九話 王太子妃の資質

 王族への婚約披露に集まったのはほんの二十人ほど。


 しかし、その何れもが王族という豪華絢爛なパーティになった。王国における王族は、王室とその他王族からなり、王族とは公爵以上の家を指す。つまりここにお集まり下さった方々は王室の三名以外は全員公爵家の方々なのだ。


 公爵家は王国に三家しかない。ロマーニャ公爵家、マイタージェ公爵家、アバタージュ公爵家だ。ロマーニャ公爵家は私が名目上養子入りする事になる公爵家である。庶民が公爵家に養子入りするなんて大丈夫なのかしら?


「殿下のたっての希望という事ですからな。喜んで我が娘としてお迎えしよう」


 と白髪の公爵閣下は仰った。……齢六十近いという事なので、娘というよりひ孫なんじゃないかと思ったのは内緒だ。


 ロマーニャ公爵家としては養子とはいえ自分の娘が王太子妃になれるのは魅力だし、王室に恩も売れる。政治的な意味で旨みが多いと判断したのだろう。それに私は王城に入ってしまうのでロマーニャ公爵家としては名前を貸すだけで何の面倒もない。


 アバタージュ公爵家の方々も私には隔意無く挨拶をしてくれた。殿下から話が通っているのと、これまで二回の披露パーティで広まった私の評判を既に皆様知っているのだろう。


 しかし、問題になるのが最後の公爵家。マイタージュ公爵家の皆様だった。ここの方々は皆様私に対して怪訝な表情を向けていた。それはもちろん、このお家のご令嬢たるジュスリーネ様が、アーバイン殿下のお相手の最終候補となっていたからだろうね。


 一族自慢のご令嬢が、次期国王の婚約者にほぼ決まりかけていたのに、何故か突然湧いて出た伯爵令嬢にその地位を攫われたら、それは疑問にも不満にも思ってそんな顔になるだろうね。


 その当のご令嬢、ジュスリーネ様はもちろん出席なさっていた。濃い紫色のドレスを着た、髪色も濃い茶色という全体的に落ち着いた印象を受ける方だったわね。確か年齢は十五歳と聞いていたのに非常に落ち着いた佇まいは年齢以上のものを感じさせた。彼女は挨拶にはすぐ来たけど、それ以降は私を遠巻きにして観察しているような感じだったわね。


 私は殿下の腕に捉まって王族の皆様にご挨拶をして周りながら、頭の中でグルグルと色々考えていた。もちろん、昼間に殿下と話した事についてだ。


 殿下が示唆した事が本当なら、私が拒絶すれば私は下町に戻っても良いのだという事になる。下町の人には私の素性はバレていないから、私は元の通りの生活に戻り、代書屋で相変わらず働く事が出来るだろう。


 貴族の間の話をすれば、私がまた貴族の世界から消えてしまっても、私を探し出す術はほとんどの貴族にはないだろう。王都の人口は多いからね。王家ぐらいしか王都から一人の人間を探し出すなんて無理なのだ。


 王太子妃に内定だと言われていた私が殿下のお側から突然消えれば、貴族達は大混乱するだろうけど、所詮は私は貴族に知り合いも少ない身。まだ政務に携わっている訳でも無い。王太子殿下さえしっかりしていて、すぐにそこにいるジュスリーネ様でもお妃に迎え入れれば、あっさり落ち着くことだろう。


 今の王室は国民からの支持も高いし、アーバイン殿下もこの件以外の部分では非常に優秀で将来の国王として問題無いと誰もが太鼓判を押しているのだ。私が消えても何とでもしてくださるだろう。


 私は確信しているが、アーバイン殿下はそういう計算をちゃんとして、私を王城に連れて来たのだ。彼が後先を考えない性格なのであれば、彼が十三歳になった五年前に私を発見した瞬間に私を王城に攫ってきている筈だ。


 それなのに彼は待った。実家の領地から鉱山が見つかって、貴族身分取り消しが撤回されたのが二年前。それでもまだ動かなかった。慎重に貴族の間に根回しをして私が貴族達に迎え入れられるために下地を造ったのだ。でなければポッと出の私がこんなにあっさり、王太子妃に迎え入れられる訳がない。


