おめでとう。よかったわね」

 俺は、母さんの喜ぶ顔が見られて、うれしかった。

すると、部屋からメグミが出てきた。

「お兄ちゃん、どうだった?」

「合格だよ」

「よかったじゃん。おめでとう」

「ありがとう」

「パパには、教えたの?」

「さっき、メールしたよ」

 仕事中の父さんには、メールで教えておいた。

「それじゃ、今夜は、お祝いね」

 母さんは、そう言うと、夕飯の支度を始めた。

そんな俺たちを見ながら、大きなあくびをして、ヒーターの前で丸くなっているミーコだった。


 父さんが帰宅して、合格祝いの夕飯が始まった。

今夜は、すき焼きだ。ウチでは、なぜか、いいことがあった時は、いつもすき焼きだった。

「それじゃ、ケイタ、大学合格、おめでとう」

「ありがとう」

「でもな、これからが大変だぞ。一年生は、実験とか研修とか、忙しくてバイトなんてやってる暇はないからな」

 さすが、経験者の父さんの言うことは、説得力がある。

それでも、今日ばかりは、うれしかった。後は、卒業式を待つばかりだ。

 この日は、ミーコのご飯も特別で、ネコ缶に肉を湯がいて食べさせた。

「ミーコもありがとな。今夜は、御馳走だぞ」

 そう言って、ミーコの前にお皿を置くと、ウニャウニャ言いながらおいしそうに肉を食べ始めた。

それからは、あっという間だった。卒業式を終えて、無事に高校生活が終わった。

入学式まで、短い春休みって感じだった。入学の準備をしながらも、俺は、ミーコと毎日遊んだ。

ミーコは、平日の昼間なのに、俺が家にいることが不思議に思いながらも、俺とボール遊びに夢中だった。

 気分転換に散歩に行った時のことだった。

タバコ屋の前を通った時、店番のおばあさんの膝の上で寝ている、白ネコと目が合った。

この白ネコは、猫又で、化け猫なのだ。そのことは、俺しか知らない。

だけど、俺には、もう、ネコの言葉が聞こえなかった。ミーコがネコに戻ったからなのだろう。

ノラネコたちとも、すれ違うだけで、俺にはネコの言葉が聞こえてこない。

それが、なんだか寂しかった。ミーコやネコたちと遊んだり、話したりしたことが懐かしく思った。

 そう言えば、前に、白ネコに言われた言葉を思い出した。

『ミーコの願いをかなえてやれ』。その言葉を不意に思い出した。

そして、今になって、その意味が分かった気がした。白ネコは、ミーコがネコに戻ることを知っていた。

だから、戻る前に、俺にミーコの夢をかなえるように言ったんだ。

 俺は、タバコ屋の前を通り過ぎるとき、白ネコに心の中で『ありがとう』とつぶやいた。


 そして、月日は流れて、春が来て、いよいよ明日は、入学式だ。

大学生としての一歩が始まる。今日は、日曜日だ。明日からは、忙しくなる。

今日は、たくさんミーコと遊んでやろうと思った。

