第9話 ミーコ、ネコに戻る。

 クリスマスが無事に終わると、今度は、正月だ。

母さんは、正月の準備に大忙しだった。いつもなら、餅を焼いて、雑煮を食べるくらいでおせち料理など、いつの頃からか、作らなくなっていた。

俺もメグミも、友だちと遊んでばかりで、ウチで年末年始を過ごすことも少なくなった。

 だけど、今年は違う。ミーコがいるからだ。初めての年越しと正月をみんなで過ごすのだ。

俺もメグミも、友だちとの付き合いは、控えるようにして、ミーコと遊んでばかりだった。母さんも、久しぶりにおせち料理など、正月に向けた準備をしている。

 年末恒例の大掃除も、今までは満足に手伝わなかったけど、今年はそうもいかない。父さんの指揮で、俺もメグミもがんばった。というより、ミーコが一番張り切っているのだ。俺たちもやらないわけにはいかない。

「ミーコが、一番がんばってるじゃないか。ケイタもメグミもしっかりしてくれよ」

 父さんに、そう言われては、がんばらないわけにいかない。

そんなこんなで、今年は、家中ピカピカになって、新年を迎えることになった。

 大晦日の夜は、母さんの作った年越しそばを食べる。

今年は、ネコ舌のミーコに合わせて、冷たいソバに天ぷらだった。

ミーコは、おいしそうにソバを啜って、天ぷらを食べる。

「ウニャウニャ・・・ おそばは、ながいニャ」

 ミーコの感想は素直だ。思わず笑ってしまう。

その後は、近所の神社に初詣に行く。ミーコは、夜は早いが、今年は、遅くまで起きている。

夜の11時を過ぎたころ、俺たちは、寒くないように着替えて、みんなで初詣に行く。

家族で行くのも、久しぶりだ。中学を過ぎると、家族よりも友だちと行くことのが多くなった。

今年は、家族全員で行く。なんだか、オレもワクワクしてきた。

 神社まで、手を繋いで歩きながら、初詣についてミーコに教えた。

「わかったニャ。ちゃんと、おねがいするニャ」

 ミーコも、いつもと違う夜に、ウキウキしていた。

神社に着くと、すでに町内の人たちがたくさん並んでいた。

こんなにたくさんの人の行列を見て、ミーコは、初めてのことに興奮気味だった。

「寒くないか?」

「だいじょうぶニャ。なんか、たのしそうニャ」

 ミーコは、周りを見ながらニコニコしている。

俺は、ミーコと手を繋いで、迷子にならないように気を付ける。

 そして、除夜の鐘が鳴って、俺たちの順番が来た。

俺たちは、並んで手を合わせて、願い事を言う。

「これからも、ずっと、ごしゅじんさまといられますように、おねがいしますニャ」

 隣にいたミーコが、声を出して言うので、周りの人たちが俺たちを見た。

「お、おい、ミーコ、声は、出さなくていいんだよ」

「ウニャ? でも、かみさまにきこえないニャ」

 ミーコは、そう言って、俺を見上げた。

「確かに、その通りだな」

 父さんが言うので、周りからクスクスと笑い声が聞こえて、恥ずかしくなった俺は、ミーコを連れて、列から離れた。

「ミーコちゃんのお願いは、きっと、神様に届いたわよ」

「ホントニャ?」

「ホントよ」

「うれしいニャ」

 メグミが言うので、ミーコは、嬉しそうに笑った。

参拝に来る人たちがたくさん集まってきたので、俺は、ミーコをおんぶすることにした。

「ひとがいっぱいニャ」

「そうだな。今日は、特別だからな」

 俺は、背中のミーコに話しかけた。

「眠くないか? 眠くなったら、寝てもいいぞ」

「うん。でも、だいじょうぶニャ」

 そう言ったそばから、ミーコは、大きなあくびをした。

そして、ウチに着くころには、寝てしまっていた。

俺は、ミーコを起こさないように、着替えさせてベッドに寝かせた。

スヤスヤ寝ているミーコに、俺は小さな声で話しかける。

「起きたら、正月だからな」

 そう言って、頭を優しく撫でた。


 年が明けた。新年の始まりだ。目が覚めると、ミーコは、すでにベッドにいなかった。