 国王陛下と王妃様にも粘り強く交渉したのだろう。自分の優秀さを見せ付け、他の事では一切我が儘を言わず、それでいて結婚相手については私以外の者には目もくれず。遂に国王陛下や王妃様が根負けするまで粘ったのだ。


 いっそ呆れた執念と執着だ。その全ては、五歳の時に理不尽にも奪われた「ねーさま」を取り戻すためだった。その長年の執念の最後の段階に立ち塞がっているのが、他ならぬこの私なのだ。


 なぜなら、私は「エステルねーさま」ではないからだ。


 この七年も前に庶民落ちして下町で生活していた私は、その間ほとんどルークの事を思い出しもしなかった。容姿も性格も大きく変わっている。殿下にとってそんな女は「ねーさま」だとは認め難いに違いない。いつでも彼の事だけを考えて、彼を慈しみ導いてくれた「ねーさま」こそを彼は求めているのだから。


 ここまで何年も掛けて私を妃に迎え入れるべく活動していたルークだが、私を妃にすることは究極の目的では無かったのだ。「エステル」である私を「エステルねーさま」に戻して手に入れる事こそが真の願いだったのである。だから最終的に、私を妃にすることが出来たとしても私が昔のねーさまに戻らなかったのなら、ルークの目的は達成されないのだ。


 なんとも執念深く、自分勝手で、私にとっては酷い話なのだ。私は彼と離別してから、色々な経験をして成長していると思う。その私の成長を、彼は認めてくれないという事ではないか。彼は今の私は別に好きでも何でもない。ルークは昔の、彼にとっての「エステルねーさま」に固執しているのだ。


 ……しかしながら、同時に彼は今の私にも執着していると思う。でなければ、私をどうしても妃にしようとは考えないと思うのだ。何しろ分かれた時には彼は五歳である。妃の事を考えるのは早過ぎた。だからルークは私を恋人として慕っていた訳ではないし、お互い結婚の約束もした事は無い。


 ルークが当時の感覚で私を欲しがっているのなら私に「姉」になってくれるよう頼むのが自然だ。王城の侍女にでもして常に側にいるよう頼めば良いのである。それが、彼は私を妻にと望んだ。しかも本気で私を娶るべく多大な努力までしている。


 ここに不思議な点があるのよね。しかもルークは昼間に「エステルねーさま」に対してプロポーズをしている。欲しいのはねーさまの筈なのに、私を王太子妃にと望む訳。そこが私にはイマイチ分からないのだ。


  ◇◇◇


 ダンスもして(三日目にもなるとかなり慣れた)私は王族のご婦人の皆様と歓談していた。ロマーニャ公爵家の方々は、私に積極的に声を掛けてきて下さった。私に没落してからの事を色々尋ねては「大変だったわねぇ」と皆様仰るのだけど、下町の生活についての話が理解出来たとは思えないのよね。多分、お屋敷を出たとはいえまさか何人かの使用人を使って貴族として生活をしていて、代書屋というのは教会の本を写本するみたいな職業を想像していたんじゃないかしら。実際に見てみないと下町の生活なんて王族には想像不能よね。


 女性に囲まれて内心あたふたしながらお話をしていると、スッと私の前に紫色の影が立った。


 見ると、ジュスリーネ様が静かに笑って立っていらっしゃった。それを見て、他の方達は口をつぐんでスッと離れる。遂にラスボス登場という雰囲気だ。別に彼女は私を威嚇するような感じではなかったのだけど。