「ミーコ、俺な、明日から、大学生になるんだぞ」

「ニャ~ン」

「明日からは、あまり遊んでやる時間がないけど、ごめんな」

「ニャ~ン」

「ミーコは、いい子だな」

 俺は、ミーコにたくさん話しかけた。

もちろん、その日の夜も、ミーコと寝る。明日起きたら、俺は、大学生だ。

「明日から、がんばるからな」

 俺は、ふとんの中で丸くなっているミーコを撫でながら話しかけて目を閉じた。


翌朝、俺は、なにか違和感を感じて目が覚めた。

そして、驚いた。目の前に、知らない女の人が寝ていたのだ。

俺は、言葉を失って、ビックリしていると、ふとんの中にいる女の人が、寝返りを打った。その時、裸の胸が見えて、二度ビックリして、ベッドから転がり落ちた。

「だ、だ、誰、この人・・・」

 俺は、腰を抜かして驚いていると、メグミが部屋に怒鳴り込んできた。

「お兄ちゃん、うるさい。朝から、何やってるの!」

「ア、ア、アレ・・・」

「なによ?」

 俺は、腰を抜かしたまま、指を刺しているベッドの先をメグミが覗き込んだ。

「キャッ! 誰、この人?」

「し、知らない・・・」

「知らないじゃないでしょ。この人、裸よ。お兄ちゃんの、変態、エッチ。

パパ、ママ、お兄ちゃんが大変」

 メグミが誤解をしたまま、階段を下りて行った。

「どうした、ケイタ?」

「朝から、何を騒いでいるの?」

 父さんと母さんも部屋に入ってきた。

「お兄ちゃんが、裸の女と寝てるの」

「なんだって!」

「ケイタ、どういうことなの?」

「イヤ、知らないって・・・」

 情けないことに、まだ、腰を抜かして立てない俺だった。

すると、俺たちの騒ぎに目を覚ました裸の女の人が、ふとんを跳ね除けて大きく伸びをした。

「ちょ、ちょっと」

 裸の胸が丸見えになって、メグミが慌ててふとんで体を隠した。

そして、裸の女は、俺たちを見渡し、最後に俺を見ると、ふとんを跳ね飛ばして俺に抱きついてきた。

「ごしゅじんさまぁ、また、あえたニャ」

「えーーーっ!」

「あたい、ミーコニャ。おおきくなったニャ」

「な、な、な、なんだって・・・」

 この日の朝は、それからというもの、大騒ぎだった。


 キッチンのテーブルに四人が揃って座っている。

裸の彼女は、とりあえず、メグミの服を着せて、立っている。

「それじゃ、あなたは、ミーコちゃんなの?」

「そうニャ。おおきくなったニャ」

 父さんも母さんも、もちろんメグミも俺も、言葉が出てこない。

なぜなら、目の前の女の人が、あのミーコとは、まったく似てないのだ。

 あの時のミーコは、四歳くらいの小さな子供だった。

しかし、今、目の前にいるのは、メグミと同じくらいの身長で、髪も背中まで伸びて、胸も出ているし、お尻だって年相応に発達している。

推定年齢は、たぶん、16歳~18歳くらいだろうか?