俺は、慌てて一階に降りると、ミーコは母さんと正月料理の準備を手伝っていた。

「ケイタが一番遅いぞ。いつまで寝てるんだ」

 父さんに言われて、恥ずかしくなった。

全員が揃ったところで、新年の挨拶をする。

「それじゃ、みんな揃ったから、改めて。新年、あけましておめでとう。今年もよろしく」

「おめでとうございます」

「今年は、ケイタは、受験だからな。がんばれよ」

 俺は、新年を迎えるとともに、自分の置かれた立場を改めて実感した。

「えっと、おめでとうニャ」

「ハイ、ミーコちゃんも、あけましておめでとうございます」

「これは、父さんと母さんから、お年玉だ。大事に使いなさい」

 そう言って、父さんは、お年玉が入った袋をミーコに渡した。

ミーコは、お年玉と言われても、意味がわからないのか、袋を開けて中を見る。

「ウニャニャ、おかねが入っているニャ」

「それは、ミーコのおこずかいだから、好きに使っていいんだぞ」

「ウニャ、でも、あたいは、ネコだから、おかねはつかえない二ャ」

「そのお金で、食べたいものとか、欲しいものを買っていいのよ」

「ホントニャ?」

「ホントよ」

 すると、ミーコは、俺を見上げてうれしそうな顔をした。

「ごしゅじんさま、ホントにいいニャ?」

「いいんだよ。それは、ミーコのものだから、今度、散歩に行ったときに、それで何か買おう」

「うん。パパさん、ママさん、ありがとうニャ」

 そう言って、ミーコは、嬉しそうに何度もお辞儀を繰り返した。

それを父さんたちは、ニコニコしながら見ている。父さんたちのそんなうれしそうな顔を見たのは久しぶりだ。

「ねぇ、パパ、あたしにはないの?」

「メグミは、高校生になっても、お年玉が欲しいのか?」

「それもそうだけど・・・あたしも欲しいものがあるんだもん」

「しょうがないな」

 そう言いながら、父さんたちは、メグミにもお年玉をくれた。

「これは、ケイタの分だ」

「あ、ありがとう」

 なんだか、この年になって、お年玉をもらうというのは、ちょっと恥ずかしい。

それに、ミーコの前でなんて、御主人様として、威厳がなくなる。

俺は、そんなことを気にしていると、ミーコが言った。

「ごしゅじんさま、あけまして、おめでとうニャ」

「おめでとう。今年もよろしくな」

「もちろんニャ」

 ミーコは、うれしそうに微笑んだ。年の初めから、ミーコのそんな顔を見られて、

今年は、いいことがありそうな気がした。

 その後、テーブルにおせち料理が並んだ。

「久しぶりだな、母さんのおせち料理をたべるのは」

「そうね。久しぶりね。お母さんもがんばったから、たくさん食べてね」

 いつもの椅子に座ったミーコは、目の前のおせち料理を見て、目をキラキラさせている。

「みんな、おいしそうにゃ」

「ミーコちゃん、これは、おせち料理っていうのよ。たくさん食べてね。今、お餅も焼いているから、

お雑煮を食べようね」

「ウニャ、たのしみニャ」

 そう言うと、早速、俺たちは、おせち料理を食べることにした。

「ウニャウニャ・・・どれもおいしいニャ」

 ミーコは、いつものように、ウニャウニャ言いながら食べている。

栗きんとんがお気に入りらしく、ムシャムシャ食べていた。

そのウチ、お雑煮が出来上がった。

「熱いから、フーフーしてから食べろよ」

 俺が言うと、ミーコは、箸でお餅を食べようとして、フーフーする。

しかし、お餅は伸びて息が吹きかけられない。

「ごしゅじんさま、フーフーできない二ャ。おもちは、のびるニャ」

 ミーコには、難しい食べ物かもしれない。

それでも、お椀を手にして、フーフーしている。やっと、少し冷めてきたのか、一口食べる。

「ウニャ、これは、ごはんのあじがするニャ」

 餅は、米からできるから、ご飯の味がするんだろう。

