八話 王太子殿下の真意

 あからさまにやってしまった私に、皆様ドン引き。王太子殿下も流石に私の正体に気が付いたかと思ったのだけど、意外にもそうはならなかった。


 そもそもサシュレン様は高飛車令嬢として有名で、何かというと身分を誇る彼女に辟易していた方が多かったらしい。


 王国は、貴族同士の関係を円滑にするために、子供達を王城に集めて交流させるのだけど、彼女はその頃から身分を傘にきて低い身分の娘を虐めていたそうだ。


 そんなだからサシュレン様は著しく人気がなく、そんな彼女を徹底的に打ちのめした私に密かな喝采を送る方も多かったのだった。


 それと「言葉は荒かったけど言っている事は至極真っ当だった」と殿下が仰ったように、エステル様の言っていることは間違っていない、と言って下さる方も多かったらしい。


 乱暴な平民口調には目を瞑って、将来の王太子妃が貴族の輪を乱していたサシュレン様を成敗したという事に、この件は落ち着いてしまったのだった。


 問題はあんな乱暴な事をした私に、優しい姉だと思っていたアーバイン殿下が幻滅しなかったかという事だったが、あにはからんや、殿下は全く気にした様子がなかった。


 むしろ彼はこう言った。


「エステルねーさまは昔から怖かったから、意外ではない」


 ……怖かった? 意外な言葉だ。私がルークに怖いところなんて見せた事があったかしら?


「何回か叱られたよ。私は他の者には叱られた事なんてなかったから驚いたし、怖かったし、新鮮だった」


 そりゃ、王室唯一の王子、しかも当時三歳から五歳の彼を本気で叱り付ける人なんていないわよね。


「しかも、叱り方が上手かったな。ちゃんと私が納得出来る理由で叱ってくれて、私が謝ればすぐに機嫌を直してくれた」


 全然覚えていないけど、ずいぶん王子に対して失礼な事をしでかしたものだ。


「やっぱり君は変わっていない。あの頃のままだ。安心した」


 とアーバイン殿下は笑うのだった。


 二回目の婚約披露パーティも無事に終わってしまった。内城に引き上げて来た時、国王陛下と王妃様が私とアーバイン殿下を見ながら仰った。


「エステルの評判は悪くないようだ。後は明日、王族に対する披露宴で認められれば、問題はないだろう」


「ご婦人達も好意的でしたよ。あのサシュレンをやっつけたのは痛快だったと言っていました」


 国王陛下も王妃様もホッとした表情だった。それはそうよね。突然湧いて出た私が王太子妃候補、しかもアーバイン殿下的には唯一無二の候補だということになってしまった。これを貴族達が認めなければ、下手をすると王国崩壊の危機だったのだから。


 それがどうやら貴族達は私に好意的な反応を示しているらしい。後から聞いたけど、実家が巻き込まれた詐欺事件では幾つもの家が没落してしまったんだけど、それに対する同情の意見は非常に多かったのだそうだ。


 あの詐欺事件は簡単にいうと、隣国の困窮を助けたいという者がいて、我が国の貴族界で支援を募ったのが始まりだ。隣国の支援をしてそこの農業や産業が持ち直せば、そこから税を取ってそこから原資に幾分か色を付けて出資者に返されるという話だった。


 それで、お父様を含む何家かが出資をしたのだけど、実はこの話は真っ赤な嘘だったのだ。


 出資を募った者はお金を持ち逃げし、それどころかあろうことか、出資者の名前を使って金融機関から巨額の融資まで受けていた。お父様がうっかりサインした保証書とやらが悪用された形で、我が家には金融機関からの巨額の請求書が届いたのだった。


 お父様としては、隣国を支援するのが目的で、金儲けを企んだ訳ではなかったのだ。それなのに大借金を抱えてしまった。その迂闊さはともかく、事情には大いに同情の余地があるという事で、その詐欺事件の被害者であったフィレックシア伯爵家の名誉回復は喜ばれたのである。


 しかもそこの家の娘が王子の長年の想い女で、艱難辛苦の果てに歳の差も乗り越えて結ばれる、というのが非常な美談、美しいラブストーリーだと捉えられたのが、私に対する好感度が妙に高かった理由らしい。