俺と同じくらいの背丈なのもそうだが、なにより、美人で可愛い女の子に成長しているのだ。もはや、子供ではなく、立派な大人に見えた。

「あたい、おとなになったニャ。だから、ごしゅじんさまのおよめさんになれるニャ」

 そう言って、嬉しそうに俺に抱きついてくる。胸の膨らみが俺の腕に当たって、ドキドキする。

「ちょ、ちょっと待ちなさい。話は、また、後で聞くから、とにかく、今日は、入学式が優先だ。ケイタは、早く準備しなさい。母さんも着替えなさい」

「そ、そうね」

「ミーコ、とにかく、話は、帰ってから聞くから」

「どこにいくニャ?」

「今日は、大学の入学式があるんだ。これから、行くんだよ」

「それなら、あたいもいくニャ」

「イヤ、それは、ちょっと無理」

「イヤニャ、あたいもいきたいニャ。ごしゅじんさまといっしょがいいニャ」

「ごめん。それだけは、ちょっと無理なんだ」

「いっしょがいいニャ」

「あの、ミーコちゃん。あたしと待ってましょ。ねぇ、ほら、ボールで遊んで待ってようよ」

「ウニュ・・・」

 メグミのナイスフォローだ。

「ほら、ミーコちゃん。ボールよ、ボール」

「ウニャ! あたい、メグミちゃんとあそんでいいこでまってるニャ」

 よかった。とりあえず、ホッとした。

「メグミ、ありがとな。後、頼むぞ」

「いいから、早く行ってきてよ。パパもママも、急いで着替えて」

 俺は、メグミにお礼を言って、部屋に戻って着替えた。

その後、父さんと母さんと入学式に向かうことになった。

「ねぇ、父さん、あの子、ホントにミーコかな?」

「今は、何も考えるな。入学式のことだけを考えろ」

「うん」

 父さんにそう言われても、俺の頭の中は、パニック状態だった。

ある日突然、飼いネコが人間の子供になったと思ったら、また、ネコに戻った。

そして、また、人間の女の子になった。しかも、今度は、立派な大人の女性だ。

あの頃のミーコとは、別人に見える。子供と大人の違いもあるし、何より美人過ぎるのだ。あの頃のような子供ではないだけに、どう接したらいいのかわからない。

頭の中は、こんごがらがって、入学式どころではないのが、正直な気持ちだ。

 入学式が始まっても、正直言って、それどころじゃなかった。

校長の話やこれからのことなど、説明があっても、なにも頭に入ってこなかった。

とにかく、早く帰りたかった。それしか思っていなかった。

 入学式が終わり、新一年生は、それぞれの学部の教室に入り、先生から話が合った。父さんたちは、一足先に帰宅していたので、俺も早く帰りたかった。

 やっと、説明が終わり、新入生の入学祝があったけど、俺は、抜け出して急いで帰宅した。

「ただいま、ミーコは?」

「おかえりにゃ、ごしゅじんさま」

 俺が言うより先に、ミーコが部屋から飛び出してきた。

「ミ、ミーコ、その恰好・・・」

「メグミちゃんのおようふくをかりたニャ」

 ミーコは、シャツと赤いスカートを履いていた。

「どう、似合うでしょ。とりあえず、あたしの服を着せたのよ」

 俺は、今のミーコを見惚れてしまって声が出ない。

「ミーコちゃん、見せてあげなさい」

 そう言われたミーコは、クルッと後ろを向いた。

「あっ、それって・・・」

「可愛いでしょ。赤いリボンの復活よ」

 背中まで伸びた長い髪を一つにまとめて、赤いリボンが付いていた。

あの頃のミーコを思い出す。

「お兄ちゃん、黙ってないで、何とか言ったら?」

「か、可愛いよ。とても似合ってる」

「ウニャ、うれしいニャ」

 ミーコは、飛び上がって喜んだ。長い髪が上下に揺れる。ついでに、大きな胸も揺れて目のやり場に困る。

「お兄ちゃん、どこ見てるの?」

「えっ、どこも見てないって・・・」

 俺は、目を逸らしながら言った。

「顔、赤いよ」

 メグミは、そう言って笑った。

先に帰っていた父さんたちが言った。

「ケイタが来る前に、ミーコのことを調べてみたけど、この子は、間違いなく、ミーコだった」