「ムニャムニャ・・・おもちは、おいしいけど、むずかしいニャ」

 そう言いながらも、一生懸命お餅を食べている。餅は伸びるので、ミーコは、箸を器用に使いながら食べていた。

「おもちは、おいしいニャ。あたい、だいすきニャ」

 そう言って、お雑煮もお代わりした。

お腹が一杯になると、外でメグミと羽根つきを始めた。

メグミも羽根つきなんて、小学生の頃にやった以来だ。

二人は、楽しそうに羽根つきをしている。俺は、それを笑ってみていた。

ミーコは、目がいいので、羽根つきもメグミより上手だった。

その後も、三人でトランプをしたり、正月番組を見たり、楽しく過ごした。

こんなに楽しい正月を過ごしたのは、子供のころ以来だった。

 正月休みは、ミーコと正月気分で浮かれている街を散歩したり、駅前広場でやっていた餅つき大会に参加したり楽しく過ごした。

 それでも、あっという間に、正月は過ぎて、三学期が始まった。

俺とメグミは、学校が始まる。まだ、友だちも正月気分が抜けきっていなかった。

俺にとっては、最後の高校生活だ。受験と卒業式など、短い期間でも、それなりに忙しい。

ミーコと遊ぶ時間が短くなって、なんとなくつまらない。

それでも、ミーコは、毎日楽しく過ごしていた。卒業して、大学生になっても、

ミーコと楽しく暮らしていくことを、信じて疑わなかった。

それくらい、俺は、ミーコを好きになっていた。もちろん、愛とか恋とか、異性としてではなく、年の離れた妹みたいに感じて、ミーコをそんな目で見ていた。

でも、ミーコにとっては、俺は、御主人様であり、お嫁さんになったつもりで、相変わらず俺には、べったりだった。

 なのに、ある日突然、ミーコが俺から離れていく事件が起きた。


 三学期も進んで、期末テストも終わり、後は、受験と卒業を控えるだけだった。

俺は、ミーコと遊びながらも、帰宅すると毎日勉強はしていた。

 その日の夜は、ミーコの好きなから揚げとお刺身だった。

「今夜は、ミーコちゃんの好きなから揚げとお刺身よ」

 母さんは、そう言いながら夕飯の支度をしていた。

いつの頃から、土曜日の夜は、から揚げとお刺身が夕飯の定番になっていた。

それは、ミーコの大好物だからだ。

 そして、この日の夕飯の時だった。いつものように、ミーコは、ウニャウニャ言いながら、から揚げを食べていた。

「おいしいニャ。おにくとおさかなは、だいすきニャ」

 そう言って、いつものように夢中になって食べていた。

ところが、俺は、ミーコの様子が違うことに気が付いてしまった。

なぜか、ミーコが泣いていたのだ。

「どうした、ミーコ。から揚げが熱かったか?」

 すると、ミーコは、口をモゴモゴさせながら首を横に振った。

そして、ビックリすることを言った。

「あたい、きょうがさいごニャ。ごしゅじんさまとごはんをたべるのも、こんやが、さいごニャ」

「ハァ? なにを言ってんだ」

「あたい、ネコにもどるニャ。ごしゅじんさまのおよめさんになれたのに、かなしいニャ」

 そう言って、ミーコは、大粒の涙を流していた。俺も家族も、みんな驚いて箸が止まった。

「ミーコちゃん、なにを言ってるの? これからも、みんないっしょよ」

 メグミが言った。でも、ミーコは、涙で一杯の目でメグミを見て言った。

「メグミちゃんのこと、わすれないニャ。あたいは、このウチにひろってもらって、しあわせニャ」

「おいおい、いきなりなにを言ってるんだ。ミーコは、これからも家族の一員だぞ」

 父さんが取りなすように言った。

「きのう、かみさまがゆめにでてきていったニャ。あたいはネコだから、ネコにもどるニャ」

「バ、バカ言うなよ。そんなことないって」

「ごしゅじんさま、あたいをおよめさんにしてくれて、ありがとニャ」

 俺は、それを聞いて、言葉が出てこなかった。なにを言ってるんだ。そんなこと急に言われて、俺は、なんて言えばいいんだ? 