「エステル様。すこしあちらでお話しませんか?」


 と静かに仰った。


「……ええ。喜んで。ジュスリーネ様」


 私達はテーブルを用意してもらって、椅子に座って向かい合った。前の二人の無作法さに比べると格段に上品だ。流石は王族である。


 私達は冷たい飲み物を用意してもらって、フルーツをそれぞれ皿に取り分けさせた。一口、飲み物を飲むとジュスリーネ様は言った。


「ぶしつけにお声がけして申し訳ございません。どうしてもお話がしたかったものですから。この度はご婚約おめでとうございます」


 そうジュスリーネ様は最初に私に婚約を祝福する言葉を掛けた。それから私に、アーバイン殿下との馴れそめを聞き、没落時の話を聞き、私への型通りの同情の心を示した。恐らく彼女も私が言った事のほとんどが理解不能だっただろうけど、そういう所はおくびにも見せなかった。


 自分は王太子殿下とは自分の社交デビューの時にお会いしたという話をして、その時にエスコートしてもらったというエピソードを披露した。王族としての交流エピソードは結構多いようで、幾つかを聞かせてもらった。


 その端々に彼女がアーバイン殿下を好きなのだという気持ちが表れていたわね。単なる親同士の関係による婚約者候補だったのではなく、彼女の強い希望で縁談が進んでいたような雰囲気があった。そういえば、殿下の代では血を薄くするために、公爵家からは妃を取りにくいという話もあったわね。それで本来は彼女は妃候補ではなかったのかも知れない。


「縁談を進めてもアーバイン殿下の反応は鈍かったのです。どうも意中の方が居るのではないかと社交界では話題になっていました。それがエステル様だったのですね」


 ジュスリーネ様はそう言ってニッコリと笑ったのだけど、私には返しようがない。その頃の話は全然知らないし与り知らない事だからね。


 すると、ジュスリーネ様はこう言った。


「エステル様。貴女は王太子妃、ひいては王妃になったらどんな事をするつもりですか?」


「は?」


 意外な質問だった。戸惑う私に構わず、ジュスリーネ様は私をジッと見詰めながら淡々と言った。


「私は、王太子妃になったら、孤児の問題に力を入れようと思っていました。今、王都には孤児が多いと聞きます。その多くが孤児院に入れず路上で飢えているとか。私、王都を馬車で走った時に何回か目にしましたの。それでそれを何とかしたいと思っていました」


 孤児ね。確かに王都の路上ではたまに見掛ける。孤児院はもう一杯だという話も聞いてはいるわね。下町に暮らしていると逆に気にならない(孤児でなくてもいつも困窮している人間は下町にはありふれているので)のだけど。


「ですから、私は孤児院を増やしてそういう子供達を収容して助けたいと思っていましたの。そうすれば王都はもっと良い街になりますでしょう?」


 ジュスリーネ様は自分が王太子妃になったらこんな政策をしようとまで、もう考えていたのだ。確かに、王太子妃には公爵家の娘がなるのが慣わしで、ジュスリーネ様がアーバイン殿下の妃になる可能性は非常に高かっただろう。それにしても先走りすぎだと思うけど。


「どうでしょう。私の考えは。エステル様のお考えを聞かせてくださいませ」


 ジュスリーネ様の微笑み顔には少し挑むような気配があった。それはそうよね。ここまで考えていたのに、王太子妃の座を奪った私に思うところが無いわけがないのだ。私を試そうという意図があるのだろう。


 ……そうねぇ。私は考える。考えて、ポロッと言った。


「あんまり良い施策だとは思えません」


 私が言うとジュスリーネ様は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になってしまった。周囲で聞き耳を立てていた人々から驚きの声が漏れる。


「……な、何故ですか?」


 さすがにジュスリーネ様の声がひび割れる。うーん。私は考えて、飲み物を一口飲んでから口を開いた。


「孤児を孤児院に収容しても、孤児がいなくなるわけではありません。孤児院の中に入っても孤児は孤児のままです。成長すれば孤児院を出ざる得なくなり、そうすると今度は孤児でなく路上生活者になるだけなのです」


 実際、そうして路上で転がっている者は少なくない。孤児院を増やしてもそういう浮浪者を増やすだけなのではないかと思うのよね。


「そうですね。孤児院を増やす前に孤児を増やさぬ方法を考えるべきかと思います。孤児になってしまう子供が出る理由は二つ。一つは親が死んで身寄りがなくなった子供。こちらは仕方がないにしても、もう一つの親が困窮して子供を育てられなくて捨てる、という理由は減らせると思います」