「更に言えば、エステルの評判が元々悪くなかったのも良かった」


 私には貴族時代の悪い評判が特になかったのだそうだ。というのは私はルークとばかり遊んでいたから子供時代の私をよく知っている方が少なく、貴族令嬢時代にお見合いをした方とも何もトラブルがなかった(いいお話もなかったわけだけど)。


 令嬢時代に仲の良かった方が王太子妃に内定している私を悪くいう筈もなく、むしろ誇大に自分との仲の良さをアピールして、私を褒め称えたらしい。それで私の悪い評判が出なかったというわけだった。


 国王陛下と王妃様としては、私が恙無く貴族達に王太子妃として認められるのなら何でも良いのだ。後は私と王太子殿下の間に子供が産まれさえすれば万々歳である。なのでお二人は私の手を取って仰った。


「後一日。王族へ披露宴を今の調子で乗り切ってくれ」


「あとはマイタージェ公爵家のジュスリーネさえ納得させられれば、全ての障害は取り除かれます。頼みましたよ!」


 ……そんな事を頼まれても困るんですけど……。


 しかし気が付けば、私が王太子妃になるのにほとんど障害が存在しなくなってしまっているようだった。私はその夜、自分が泥沼に呑まれる夢を見てしまって、少しうなされた。


  ◇◇◇


 その日も夕方までアーバイン殿下とブラブラして過ごした。ここ七年、代書屋で結構忙しく働いていた私に(納税時期には特に忙しくて徹夜した事もあったわね)とって、真昼間に何もする事がないというのは罪悪感さえ覚える事だったわね。


 ただ、王太子妃になればもちろん公務が山積みになることだろうけどね。婚約披露パーティが終わればいよいよ私は準王族として社交に出なければいけないし、結婚式の準備も始まる。その前に私のいい加減なお作法を教育し直してもらわないといけないだろうし……。


 このまま自分は王太子妃になるしかないのかな? と私も思い始めているみたいだった。未だに信じられないのだけど、周囲は既に私が王太子妃になることに対して歓迎ムードなのだ。


 特にもっとも反対して然るべき国王陛下と王妃様が全然反対しないのよね。お二人とも一人息子のアーバイン殿下にはそもそも無茶苦茶甘い。それに殿下は私関係以外のことには全くわがままを言わないから、一つくらいは良いかと思っているらしい。そして一刻も早く結婚して後継ぎを作ってもらわないと王室の危機だというのがあり、私の色々な点については目を瞑ることにしたらしい。


 ただ、日に日にお二人の私への態度は柔らかくなっていて、初日のお二人は随分と渋い顔だったものが、今日の朝には楽しそうに笑って私とお話して下さったわね。私に冗談まじりで「二人の子が生まれたら髪は何色かしらね」「私はエステルの色の赤子が見たいな」なんてギリギリの話題を振ってくるまでになった。


 これではお二人と一緒に殿下の迷妄を晴らすという私の当初の計画は頓挫したも同然だ。もちろん、王国で一番お偉いお二人以外に、次点で偉い王太子殿下を説得出来る人がいる訳ない。


 私が諦め始めるのも無理はないと思って頂きたい。肝心の王太子殿下は迷妄を晴らすどころか、一切ブレなく私を愛して下さっている。私だってもう彼の愛情を疑う事が出来なくなっている。どこがどうして殿下がそんなに私を気に入ったのかは知らないけど、もうこれは迷妄では片付けられない。確信を感じるもの。


 ただ、このままではマズいと思うの。私と殿下の考えと想いにはどこかすれ違いがあると思うのよ。もしもこのまま彼と結婚してしまったら、そのズレがいつか致命的な断絶に繋がるかもしれない。


 国王と王妃の間が断絶したら、これは単に私たちの不幸だけではとどまらない。国家の不幸だ。私がなんとなく流されて、諦めて結婚してしまった結果、王国全体が不幸になることを考えると、そんなに簡単に諦める事は出来ない。