 そうなんだ・・・ やっぱり、ミーコなんだ。それにしても、急に大人になるとは思わなかった。

「それにしても、急に大きくなって、大人になって、とっても美人になったわね」

 母さんが感心しながら言った。それは、大いに同意できる。

「それにしても、どうして、急に人間になったんだ? それも、大人の女なんて、急に成長したから、ビックリしたぞ」

「あのね、きのう、ゆめのなかにかみさまがでてきたから、おねがいした二ャ。もういちど、にんげんにしてくださいっていったニャ。

おとなになって、ごしゅじんさまのおよめさんになりたいっておねがいしたニャ」

「それで、朝起きたら、大人になっていたってことか」

「そうニャ。あたい、うれしいニャ。また、ごしゅじんさまにあえて、うれしいニャ」

 ミーコは、そう言って、俺の腕に抱きついてきた。

「もう、大変だったのよ。お兄ちゃんが帰ってくるまで、ミーコちゃんは、ずっと待ってたんだから」

「えへへ・・・」

 メグミが呆れて言うと、ミーコは、可愛らしく笑って見せた。

「とにかくだ。ミーコが、戻ったなら、それはそれでいい」

 父さんもうれしそうに言った。

「それじゃ、ミーコちゃんの服を買ってこなきゃね」

 母さんが言うので、早速、買い物に行くことになった。

それからは、大忙しだった。子供服でもドキドキするのに、今度は、大人の女性物の服を買うのだ。

特に下着売り場は、ものすごく恥ずかしかった。メグミがいっしょにきてくれて、ホントに助かった。

大人の女となったら、当然のように、下着だって、買わなきゃいけない。

男の俺としては、居たたまれない。それと、ミーコ用の椅子も買ってこないといけない。もう、子供用の椅子ではサイズが違うので座れない。

 そんなこんなで、両手一杯に服などを買って帰った。

大変だけど、俺は楽しかった。あの頃を思い出すと、自然とにやけてしまう。

 子供だったミーコと子供服を買いに行った時のことが、昨日のことのように思い出す。改めて、五人でテーブルに並んで座った。

「パパさん、ママさん、あたいをごしゅじんさまのおよめさんにしてほしいニャ」

 ミーコは、そう言って、丁寧に頭を下げた。

「お兄ちゃん、どうするの? 何度も言うけど、ミーコちゃんを泣かせたら、兄妹の縁を切るからね」

「わかってるよ」

 俺は、メグミが言うのにそう返すのが精一杯だった。

「ミーコの気持ちはわかった。だけどな、今すぐというわけにはいかない」

「どうしてニャ」

「ミーコは、大人になったとはいえ、まだ、ホントの大人になったわけじゃない。

それに、ケイタは、大学生になったばかりなんだ。だから、もう少し、待ちなさい」

「まつって、どれくらいニャ?」

「ケイタが大学を卒業して、ちゃんと獣医の資格を取ったら、二人の結婚を認めようじゃないか」

「そうね。それがいいわね。どうかしら、ミーコちゃん。もう少し、待てる?」

「まつニャ。あたい、いつまでもまつニャ」

 ミーコは、ハッキリと言った。しかも、即答だ。

俺は、なんて言ったらいいんだろう・・・

「でもさ、また、ネコに戻ったりしないのか?」

 俺は、当然の疑問を口にした。

「う~ン、それは、わからない二ャ。でも、だいじょうぶニャ。そのときは、また、かみさまにおねがいして、にんげんにしてもらうニャ」

「よし、決まった。ケイタ、お前は、どうする?」

「俺は・・・ それでも、いいけど・・・」

「ハッキリしなさい」

「だって、ミーコは、俺の花嫁だろ。がんばって、ちゃんと卒業して、獣医になるから。それまで、待ってくれ」

「うれしいニャ。ごしゅじんさま、だいすきニャ」

 ミーコは、そう言って、俺に抱きいてきた。

「見ちゃいられないわね。まだ、結婚前から、これじゃ、先が思いやられるわ。あたしも早く彼氏を作らなきゃ」

 メグミは、呆れて笑った。そして、この日の夕飯は、ミーコの好きなから揚げだった。母さんが久しぶりに作ってくれた。たった二ヶ月の短い間だったけど、ミーコがこうして戻ってくるとやっぱり、家の中が明るくなる。母さんもうれしそうに夕食を作っている。

