離さないで、話さないで。
崔 梨遙(再)
1話完結:約3000字。
僕は、嫁や恋人がいない時、風俗店に行くことがしばしばあった。40歳を過ぎた頃から、もう行かなくなったけれど。
僕は、いつも時間が長めのコースを選ぶ。事が終わった後に、ゆっくりトークタイムを楽しみたいからだ。料金は高くなるが、それでも構わない。僕は、女性の体を買っているとは思っていない。女性の時間を買っている。そう思っている。
だから、トークが盛り上がると、Hなことをせずにトークだけで終わってしまうことも珍しくない。僕は、それでも良かった。自分の好みのタイプの女性と楽しく一緒に過ごせたらいいのだ。
そして、お気に入りの或る風俗嬢が、会うと赤い顔をしてフラフラしていた。顔も赤かった。熱が39度を越えていた。それでも働こうとする風俗嬢を止めて、受付(事務所)に10万を渡してその女性を早退させたこともある。僕はお節介だ。
だが、そんな感じで、気に入った風俗嬢を何回か指名していたら、風俗嬢の方から誘ってくれることがある。
「今度、プライベートで食事に行かへん?」
勿論、OKだ。
だが、風俗嬢には風俗店で働いている事情がある。その事情は、風俗店でのトークでは聞かないし、話されることも無い。よほど大きな事情。僕は、中途半端な覚悟で聞いてはいけないと思っていた。だが、飲みに行くと語られる。
ひかりの場合は、こうだった。
「なんで私が風俗店で働いてると思う?」
「さあ、わからへんけど」
「私、ブリーダーとトリマーやってるねん。自分の店を持つために頑張ってるねん」
こういう理由ならいい。夢に向かって頑張る姿は美しい。緊張して聞いていたが、ホッとして力が抜ける。これは、風俗で働いていることに対して、応援しやすい理由だ。みんながこういう理由で働いていればいいのに。
「どう? お金は貯まった?」
「お店はオープンできたで。でも、土地も買いたいからもう少し、もう少しの我慢やねん。土地を買えたら、風俗は辞めるわ」
「そうなんや、ほな、もうすぐ、風俗もやめれるんやな?」
「そうやで。もうすぐやで」
「じゃあ、もうひかりと会えなくなるなぁ」
「なんで? 連絡先は知ってるやんか、風俗やめても会えるんとちゃうの?」
「風俗を辞めても、プライベートで会ってくれるの?」
「勿論!」
「ところで今夜は?」
「ホテル行きたいんやろ? 崔君ならええで、行こう。うわ、プライベートのHって久しぶりやわ」
素晴らしい一時だった。
「腕枕するわ」
「うん、私を離さんといてや」
桃子の場合。
「なんで、私が風俗店で働いてるかわかる?」
「わからへん」
「私、バレリーナやねん。フランスの大きな舞台に立ちたいねん。そのために2千万以上必要やから、今、貯金してるねん」
こういう理由ならいい。素晴らしい。夢のために風俗で頑張っているなら、こちらも暗い気持ちにはならない。僕は、また安堵した。こういう理由なら、応援しやすい。僕の顔も明るくなる。ひかりの場合と同じだ。夢に向かって頑張ることはいい!