 結局は意思疎通の問題よね。私と殿下はまず何よりお互いの意思を確認していないのだ。


 意思疎通はまず会話からだろう。話をすれば、分かることはあるはずだ。


 私は思い切って聞いてみることにした。


  ◇◇◇


「……殿下は、私の事がいつから好きなんですか?」


 私は殿下と散歩をしながら尋ねてみた。すると、殿下はにっこりと微笑んで私を見下ろした。


「いつからだと思う?」


「想像もつきません。この内城で遊んでいた頃に殿下からそんな感情を向けられた事はなかったように思うのですけど」


「正解だな。五歳の男が十二歳の娘に好きだという時、確かにそこには恋愛感情はないだろうよ」


 その辺までは私の考えは間違っていないようだった。


「ねーさまに会えなくなった時、私は何としてももう一度ねーさまに会うのだと誓った。そして思ったのだ。そのためには早く大人にならなければいけないと」


 五歳の殿下は決意して、猛然と教育に取り組み身体も鍛え、国王陛下と王妃さまが驚くくらいの速さで大人になったのだそうだ。


 そして成人の儀式を終えて、満を辞して私を探してみると、私は没落してしまってもういなかった。殿下は激怒し、焦り、悲しみ、そして何としても私を探し出そうと決意した。兵士を繰り出して下町を総ざらえするつもりだったと仰った。……そんな事をされないで良かったわよ。


 だけど、王妃さまが私の無事を教えて下さって、自分でも家臣に行かせて私の所在や現状を確認した。その時初めて。殿下の心に私への愛情めいたものが芽生えたのだという。


「君を助け出したい。あの頃、私の救いになってくれた君を今度は自分が助ける番だと思った」


 ただ、定期的に私を見に行かせた家臣の報告を聞いて、その感情には変化が現れたのだという。


「君は下町で庶民として皆に慕われ、楽しくやっているという話だったからな。助けだす必要などないのだと理解した」


 ……理解してたんかい。


 そこが分かっていて、どうして私を無理矢理妃にしようと考えられるのだろうか? 唖然とする私に殿下はニカっと笑って言った。


「嫉妬を感じたんだ。私がいないところで、私の知らない相手と、私を忘れて楽しくやっている君に、もう一度私を見てもらいたかった」


 直球の嫉妬だった。嫉妬するということは相手に強い愛情と執着を覚えているという事だから、この時彼は本気で私を愛するようになった、あるいは愛に気が付いたのだという事になるんだろうね。


 もちろんそれ以前から私には執着していたという王妃さまのお話だから、あくまでも本人が自覚したのはここなのだ、というだけの話なのだろうけど。


「それって、私に大迷惑だとは考えなかったのですか」


「考えたとも。君には悪いことをしたと思っている」


「……え? それだけ?」


「ああ。それだけだな」


 ……なによそれ! と思ったのだけど、すぐに気が付いた。


 つまりこれは、私に選択の余地はあるという事なのだ。


 殿下は私を迷惑も顧みずに連れてきた。それに怒って私が殿下をフって、下町に帰れば話は終わり。帰らなければそのまま私はここで王太子妃になる。


 殿下は私に最初から選択の余地を残しておいてくれていたのだ。


 考えてみれば、アーバイン殿下は別に私を監禁した訳でもない。最初から今すぐ連れて行くというのを私が拒否したら、ちゃんと譲歩してくれた。


 だから、私がブチ切れて「王太子妃なんて嫌です!」と叫んで王城を脱走したなら、私の意思を尊重してそのまま下町に帰るのを許してくれたということなのだろう。


「そ、それなら、もっと早くにちゃんと言ってくれれば」


「そうしたら君は考える事もなく、庶民に戻ってしまっただろう? 私は、君に私と結婚する事について、ちゃんと考えて欲しかったのだ」


 つまり普通にプロポーズしても私が拒否一択である事は分かり切っていたので、どうしても自分との結婚を真剣に検討して欲しかった殿下は一計を案じた。


 半ば強制的に私を王城に連れ出し、婚約は決定だとして婚約披露パーティまでしてグイグイと私を王太子妃に押し上げようとする。そうすれば私はどうしても真剣に殿下との結婚を、自分が王太子妃になることを検討せざるを得ない。


 確かにそのくらいしないと、私は「王太子妃なんて無理!」という最初の拒絶から心を動かすことはなかっただろうね。


 しかし……。


「それで私が諦めてしまって、内心は殿下の事が嫌いなまま、殿下と結婚してしまったらどうするつもりだったのですか?」


 あんなふうに逃げ場をなくして追い詰められたら、私は内心の不満を抱えたまま、つまり殿下に対する強い不信感を抱いたまま、諦めて流されて王太子妃になってしまったかもしれない。