「俺は、そんなこと、信じないから大丈夫だ。そうだ。明日は、日曜日だから、動物園に行くか」

「あたしも行くわ。ミーコちゃん、パンダとか、ライオンとか見たことないでしょ」

「それじゃ、お母さんは、お弁当を作るわね」

「いいか、ミーコ。お前は、もう、我が家の家族なんだ。大丈夫。ネコに戻るなんて言うんじゃない」

「うん、みんな、ありがとニャ」

 俺たちは、必死になって、ミーコを慰める。

「ほら、涙を拭いて。お刺身好きだろ。一杯食べな」

 俺は、そう言って、マグロの刺身をミーコのお皿に取った。

ミーコは、小さな手で涙をぬぐうと、お刺身を口に頬張った。

「ウニャウニャ・・・ おさかな、おいしいニャ」

 ミーコは、笑顔でお刺身を食べる。それでも、涙は止まらなかった。

「あたしのから揚げも食べて」

「メグミちゃん、ありがとニャ。あたい、おにく、だいすきニャ」

 ミーコは、終始泣きながら食べ続けた。ウニャウニャ言いながら、おいしいを連発して、ごはんもお代わりした。

俺たちも楽しく食事をした。なるべくミーコに不安を感じさせないように楽しい雰囲気を作った。

 その後、ミーコは、メグミと風呂に入った。俺は、たまりかねて、父さんに聞いた。

「父さん、さっき、ミーコが言ったことは、ホントかな?」

 父さんは、黙って何も言わなかった。家族のだれもが恐れていたことだった。

いつかミーコは、ネコに戻ってしまう日が来ることを・・・

俺も頭の隅に、いつかそんな日が来るのではと、思っていた。

でも、信じたくなかった。考えたくもなかった。

それでも、いつか、そんな日が来るのではという不安はあった。

 ある日、突然、飼っていたネコが人間になった。理由も原因もわからない。

だからこそ、また、ネコに戻ってしまっても不思議ではない。

「父さん、俺は、信じないから。ミーコは、ずっと、ミーコのまま、人間として、俺たちと暮らすんだよな」

「ケイタ・・・父さんにも、それはわからない」

「なにを言ってんだよ。父さんは、獣医だろ。ミーコのことだって、わかるだろ」

 つい、強い口調で言ってしまってから後悔する。

「ごめんなさい・・・」

「イヤ、いいんだ。ケイタの気持ちはわかる。もちろん、父さんだって、母さんだって、信じてない。

でもな、ミーコが人間になったことだってわからないんだ。だから・・・」

「俺は、信じないから。ミーコは、俺のお嫁さんだろ。勝手にネコに戻るなんて、そんなこと・・・」

「そうね。お母さんも、そう思うわ。明日は、動物園に行くんでしょ。張り切って、お弁当を作るからね」

 母さんは、無理に笑って言った。

「お兄ちゃん、ミーコちゃん、上がるわよ」

 風呂場からメグミの声を聞いて、俺は、バスタオルを持って、ミーコを迎えに行った。風呂場から出てきたミーコをタオルで包んで濡れた身体を拭いてやった。

「お風呂は、楽しかったか?」

「うん、たのしかったニャ。あたい、にんげんになれてよかったニャ」

「バカだな。これからも、ずっと、人間のままだよ」

 俺は、笑顔で言った。心がギュッと締め付けられた思いだった。

パジャマに着替えたミーコは、俺に抱きついて、頬を摺り寄せながら言った。

「こんやもごしゅじんさまとねるニャ」

「そうだな。絵本も読んでやるからな」

「うん、えほんは、おもしろいニャ」

 俺は、ミーコを連れて、二階の部屋に上がった。

「パパさん、ママさん、メグミちゃん、おやすみニャ」

「ハイ、おやすみなさい」

「ミーコちゃん、また、明日ね」

「ケイタ、ミーコをちゃんと寝かせるんだぞ」

 ミーコは、丁寧にお辞儀をすると、俺に付き添って、二階に上がっていく。

俺は、父さんたちの言葉を聞きながら、ミーコと手を繋いで階段を上がった。

 ベッドに上がると、俺は、ミーコに絵本を読んで聞かせた。

大好きな、子ネコの大冒険という絵本だ。今まで、何度も読んでやったので、内容も覚えてしまった。

最初の頃から比べれば、感情的な読み方になって、上手になった気がする。

ミーコも夢中で聞いている。おかしい場面では、笑ったりする。

 俺は、読みながら、今夜は、寝ないでミーコを見ていようと思った。

ミーコがネコに戻るなんて、俺は、信じない。

だけど、もし、そんなことがあったら、全力で止めてみせる。ミーコは、ミーコとして、これからもいっしょに笑って、ご飯を食べて、遊んで、同じベッドで寝るんだ。

「ウニァ~・・・ごしゅじんさま、ねむくなったにゃ」

「それじゃ、寝ようか。明日は、動物園だからな」

「たのしみニャ。ごしゅじんさま、おやすみにゃ」

「はい、おやすみなさい」

 俺は、そう言って、横になったミーコに布団をかけた。

「ムニャムニャ・・・ごしゅじんさま・・・」