なぜか、その横で、エプロンを付けたミーコが手伝っているのを見ると、なんだか気恥ずかしくなった。

「お兄ちゃん、鼻の下が伸びてるわよ」

「バ、バカ・・・」

 メグミにからかわれる始末だった。それでも、悪い気がしないのは、なぜだろう。

大人になったミーコは、きれいで美人だった。正直言って、俺にはもったいない。

ミーコは、俺のどこが好きになったんだろうと、今でも不思議に思う。

 この日の夕食は、久しぶりに賑やかだった。笑い声が絶えない夕飯になった。

「ママさんのからあげをたべるのは、ひさしぶりニャ」

「そうね。たくさん食べてね」

「いただきますニャ」

 そう言うと、箸を上手に使って、から揚げをつまむと口に入れた。

「ウニャウニャ・・・ おいしいニャ。あたい、からあげ、だいすきニャ」

 そうだ。そうやって、ウニャウニャ言いながら食べるのを見ると、俺は、うれしくて泣きそうになった。

「お兄ちゃん、もしかして、泣いてる?」

「なにを言ってんだ。そんなわけないだろ」

 俺は、メグミに強がって見せたけど、ホントは、泣きたいくらいうれしかった。

これからは、ミーコのために、大学もがんばらなきゃいけない。しっかり勉強して、資格を取るんだ。

「ところでさ、これから、ミーコちゃんは、どこで寝るの?」

 メグミがそんなことを言った。

「そうねぇ・・・ あの頃のような子供じゃないし、ケイタと寝るわけにはいかないわよね」

「ウニャ! あたいは、ごしゅじんさまとねるニャ」

 ミーコは、そう言って、思わず立ち上がった。

「そうは言っても、もう、ミーコも大人だし、ケイタと寝るのはなぁ・・・」

「いやニャ。あたいは、ごしゅじんさまとねたいニャ」

 そう言うと、ミーコは、ボロボロ泣き出した。

「ミ、ミーコ、あのな・・・」

「イヤニャ、あたいは、ごしゅじんさまとねるニャ」

 そんなミーコを見て、どうしていいかわからない。

「わかった。その代わり、ケイタは、間違っても、変なことするなよ」

「えっ! そんなことするわけないだろ」

「どうかしら。ミーコちゃん、美人だもんね」

「しないよ、そんなこと。するわけないだろ」

「ミーコちゃん、よかったわね」

 メグミは、どっちの味方なのかわからない。それでも、ミーコは、涙を拭いて喜んだ。

「うれしいニャ。これからも、ごしゅじんさまとねられるニャ」

 そう言って、俺の腕に抱きついて頬ずりをしてくる。こんな仕草は、ネコのまんまで、変わっていない。

「さぁ、ご飯を食べましょう。から揚げが冷めちゃうわよ」

「ウニャ、たべるニャ」

 ミーコは、そう言って、また、から揚げにかぶりついた。

食事が終わると、メグミは、ミーコを誘って久しぶりに二人で風呂に入った。

浴室からは、楽しそうな声が聞こえてきた。ホントにあの頃を思い出す。

「父さん、ホントに、ミーコは、もう、あのまんまなのかな? また、ネコに戻ったりしないのかな?」

「さぁな。それは、父さんにもわからん」

「でもさ、ホントに、ミーコは、俺と結婚するつもりなのかな?」

「どうかな。どっちにしても、卒業するまでは、結婚はさせない。その間に、心変わりするかもしれないだろ」

「しなかったら?」

「その時は、ちゃんと責任を取るしかないだろうな。でも、あんないい子は、他にいないぞ」

「そうよ。可愛くて、頭もよくて、ケイタには、もったいないくらいよ」

 母さんまでなんてことを言うんだ。でも、言われるまでもなく、俺は、責任は取るつもりだった。

「とにかくだ。ケイタは、しっかり勉強しなさい。それが最優先だ。留年は、許さんからな」

 父さんにきつく言われると、背筋が伸びる思いがした。

「ママ、ミーコちゃん、上がるわよ」

 風呂場からメグミの声が聞こえる。

母さんがバスタオルを持って風呂場に行く。でも、すぐに帰ってきた。

「ミーコちゃんね、もう、大人だから、自分でできるって。ケイタ、卒業するまで、ミーコちゃんに手を付けたら、承知しないからね」

 母さんにまで釘を刺されて、冷や汗が出る思いだった。

バスタオル姿で戻ってきた湯上りのミーコを見て、俺は、正直に目のやり場に困った。

「ごしゅじんさま、おふろは、きもちいいニャ。こんど、ごしゅじんさまと、はいりたいニャ」

 意味もわからずそう言ったミーコは、階段を上がっていった。

俺は、思わず飲みかけたお茶を吹きそうになった。