 そんな事になったら殿下も私も、そしてそんな国王と王妃を頂くことになる王国にとっても不幸な事になってしまうだろう。その危険性は考えなかったのだろうか。


 するとアーバイン殿下は少しはにかんだような、幼さを感じさせる笑顔を浮かべた。


「エステルねーさまなら、最後の最後には自分の道は自分で選ぶだろう?」


 ……つまり、私が殿下の知っている私であれば、みすみす流されて意に沿わぬ結婚をするようなことはしないだろうと、彼は確信していたのだ。あるいは私を試していたのかもしれない。


「……なんて事をするのですか!」


 この人は、王太子妃、自分のお妃の座、そして王国の将来を賭けに使ったのだ。もしも私が殿下の思うような、どんなに強制されても自分の道は自分で選ぶような女でなくても、殿下は流されて諦めた私を王太子妃にしただろう。内心で失望しながら。


 当然、彼も私も王国も不幸になる。その事を知っていて、彼は私が私である事に賭けたのである。自分の元に本当に「エステルねーさま」が戻ってくる可能性に賭けたのである。


 その結果、私が殿下を選ばず、庶民に戻る事を選んだのだとしても、そういう選択が出来る私は、紛れもなく殿下の望んだ私であるから、彼は満足しただろう。


 私は胸を突かれる思いだった。ルークにとって私はそういう存在だったのである。そして今でもそうあって欲しいと強く願っていた。全てはその確認のため、そして彼にとって本物の「エステルねーさま」を取り戻すための、これは壮大な賭けだったのである。


「もちろん、私はもう君が本当にエステルねーさまである事を確信している。お帰り。エステルねーさま。そして、ごめんなさい」


 初めて、殿下は、ルークは今の私をねーさまと呼んだ。この瞬間、彼の中で失われた十二年の時を超えて、今の私とねーさまが繋がったのだと思う。


「その上で改めて頼もう。どうか私の妻になって欲しい。王太子妃に、王妃になって欲しい。私の事を側で支えて欲しい」


 ……ここにきて、再びプロポーズだ。そして今度の方は上からではなく、対等な、いやむしろ懇願するようなプロポーズだった。


 色んな疑問が氷解して、ルークの想いの大きさと強さを思い知ったところで、この真摯なプロポーズ。これは効いたわよね。心が揺さぶられてグラッときた。


 ……しかし、私は思わず伸びそうになった手を懸命に耐えた。


 きっと、ルークが想ってくれる私はこういう感情に流されない私なのだと思う。彼が思うほど私は強くなんてないし、立派でもないし、時には流されたり癇癪を起こしたりもするんだけど。


 でも確かに私はルークの前では彼の模範になれるようにといつも心がけていたのだ。優しく時に厳しく何よりも毅然といられるように。そういう私を見てルークは私に実像以上の憧れを抱いてしまったのだ。


 それは幻想だし迷妄なんだけど、これは彼が勝手に誤解したのではなく、私が彼にそう誤解させるように振る舞ったのだ。だから彼の誤解は私のせいなのである。


 たわいもない、幼い少女が初めて接した幼児に対して張った見栄。私はおねーちゃんなんだから、しっかりしてなきゃダメ。ルークの見本じゃなきゃいけない。だから私はいつも彼の前では「ねーさま」に相応しくあろうとふるまったのだ。


 ルークがそんな私を好きになってくれたのなら、そしてそんなルークの想いに応えるのなら、私はあくまで「ねーさま」で居続けなければならない。


 その結果が彼を拒絶する事になろうとも、だ。


 私はクッと歯を食いしばってルークを睨んだ。彼は相変わらず柔らかな、優しい笑みを浮かべている。


「分かりました。私は、私の意思で決めます」


「そうしてくれると、嬉しいな。ねーさま」


 とは言っても、時間はあまりない。私の休暇は今日一日。今日中には下町に帰るかどうか決めなければならない。


 今夜の最後の婚約披露パーティーで、決めよう。私はそう決心した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る