桜色

丸山 令

世界は色で溢れている


「ああ。もう桜が咲いている」


 正門を抜け、構内をゆっくりと歩きながら、幼馴染みの鮎川あいりは、ぽつりと呟いた。


「ここ、桜並木だったんだな。綺麗だ」


 俺が言うと、あいりは小さく頷いた。


 まだ八分咲きといったところだろうか。満開になるには、もうしばらくかかりそうな白い花が、俺たちを出迎えてくれている。


「二、三日後に、もう一度来たいな」


 大きく伸びをするように状態をそらして、あいりは桜の巨木を見上げた。

 春霞の薄水色の空に真っ白な花、そこにあいりの黒髪が加われば、コントラストは完璧だ。


 瞬間の美しさに息を呑みつつも、返すべき言葉を模索する。

 だって、単純に『そうだな』とか『来るか!』とは答えにくい。

 何せ掲示板に番号が無ければ、ただの部外者だから。


「そりゃ、まぁ。受かってれば、書類を郵送せずに、持って来れば良いわけだが」


 結局、普段通りの素直じゃない返事を返すと、あいりはその場でピタリと足を止め、そのままくるりと、文字通り踵を返した。


 目の前にあいりの手が来て、一瞬止まる。


 ……キツネさんかな?


 思った矢先に、額に衝撃が走った。


「いってっ!ちょ、それ、まじ痛いんだけど?」


 普通にデコピンだった。しかも手加減なしの。


「情緒がない!」

 

「いや、だって、本当のことを言ったまでで」


 言い訳をしようとするも、あいりはまた踵を返して前を向いてしまった。

 何なんだ。


 何やら怒らせてしまったようなので、無言で前を歩くあいりの後ろを、ゆっくり付いて歩く。

 経験上、あいりの怒りは、さほど長く続かない。予想通り、ちらりとこちらを振り返り、俺がいるのを確認した後、あいりは呟いた。


「桜って満開までは白っぽいけど、散る直前になると、萼が赤く染まって薄紅色になるだろう? あの瞬間の色が好きなんだ」


「ああ。それは分かる。桜はやっぱり桜色が良いよな」


 あいりは前を向いたまま頷いた。

 そして、右手で胸元をぎゅっと掴み、しばし沈黙した後、こちらを振り返る。

 身長差の関係でやや上目使いの瞳が、いつもより多い量の水分を含んで、俺に向けられた。


 頬もうっすら色づいているだろうか?


「別に、落ちても!ここでなくても、良いのだが?」


 一瞬何を言われたか分からなかったのだが、次に会う約束を取り付けようという、彼女の意図は理解した。


「ええと? これは、つまり、あれか? 平兼盛の、しのぶれど色にでにけりって……っで」


 途中まで言いかけたら、左腕に結構強めのパンチがとんできた。地味に痛い。


「あいりさん。凶暴」


「小野小町も言っている。花の色は、旬を逃したら衰えていくばかりだぞ?」


 頬を膨らませて俺の横に落ち着いたあいりに、俺は苦笑いをむけた。


 初めて出会った時から、今までも、多分これからもずっと……俺にとっては旬なんだけど?



 気づけば掲示板の前まで来ていた。

 二人で番号を探し、ゆっくりと息を吐き出す。


 俺は更にもう一度深く深呼吸をして、あいりに手を差し出した。


「そしたら、明後日あたりに、もう一度一緒に来るか。桜色の桜を見がてら」


 あいりは自身の手をちらりと見た後、それを俺の手に重ねた。


「仕方ないから、一緒に見てやっても良い」


 全くもって、可愛いしかないな。

 俺たちは並んで歩き出す。


「あのさ、あいり。俺と……」


 不意に春一番の風が吹いた。


 俺の言葉が、最後まであいりの耳まで届いたのか分からなかったけど、彼女は俯き頬を桜色に染め、柔らかく微笑みながら頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

桜色 丸山 令 @Raym

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