 ミーコは、寝ながら、俺のことを呼んだ。

それがたまらなく可愛く、そして、俺の胸を締め付けた。

こんなミーコがネコに戻るなんて、そんなの絶対認めない。

俺は、ミーコの頭を優しく撫でながらそっと抱きしめた。

「ずっと、そばにいるからな」

 俺は、小さな寝息を立てて寝ているミーコに語り掛けた。

でも、それが、ミーコを見た、最後になってしまった。


 翌朝、目が覚めた俺は、ふとんを捲った。しかし、そこには、ミーコの姿はなかった。あったのは、俺が作った赤いチョーカーだった。

俺は、それを手にすると、急いで階段を下りた。

「母さん、ミーコは?」

 一階に降りると、真っ先に聞いた。

「ニャ~ン」

 母さんの足元に、ミーコがいた。

「ミーコ」

「ニャ~ン」

 ネコに戻ったミーコは、俺の足元にすり寄ってくる。

「ミーコ・・・」

 俺は、足元のミーコを抱きしめた。

「ミーコ・・・」

 母さんが涙を啜り上げている。父さんが、それを慰めるように母さんの肩を抱いている。

「お兄ちゃん・・・」

 目を真っ赤にしたメグミが涙を拭きながら現れた。

ネコに戻ってしまったミーコは、どうして俺たちが泣いているのかわからない様子で、いつものように鳴いていた。

「ケイタ、これ・・・」

 母さんが、涙を拭きながら、ミーコの小さな弁当箱を見せた。

今日は、動物園に行く日だ。母さんは、ミーコに弁当を作ると張り切っていた。

俺もメグミもそのつもりだった。そんな日曜日の朝なのだ。

 俺は、何も入っていない、空の弁当箱を手にした。

「開けてみなさい」

 父さんに言われて、俺は、空の弁当箱の蓋を開けた。そこには、メモが入っていた。

「これは?」

「読んでみなさい」

 父さんに言われて、俺は、メモを手にした。

「ママさんへ、いつも、おいしいおべんとう、ありがとニャ。おいしいごはんをごちそうさまにゃ。ミーコ」

「今朝、お弁当を作ろうと思ってみたら、それが入っていたのよ」

 一目でわかるそれは、ミーコが書いたものだった。習いたてのひらがなで書かれていた。

下手だけど、一生懸命書いたことがわかる。ミーコは、こんなものを書いていたのかと思うと、目の奥が熱くなった。

「これは、父さんの机に置いてあったものだ」

 父さんは、折り畳んだ紙を見せてくれた。

開くと、父さんの似顔絵がクレヨンで書いてあった。一目でミーコが書いたものだとわかる。そして、メモもついていた。それを見ると、体が熱くなって、目の奥がジーンときた。

「パパさんへ、あたいのケガをなおしてくれてありがとニャ。あたいをかぞくにしてくれて、うれしかったニャ。ミーコ」

 これは、父さんに書いたものだった。俺は、足元にすり寄るミーコを見下ろすことができなかった。下を向いたら、涙が落ちるからだ。

「これは、ミーコちゃんのスケッチブックの中に挟んであったの。リボンといっしょに置いてあったわ」

 メグミは、真っ赤なリボンといっしょに、スケッチブックに挟んであったメモを見せてくれた。メモを見せてくれた。

「メグミちゃんへ、いつもあそんでくれてありがとニャ。とてもたのしかったニャ。リボンは、あたいのたからものニャ。ミーコ」

 俺は、それを読みながら、涙が頬を伝うのがわかった。

「お兄ちゃんにもあるはずよ」

 俺は、メグミに言われて、階段を駆け上がると、部屋に入って、ミーコの置手紙を探した。

机の上、引き出しの中、カバンをひっくり返したが、手紙はなかった。

「ミーコ、ミーコ・・・」

 俺は、泣きながらミーコを呼びながら夢中で部屋中を探した。

だけど、どこにもない。

「どこだ、どこに置いたんだ、ミーコ・・・」

 俺は、言いながら探した。そして、それは、枕の下から出てきた。俺は、それを開いた。

「ごしゅじんさまへ、あたいをおよめさんにしてくれてありがとうニャ。とてもうれしかったニャ。ごしゅじんさまのこと、

だいすきニャ。ミーコ」

 最後は、涙でかすんで見えなかった。俺は、肩を落としながら階段を下りて行った。俺は、黙って、そのメモをみんなに見せた。

 メグミは、それを読んで、ミーコを抱きしめると、大声で泣いた。

「ミーコちゃん・・・」

 母さんも改めて涙を流していた。

抱きしめられたミーコは、訳がわからず、メグミの腕からスルっと抜け出すと、俺たちの足元をグルグル回り始めた。

「ニャ~ン」

「ミーコ、なんでネコに戻ったんだよ。ミーコは、俺のお嫁さんじゃなかったのかよ。人間になれよ」

「ニャ~ン」

 ミーコは、俺たちが泣いているのを不思議そうに顔を傾ける。

「泣くな! 父さんが前に言ったことを忘れたのか。ネコだろうが、人間だろうが、ミーコはミーコだ。死んだわけじゃない。ネコに戻っただけじゃないか。ミーコは、家族じゃなかったのか?」