それを見て、母さんが笑っている。これから先が思いやられそうだ。

 その日の夜、ミーコの言う通り、俺はミーコと寝ることになった。

あの頃と違って、成長したミーコと俺とでは、ベッドが狭く感じる。

当然のように、体を密着させないと寝られない。

「がんばってね、お兄ちゃん」

「なにをがんばるんだよ」

「ミーコちゃん、オッパイ、あたしより大きいわよ」

 そう言って、意味深に笑いながらメグミは、部屋に入っていった。

そんなことを言うので、俺は、妙に意識してしまう。

なのに、ミーコは、嬉しそうに俺の胸に顔を乗せている。

「ごしゅじんさま、いつも、あたいにやさしくしてくれて、ありがとニャ」

「なにを言ってんだよ。当たり前だろ」

「これからは、ずっと、ごしゅじんさまといっしょにャ」

「そうだな。ずっと、いっしょだな」

「あたい、ごしゅじんさまのこと、だいすきニャ」

「俺も好きだよ」

「うれしいニャ」

「それじゃ、もう寝なさい。それとも、絵本でも読もうか?」

「ウニャ、あたいは、もう、おとな二ャ」

 そういって、頬っぺたをブクッと膨らませた。その顔も、また可愛い。

「そうだな。ミーコは、大人だもんな」

「ごしゅじんさま、おやすみニャ」

「おやすみ」

 そう言って、久しぶりのミーコと寝た夜だった。

ミーコは、すぐに小さな寝息を立て始めた。でも、やっぱり、俺は、なかなか寝付けなかった。

ミーコの可愛い寝顔と無防備な姿を見ると、とてもじゃないが、手を出すなど出来るわけがなかった。せいぜい、肩を抱いて引き寄せるくらいだった。

「ミーコ、おやすみ。愛してるよ」

 俺は、寝ているミーコにそう言って、おでこに優しくキスをした。

すると、どうしたことか、ミーコの体がみるみる縮んで、元のネコになってしまった。

「ウソッ!」

 思わずそう言って、ミーコを起こした。でも、ミーコは、起きることなく、眠ったままだった。

「マジかよ。せっかく、人間に戻ったのに、また、ネコになるのかよ」

 俺は、悲しくなって、胸が締め付けられた。悔しくて悔しくて、たまらなくなった。涙が溢れてきた。俺が、キスなんてしたから、ネコになってしまったのかと思うと、後悔で胸が一杯になった。

どうしたら、人間に戻れるんだろう? もしかして、また、キスをすれば・・・

イヤ、そんなことはない。もしかしたら、これは、夢だ。夢なんだ。

人間に戻ったミーコが、また、ネコに戻るなんて、それも、俺がキスをしたばかりにこんなことになるなんてきっと夢だ。夢に違いない。

俺は、そう思いながら、目を閉じた。

明日起きたら、きっと、隣に人間のミーコがいるはずだ。絶対そうだ。そうに決まってる。俺は、そう思って寝ることにした。夢だ、夢だ、これは、夢だ・・・



 翌朝、目が覚めると、隣にミーコがいなかった。

俺は、一瞬にして目が覚めると、ふとんを跳ね除けて、階段を駆け下りて一階に降りた。

「ミーコ!」

 俺は、ミーコの名前を呼んだ。

「ごしゅじんさま、おはようニャ」

 すると、何のことはない、母さんの隣で朝食の用意をしてた。

人間の姿で、成長した大人の女性の姿だった。

俺は、ホッとして、力が抜けたのか、椅子にドカッと座った。

「ケイタ、なにしてるの。いつまで寝てるの。顔を洗ってらっしゃい。もうすぐ、ご飯よ」

 母さんに言われて、洗面所に向かった。そして、顔を洗って、鏡を見ながら思った。

「やっぱり、夢だったんだ。ネコに戻るはずがないからな。アレは、夢なんだ」

 俺は、さっぱりした顔で、テーブルに戻って朝食を食べることにした。

いつものように、俺とメグミの間に座ってミーコは、同じご飯を食べる。

大人になっても、ウニャウニャ言いながら食べるのは、昔と変わらない。

おいしそうに食事をしているミーコを見れば、やっぱり、昨夜のことは夢だったんだなと思った。

 食事の後、俺は、ミーコを連れて散歩に行った。

久しぶりに人間の姿で歩くミーコは、目線の高さに驚いていた。

「ごしゅじんさまとおさんぽは、たのしいニャ」

 そう言って、腕を組んできた。ミーコは、俺から見ても美人だと思う。

それだけに、すれ違う人たちの視線が痛い。俺よりも、ミーコに視線が集中してるが

肝心のミーコは、まったく意に関していない様子で、楽しそうにしていた。

子供の時のような、ニャーニャー鳴くサンダルではなく、ピンクのスニーカーを履いているのは、やっぱり、大人になった自覚なんだろうか?

