第2話 思わぬ展開に頭がついて行かない


 その翌日のこと。

 夏期講習終了までは今日を入れて3日だ。


 正一郎は一縷いちるの望みをかけて、急いで支度をして、昨日と同じ電車に乗った。乗ったからと言って何が変わるのか? もし仮に、昨日と同じように「葉山葵」が乗り込んできたからどうだというのだ? 自分に何ができるって言うんだ?


 答えは出ないままだが、それでもなぜかその電車に乗らなくてはならないような気がしてたまらなかった。


 昨日の駅が近づくにつれて鼓動が高まるのが意識しなくてもわかるほどになる。

 

――やべ、これってやっぱりそういう事、だよな……。


 正一郎もすでに15歳になろうとしている。

 さすがにこれまでに好きだなと思った女の子や、気になる女の子がいなかったわけではなかった。今自分が感じている感情が間違いなく「それ」であることぐらいは気が付いている。


 しかし、この受験を控えた中学3年の夏という時期に、そういう事は「タブー」な気がしてならない。つまりは、絶対に成就しない想いという訳だ。それに、相手の住んでいる場所は少なくとも自分の住んでいる場所とは駅5個分は離れているのだ。


 駅5個分と言えば、このあたりだと隣の隣の市ということになる。それにそもそも住んでいる県が違うじゃないか。


 そんなことを考えながらも、「期待」に胸を膨らませつつ、電車の扉が開くのを待った。


 とうとうその時が来て、扉が開いた瞬間、正一郎の心は天にも昇る気持ちになる。「葉山葵」が乗り込んできたのが確認できたからだ。

 正一郎はその姿を確認すると、わざとらしく視線を背ける。あたかも偶然乗り合わせた風を装うために、気付いていないふりをする。


 そこまでしなくとも相手はこちらに気付いてなどいないのに、だ。


――ほんと、どうしようもないな。


 正一郎は自分の行動があまりに滑稽すぎて、顔が火照るのを感じる。


――今日は先に降りよう。


 意を決して、座席を立つと、駅に到着するまでまだ間があるというのに、扉の方へと歩いて行った。


 その時のことだ。


 正一郎にとって衝撃的な「事件」が起きることになる。



木戸きど――くん? だよね? 同じ講義の――」


 「葉山葵」が声を掛けてきたのだ。


「あ、私のことなんか知らないよね? ごめんなさい、急に声を掛けたりして――」


 正一郎の頭の中はパニックになって、言葉が出ない。


「わ、私、『はやま』っていいます。木戸――くんと同じ講義を1週間前から受けてて……、あ、あの、き、昨日も声掛けようと思ったんだけど、その、心の準備が――」


「え? ? じゃなくて?」

「え? どうして、それを――?」


 しまったぁ! 思わず聞き返してしまった! し、しかし、何か取り繕わなければとにかくやばい!


「あ、いや、解答用紙――、ほら、同じ列だった時あったから――」

「あ、ああ、そうなんだね? 解答用紙――か」


 これもまずい! 解答用紙の名前を確認したことがバレバレじゃないか!

 とにかく言葉を繋ごうと、正一郎は話題を変えようと試みた。


「あ、あさって――!」

「え?」

「明後日でほら、夏期講習の講義も終わるから、その――。もう会えなくなっちゃうのかなって……」

「あ、ああ、そうだね――。明後日で終わりだもんね」

「う、うん」


 気まずい、気まずすぎる――。明後日で終わりなんだから会えなくなるに決まってるじゃないか。何を当たり前のことを言ってるんだ、俺は。


「木戸くん、は、冬はどうするの?」

「え? 冬?」

「あ、ほら、昨日の講義が終わった後で、予備校の担当の人が言ってたじゃない? 冬の直前講習も検討しておいてくださいって――。だから、その――どうするのかなって」


 たしかにそんなことを言っていたような気がする。が、そんな数か月も向こうのことなんてまだ考えてもいなかった。


「あ、いや、まだ考えてない、かな」

「そう、なんだね――」


 ぷしゅううぅぅぅ――。

 と、列車のブレーキ音が聞こえる。どうやら駅についてしまったようだ。


 ほどなく扉が開く。

 正一郎はとりあえず列車を降りて、「はやままもる」の方を振り返る。まもるも正一郎と行先は同じなのだからもちろん後に続いて降りた。


 とにかく、地上に出るまでは他の人たちの目もあるから、おしゃべりしている暇はない。正一郎は地上に出るまでの間に「頭の中」で、先程のやり取りを反芻していた。


 名前は「あおい」じゃなくて、「まもる」と言った。へえ、そんな読み方もあるのかと、普通に驚いた。それから、「まもる」は昨日も声を掛けようと思ったと言った。俺に? どうしてだ? そうして、冬はどうするかと聞いている。どうするって、まだ何も考えてないよ。


 情報量が多すぎる!


 いや、落ち着いて考えれば、大した情報量ではないのだが、考えることが多すぎるというか、分からないことも多すぎる。


 それよりもうすぐ地上に出るぞ? どうするんだ? 一緒に予備校まで歩こうって声を掛けるのか? そりゃそうだろう。こんな中途半端な会話をほっぽり出して一人でさっさと歩いて行ったりしたら、それこそ「地獄」だ。

 それに、まだ大事なことを聞いてないじゃないか?


 ん? 大事なこと? なんだよそれ?


 正一郎、の言葉をよく思い出せ。彼女はお前を名前で呼んだじゃないか。「木戸くん」って――。


「あ! 名前――! どうして、俺の名前を!?」


 表に出るなり、まもるの方を振り返って言った最初の言葉がそれだった。

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