「な、なんですって?」


 ジュスリーネ様には多分これも全然分からない話なのだと思う。孤児が何で出るのかなんて考えた事もないのだろうからね。


「子供を育てられなくなる親は貧窮家庭に多いわけです。ですから、子供が多い家の税金は減らすとか、そういう方法で子育て世帯の負担を減らせば孤児は減ると思います」


 ただ、私の周りにそこまで困窮した世帯はそれほどいないのよね。子供が育てられなければ里子に出すという手もあるから。それに親を失った子も、余程の事がなければ親戚が引き取る。そのために結婚する時はお互いの家族が慎重に相手家族を吟味するのだ。もしも親が死んでも路頭に迷わないように。それでもダメだった家の子が孤児になるのだろうけど。


「そして孤児院の子供がそのまま路上生活者になる事が多いのは、マッチングの問題です」


「マッチング?」


「孤児院は教会が運営している事が多いでしょう? ですから孤児院では教会運営のお手伝いしかしていないのです。だから十三歳で成人して孤児院を出されても、何の技術も無いのだから就職口が無い」


 下町の子供なら、十歳になる前から親の手伝いをして技術を身に付け、成人したときには職人の端くれくらいにはなっている。これでは孤児院出身の子供が就職出来なくても当たり前だ。


「だから、孤児院の子供達も早くから職人の見習いになって、成人して孤児院を出る時に備えて働いておくべきなのです。そうすれば孤児院を出た瞬間に困窮する事は避けることが出来ます」


 景気の良い工房なんかは常に人手不足に悩んでいるものだ。孤児院の子供が見習いに来てくれたら歓迎する所も多いだろう。そういうマッチングをするだけで孤児の未来は明るくなるだろう。孤児院を増やすよりも現実的な方策だと思う。


「そうですね。私は下町のみんなが働き易くなるように、水道ですとか下水道ですとかそういう物の整備をしたいです。王都に引いている水道橋を増やせば工房で使える水が多くなって便利になって、生産出来るものも多くなるでしょう。貴族街には引いてある下水道を下町にも通せば、下町に住める人間ももっと増えます」


 水を井戸から汲んでくるのは重労働で、しかも井戸の数が少ないからいつも行列だ。染色や織物、鍛冶には大量の水が必要なのに、それが確保出来ずに生産量が増やせなくて嘆いている職人を知っている。


 汚物は汚物溜めに捨ててそれを業者が回収して行くのだけど、溜めておける量に限界があるから、下町では地区に何名と人口の制限があるのだ。なので忙しい工房が人を増やしたくても制限に引っ掛かって思うようにならない。


 水道と下水道が行き渡れば、これらの問題が解決するし、そうすれば下町で働ける人間も多くなって孤児の問題も一緒に解決するんじゃないかしら。


 私はそんな事を思いながらつらつらと言ったのだけど、ジュスリーネ様からはすぐには反応が無かった。そりゃね、下町の現状を知らない彼女には何を言っているのか分からなかったと思うのよ。


 しかし、暫くしてジュスリーネ様はポツリと仰った。


「……なんだ。ちゃんと考えているのではありませんか」


 は? 私は首を傾げたのだけど、ジュスリーネ様はなんだか晴れ晴れとしたような笑顔を浮かべていた。


「さすがは王太子殿下がお選びになったお方ですのね。悔しいですけど。私の負けですわ。その知識、思慮深さ、計画性。どれを取っても将来の王妃に相応しいと思います」


 ……そんな大げさな話なのかしら。私にしてみれば、下町のみんなが幸せになる方法を考えただけだったんだけどね。


「是非、そのお力でもってアーバイン殿下を支え、そして王国をお導き下さいませ。エステル殿下」


 ジュスリーネ様は立ち上がると、スカートを広げて見事なカーテシーをした。そして驚いた事にその後ろで、王族の皆様が全員で一斉に最敬礼を私に贈ったのである。私は仰天してひっくり返りそうになったのだけど、その時には私の後ろにはアーバイン殿下がいて、私の肩を抱いて笑顔で頷いていた。