 俺もメグミも、何度も頷いた。父さんの言うとおりだ。ミーコは、俺たちの家族だ。例えネコでも、俺たちの家族だ。

「母さんも、いつまでも泣いてないで、ミーコにご飯をあげなさい。ミーコが腹を減らして鳴いてるぞ」

「そうね。ごめんね、ミーコちゃん。すぐにご飯にするからね」

 母さんは、そう言って、戸棚を開けた。

「あっ、いけない、もう、ネコ缶もカリカリも、買ってないのよ。どうしようかしら・・・」

「あたしが買ってくる」

「待て、メグミ」

 俺は、ネコ缶を買いに玄関に走ろうとするメグミを止めた。

「母さん、ご飯はある?」

「炊いてるあるわよ」

「ちょっと、もらうよ」

 俺は、涙を拭いて、ミーコ用の小さな茶碗にご飯をよそって、少し冷ましてから、

台所の引き出しの中からかつお節を出して、ご飯に振りかけた。それも、今日は、多めに。

「ほら、ミーコ、ご飯だぞ。カリカリとネコ缶は、後で買ってくるから、今は、これで我慢してな」

 俺は、ミーコの好きだった、ネコまんまを床に置いた。

「ニャ~ン」

 ミーコは、ニオイを嗅いで、早速、食べ始めた。

「ウニャウニャ・・・」

 ネコになっても、鳴きながら食べていた。

「ミーコは、それが好きだもんな」

 俺は、お腹が空いていたのが、夢中で食べているミーコを見ていた。

「さぁ、みんなも朝ご飯だ」

 父さんが言うので、母さんは、ご飯を作り始めた。

俺とメグミは、ネコまんまを食べているミーコを見ながら、昨日のことを思い出していた。

 もう、言葉はいらなかった。ミーコは、ネコになっても、家族の一人だ。

これからもずっと、いっしょなのは、変わりない。

俺は、そう思った。俺とメグミの隣には、もう、人間のミーコはいない。

俺たちの間に置いてある、ミーコ用の小さな椅子には、もう、誰も座っていない。

誰も座っていない椅子を見ると、当たり前のようにそこにいたはずのミーコの存在感に気が付いた。

物足りないというか、いつもいたはずのミーコがいないのが、信じられなかった。

 この日の朝食は、誰もしゃべらなかった。

いつもなら、朝から楽しくミーコの世話をしながら、楽しい朝食だった。

ミーコが一人いないだけで、こんなに寂しくなるのかと思うと、胸が締め付けられた。

「ケイタ、これからもミーコの世話は、するんだぞ」

「わかってる」

「それと、大学受験は、しっかり勉強するんだぞ。落ちたら、ミーコに笑われるぞ」

 そんなこと、言われるまでもない。ミーコのためにも、絶対に落ちたりしない。

必ず合格してみせる。俺は、心に誓った。そして、この日から、俺は、勉強に集中した。それでも、ネコになったミーコの世話を忘れない。

学校から帰ると、ミーコと遊んだ。メグミは、遅くまで陸上部の練習を再開した。

それでも、帰るとミーコと遊んでくれた。

 ミーコが使っていた、ひらがな練習帳は、机の引き出しの奥にしまった。

父さんは、ミーコ用の小さな椅子を物置に片付けた。それを見ると、思い出してしまうからだ。

それでも、リビングに飾ってある、俺とミーコの結婚式の写真は、飾ったままだった。

白くて小さなウェディングドレスを着たミーコと、スーツ姿の俺が映っている。

その周りに、父さん、母さん、メグミも笑っている。家族五人で撮った記念写真だ。

 そして、一つ変わったことは、夕飯の食卓に、から揚げが乗らなくなったことだった。

ミーコが大好きだったから揚げを見ると、思い出してしまうらしく、母さんは、アレきり作らなくなった。

だからと言って、俺は、文句を言う気にもならない。その気持ちは、俺も同じだからだ。から揚げを見ると、ミーコを思い出してしまう。そんな日が続いた。



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