二人で並んで歩いていると、例の白ネコで、猫又のシロさんが塀の上から話しかけてきた。

「ミーコ、久しぶりだな。ずいぶん大きくなったな」

「ウニャ、シロさんニャ。こんにちはニャ」

「人間、よかったな。また、ミーコに会えて」

「まぁね」

 俺もすっかり、ネコの言葉がわかるようになっていた。

猫又のシロに言われて、少し照れてしまう。

 せっかくだから、シロに昨夜のことを話してみた。

寝ているときに、ネコになってしまう夢を見たことだった。

しかし、シロの返事は、意外なものだった。

「それは、無意識に体というか、本能が身を守るために、ネコになるだけじゃ。目が覚めれば、自然に人間に戻る」

「えっ! マジなの。それじゃ、昨日見たのって、夢じゃなかったの?」

「そういうことじゃ。なにも驚くことじゃない」

「イヤイヤ、驚くだろ。それじゃ、毎晩、ミーコは、ネコになって寝るっていうのかよ?」

「そうじゃ」

 俺は、愕然とした。昨日見たことは、夢じゃなかったのか・・・

俺は、言葉が出てこなかった。ミーコは、そんな俺を、不思議そうに見ている。

「ごしゅじんさま、どうしたニャ?」

 そう言われても、返事に困る。別に、人間の大人になったミーコに、何かしようとか下心はない。ただ、いっしょに寝るだけだ。なのに、身の危険を感じて、ネコになってしまうというのは、俺のことをまだ信用していないということなのか?

 その間に、近所のネコたちがたくさん集まってきた。

成長したミーコが珍しいのか、ネコたちは、しきりに鳴いている。

ミーコも楽しそうにしゃがんで、ネコたちとおしゃべりに夢中になっている。

 がっくりと肩を落とす俺を、シロは笑ってみていた。

「ニャニャニャ、なにをガッカリしておる。さては、寝ているミーコに何かしようとか思っているんじゃなかろうな?」

「な、な、なにを言ってんだよ。そんなことするわけないだろ」

 俺は、つい、剥きになって言い返した。でも、それは、本心だ。ウソじゃない。

寝ているミーコに何かしようなんて、そんな卑劣なことをするつもりはない。

「人間は、常に発情しているからな。頭ではそう思っていても、体と感情は正直だからな」

「俺は、そんな人間じゃないぞ」

「わかってる。だから、ミーコは、お前の嫁になったんじゃないか」

 シロは、落ち着いた声で言った。

「安心せい、人間。正式に、結婚すれば、その呪縛は自然に溶ける。それまでの辛抱じゃよ」

「なんだって!」

「よいか、ミーコは、体は大人でも、まだまだ中身は子供なのじゃ。これから時間をかけて、人間同士の恋愛とか感情とか、教える時間はあるじゃろ。結婚は、それからでも遅くはないはずじゃ」