「ああ、私とエステルで、必ず王国と皆を良い方向に導くと、その努力をするとここに誓おう。なぁ、エステル」


 私は生唾を飲み込みながら、思わずこっくりと頷いてしまったのである。


  ◇◇◇


 最後の婚約披露パーティは大成功に終わってしまったようだ。退場する皆様はジュスリーネ様を含めて私の手を握って親愛と崇敬の念を表して下さった。そこここで「これで王国は安泰だ」「早くお二人のお子が見たいですわね」などという声が聞こえるほどだった。


 国王陛下と王妃様も感動のあまり目を潤ませながら私を抱擁して「エステルの考えは素晴らしい」「大臣と貴女の提言について至急協議してみますからね」などと仰っていた。……それは、そうしてくれれば嬉しいけども、そんなに簡単に決めてもいいのかしら? しかし殿下のお話だと、以前から下町の振興策については頭を悩ましていたところだったので、私の提案は正に天から降ってきたような名案だと思えたのだそうだ。


 つまりこれで私が王太子妃になる為の障害は全て取り払われてしまったという事らしかった。とんでもない事だが、どうもそうらしい。私は頭を抱えそうになったわね。こんな庶民女が王太子妃になって良いわけがないと思うんだけど。


 しかしもう事態が抜き差しならない事態になっている事は間違い無かった。全貴族、王族、そして国王陛下と王妃様までが私を王太子妃に相応しいと認めたのだ。


 これでもしも私が「いや無理です」と下町に戻ったとしたら? ……さすがにそれは無理なんじゃないかしら。いや、殿下が何とかしてくれるとは思うけども、こうまで皆様に期待されてしまって、それを私の我が儘で裏切るというのはあまりにも無責任に思えた。


 それと、先ほどジュスリーネ様とお話していて思ったのだ。もしも王太子妃になれば、私は下町のお世話になったみんなに、色々恩返しが出来るなと。


 水道と下水の件もそうだけど、ラドが嘆いていたような、縁故で手続きの順番を入れ替えるような役所の悪癖を正したり、横柄な巡回の兵士の綱紀を粛正したりすれば、下町のみんなは暮らし易くなるだろう。それは下町で代書屋をやっていては出来ない事だ。


 ……そう考えると、悩む事はないように思えたわね。


 私は下町での生活は楽しかったし、責任ある仕事をしていてみんなにも頼られていてやりがいがあったから、下町での元の生活に戻りたかったのだ。


 でも、ここに十分にやりがいがあり、みんなの為になる仕事がある事が分かったのだ。それだけで無く、国王陛下も王妃様も、貴族のみんなも私に期待をしてくれている。それならば私はより自分を役立てる為に。王太子妃になるべきではないだろうか。


 ……どちらが自分に誇れる選択なのかを考えれば、答えは自明だったわよね。


「どうする? 下町に戻るかね? ねーさま」


 そんな私を見透かすように、アーバイン殿下は言った。私達は二人で私の部屋に戻るべく王城の廊下を歩いていたところだった。私は殿下を睨んだ。


「どういう保証があったのですか?」


「保証とは?」


「ルークは、私が王太子妃に相応しいという確信があったのですよね? でなければ私を妃にしようと思う筈がないもの」


 彼にとって最優先は「ねーさま」を手に入れる事だった。それなら別にこんな壮大な計画を練らなくても、私を侍女にでもすればいいのだ。そうすれば彼にも王国にも何のリスクも無かった。そしてこれほど有能で王国の未来を真剣に考えている彼が、何の保証もなく自分の妃を決めるという、王国の重大事を賭けに使う筈がない。


 彼には確信があったのだ。私「エステルねーさま」は王太子妃に向いているという確信が。


 私の睨みもどこ吹く風。殿下は涼しい顔で言った。


「私の知っているねーさまなら絶対に王妃に相応しいと知っていたからね。あの頃のねーさまは私の理想だった。私はねーさまを目指してここまで来たし、そのねーさまが妃になってくれればこれほど心強いことはないよ」