「貯金は、どう?」
「もうすぐ目標金額を達成! もう少しの辛抱やわ」
「そうかぁ、良かったなぁ」
「うん。それで、崔君、この後はどうするの?」
「どうしたい?」
「ホテルに行きたい。久しぶりにプライベートでしたい」
「勿論、OKやで!」
また、事が終わったら腕枕。
「私を離さないでね」
だが……。
みなみの場合。
「ちょっと。重い話やけで聞いてくれる?」
「うん、聞くで(話さないで!)」
「私な、高校の時に彼氏がミスって子供が出来てしもうたんやわぁ」
「うん、それで?」
「高校中退して産んだ」
「うん、それで?」
「彼氏と結婚した」
「うん、それで?」
「旦那が働かへんかってん」
「そうなん?」
「働いても、スグにやめるねん」
「うん、それで?」
「しかもDVやったんやわ」
「うん、それで?」
「別れた」
「うん、それで?」
「私の家も元旦那の家も貧乏やってん」
「うん、それで?」
「お給料の高い仕事ばかりしてたら、風俗に辿り着いたわ」
「そうなんや。子供は何歳くらい?」
「もうすぐ高校を卒業するわ。“大学に行ってもええで”って言うてるんやけど、高校出たら働くって言うてるから、もう少しの辛抱やわ。工業高校やから、就職は出来ると思うし」
「うん、うん……」
「ちょっと、崔君、なんで泣いてるの?」
「だって、だって……」
ダメなのだ。こういう話を聞くと、僕は泣いてしまうのだ。ここまで生きていくのに、みなみはどれだけ体と心を削られたのだろう? 今でこそ笑って話しているが、笑って話せるようになるまでに、どれだけの時間が必要だったのだろう? それを考えると涙が止まらない。
「ほら、早よ、泣き止んでや。今、こうして崔君と楽しく飲めてるんやから、それでええやんか、私は、それでいいと思ってるから」
満席の居酒屋、泣き止まない僕だった。
朱美の場合。
「ちょっと、聞いてくれる?」
「うん、聞くで(話さないで!)」
「私、高校中退して福井県から来たんやけど」
「あ、福井やったんや」
「うん、お母さんがいなくて、DVの親父と暮らしてたんやけど、DVがヒドイから家出したんやわ」
「家出やったんや」
「うん、それで?」
「最初は、寮のある仕事してた。飲食店とか」
「うん、それで?」
「18歳過ぎてからは、パチンコ店とか、スナックとか」
「うん、それで?」
「21歳で結婚して、22歳で出産したんよ」
「うん、それで?」
「旦那が浮気したんやわ」
「うん、それで?」
「浮気相手と暮らすからって言って、私と娘は捨てられてしもたわ」
「え! 捨てられたん?」
「うん、それからまた必死で働いたんやけど、結局、給料の高いこの仕事を選んだっていうわけやねん」
「うん、それで?」
「娘が高校を卒業するから、もうこの苦労も終わりやねん。普通の仕事に戻るわ」
「うん、それで?」
「娘に、“なんでウチはお父さんがいないの?”って聞かれる度にツラかったわ。まさか、捨てられたとは言われへんもんなぁ」
「……」
「ちょっと、崔君、なんで泣いてるの!?」
「だって、新婚で、子供産んで、捨てられるって……慰謝料とか養育費は貰った?」
「貰ってへんよ、元旦那はお金が無かったから……って、なんで崔君が泣くの?」
朱美はどれだけ傷ついたのだろう? 笑って話せるようになるまでに、どれだけの時間がかかったのだろう? 想像すると、やっぱり涙が止まらない僕だった。
めぐみの場合。
「なあ、崔君、聞いてや」
「何?(話さないで)」
「私なぁ、高校の時、拉致られたんやんかぁ」
「うん、それで?」
「まわされたんやんかぁ」
「うん、それで?」
「子供が出来たんやわぁ」
「うん、それで?」
「高校中退して産んだんやわぁ」
「うん、それで?」
「高校中退の中卒やったら、なかなかいい仕事が無いねん」
「うん、それで?」
「高い給料のところを探して、職業を転々としてたら風俗に辿り着いてん」
「……」
「ちょっと、崔君、なんで泣くんよ」
「だって、だって……」
めぐみは笑って話しているが、笑って話せるまでに、どれだけの時間が必要だったのだろう? 笑って話せるめぐみを見ていると、悲し過ぎた。また泣き止まない僕だった。僕は、泣くことしか出来ない。僕は同じことを繰り返す。ただ、泣くだけ。風俗嬢と付き合っていると、何度も自分の無力さを思い知るのだった。
みんな幸せでいられたらいいのに……。
離さないで、話さないで。 崔 梨遙(再) @sairiyousai
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