 確かにシロの言うとおりだ。父さんにも釘を刺されている。ミーコを正式に嫁にするのは、大学を卒業して、獣医師の免許を取ってからだ。

それまでには、まだまだ時間がある。

シロの言うことを信用するなら、少しは安心した。

「わかった。シロさんの言うことを信用するよ」

「わからないことがあれば、いつでも聞いてこい。何でも教えてやるからな。それと、ミーコを可愛がってやるんじゃよ」

「わかってる。そこは、任せて。それじゃ、シロさん、ありがとう」

 俺は、そう言って、ミーコと散歩を再開した。

「ミーコ、行こうか」

「ウニャ、それじゃ、みんな、またニャ」

 ミーコは、ネコたちに手を振りながら、俺と歩き始めた。

「ごしゅじんさま、どうしたニャ?」

「イヤ、何でもない。ミーコ、これからもよろしくな」

「もちろんニャ」

 寝ている間は、ネコに戻っていることをミーコは知らない。

寝ているときは、意識がないから、ネコに戻っている自覚がないのだ。

だけど、きちんと結婚すれば、その時は、人間になったミーコと・・・

 少し複雑だけど、それまでの辛抱だ。隣を歩くミーコを見れば、それくらいどうってことはない。俺は、晴れ晴れとした気分だった。


 それからというもの、俺は、大学に通う忙しい毎日だった。

「ごしゅじんさま、いってらっしゃいニャ」

「ミーコ、行ってくるよ」

 ミーコは、毎朝、玄関の外まで俺を見送りに出てくれる。

「ごしゅじんさま、わすれものニャ」

 俺は、その忘れ物に気が付いた。

「いってらっしゃいニャ。チュッ」

 ミーコは、俺の頬に優しくキスをしてくれた。

これが、毎朝の忘れ物なのだ。そんなことには、まだ慣れてない俺は、毎朝照れながら学校に行った。

その後、ミーコは、父さんの動物病院を手伝うことになった。

何しろ、動物たちと話ができるのだ。病院にやってくる、ペットたちの具合を聞いたり、体調を確かめて、父さんに的確なアドバイスをする。

だから、父さんも治療がやりやすくなった。

元から評判がよかったが、さらに評判がよくなったらしく、遠方からも来る飼い主さんもいた。

 夕方に帰宅すると、母さんと夕飯の手伝いをしながら、俺の帰りを待っていてくれた。得意料理は、もちろん、から揚げだった。ミーコは、大人になった自覚と、俺の嫁になったつもりで家事も母さんに教わりながらやれるようになった。

 それでも、元がネコだけに、猫舌なのは変わらなかった。

また、メグミとは、いい友達関係になって、陸上部で活躍するメグミの練習相手になってくれた。

 俺は、毎日、実験や研修で、勉強することが多くて大変だった。

それでも、俺は、獣医という目標があるので、がんばれた。


「ごしゅじんさま、いってらっしゃいニャ」

「ミーコ、行ってくるよ」

「あたいもあとからいくニャ」

「待ってるよ」

 俺は、今日も、ミーコに見送られて家を出た。

「ごしゅじんさま、わすれものニャ」

 毎朝のルーティーンだ。行ってらっしゃいのキスだ。

大学に通っていたころから続いているので、さすがの俺も慣れた。

ほっぺたに軽くキスをされて、俺は、ミーコに見送られて、動物病院に向かった。

 俺は、無事に大学を卒業して、獣医師の資格も取った。

今は、獣医見習いとして、父さんの動物病院で働いている。

新米獣医師としては、父さんより先に病院に行って、準備をするのが俺の仕事だった。

 時間になると、父さんは、ミーコといっしょに病院に来る。

ミーコは、今も、獣医助手として、俺や父さんを助けてくれる、大事な存在だった。

そして、来週は、いよいよ俺とミーコの結婚式だった。

母さんは、早くも孫が生まれてくるのを楽しみにしている。

だけど、俺とミーコの間に生まれる子供は、どんな子供なのだろう?

 メグミは、大学を卒業して、動物園の新人飼育員として、夢を実現していた。

父さんは、後継ぎができたことを喜びながらも、厳しく俺に指導してくれる。

「若先生、いよいよ来週ですね」

 出勤してきた、受付の女性に言われて、なんだか恥ずかしくなる。

掃除をして、診察室の準備をして、入院中のペットたちに食事を上げて、ゲージを掃除して、準備はできた。

 俺は、病院の外に看板を出して、空を見上げた。

今日も青空だ。一日の始まりを感じる。まさか、ホントにミーコと結婚するとは、最初に出会ったときは夢にも思わなかった。でも、今は、ミーコを愛している。俺のことを思う気持ちは、あの時から変わっていない。

「よし、今日もやるか」

 俺は、そう声を出して、白衣を着た。

今日もがんばらなきゃ。早く一人前の獣医になって、ミーコを喜ばせてやりたい。

「ごしゅじんさまぁ~」

 声がしたので振り向くと、ミーコが手を振りながら父さんとやってきた。

俺の一日が、始まった。




                                   終わり 

 


 

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俺の彼女は、ネコ娘。 山本田口 @cmllaaa

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