 ……つまりは、そこがスタート地点だったのだ。


 ルークはかつて私に憧れ、私を目指した。私を懐かしみ、会いたいという気持ちももちろん有ったのだけど、それ以上に彼は私への王族の理想像としての憧憬を持っていたのだ。そんな私は彼が見つけ出した時になんと結婚していなかった。これは彼にしてみれば理想の王太子妃を迎えるチャンスだと思えたのだろう。だからあらゆる手練手管を使って私を王太子妃に迎え入れようとしたのである。


「私はねーさまが大好きで、ねーさまに会いたくて、そしてねーさまをどうしても妃にしたかった。やっぱりねーさまは私の理想の女性だった。ねーさまなら素晴らしい王妃になるよ」


 やっぱりこの人無茶苦茶よね。思い込みが強過ぎる。


 私が根っからやさぐれて、人格が大きく変貌していたらどうするつもりだったのか。王族貴族の皆様が私をどうしても王太子妃として認めなかったらどうするつもりだったのか。私がこの先贅沢に堕落してしまったらどうするつもりなのか。


 そういう事はちゃんと考えたのかしら。……考えているんだろうなぁ。以外と抜け目のないこの人は、そういう可能性を全部潰した上で私を迎えに来たのだろうから。一つでも無理そうなら、きっと違う方法を考えたわよね。きっと。


 そして私が彼の事を、ルークを好きで、アーバイン殿下を好きになる事もきっとお見通しだったのだ。


 だって私はルークをあの時一目見て気に入って、抱き締めて離さなかったらしいのよ。侍女のハマニーが言っていた。周囲は大慌てだったらしいけど、人見知りだった筈のルーク本人は私に抱き締められて大喜びで、それを見てハマニーも王妃様も感動したらしい。


 最初から相性が良かったのだ。そしてもちろん今も。こうしてアーバイン殿下に惹かれている自分がいる。どこかで、あの頃と同じように安心している私がいる。彼の側にいたいと思っている。


 ……そうね。最初から勝負は付いていたのかも知れないわね。ルークの作戦勝ちよね、これは。


「……私は明日、下町へ帰ります」


 私が言うと、ルークがそれはもう驚愕の表情になってしまった。紺色の瞳が零れそうだ。彼を驚かす事に成功した私は密かに満足した。私は今回、最初から最後までこの人に振り回されっぱなしだったのだ。一回くらい彼に驚愕してもらわないと割に合わないわ。


「なんて顔をしているのよ」


「し、しかし……」


 クスクス笑う私にあからさまにルークはうろたえる。泣きそうな顔は昔のままね。


「代書屋と下宿にちゃんと挨拶をしなきゃ。このままいなくなったら迷惑だもの。結婚して、遠くに行くからってちゃんと説明するわ」


 嘘では無い。下町から王城は遙かに遠いところだ。距離では無く、社会的に。私はもう二度と下町には行かれないだろう。最後に下町に最後のお別れをしに行きたい。没落して困っていた私を温かく迎え入れてくれた、あの町に。


 私の言葉に、ルークはそれはそれはホッとしたようだった。そして微笑む。


「分かった。私も一緒に行こう。君がお世話になった人たちに、私もちゃんと挨拶がしたい」


「そうね。なら、下町に馴染む服で行かないとね。あんなオバケみたいなフードではダメよ」


 私はそう言って、彼の腕を抱き締めたのだった。


 ……そうして私とルークは翌日、下町に行ってみんなに結婚の挨拶をして(もちろんルークの身分は隠して)、居酒屋で送別の宴をされて惜しまれつつお別れをしたのだった。が。


 結婚式後、馬車でお披露目のパレードをして下町を通った時に正体が見事にばれてしまって、下町ではお祭りのような大騒ぎになってしまったそうである。


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没落令嬢は執着王子の求婚から逃げられない! 宮前葵 @AOIKEN

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