ねえ、白ってどんな色?

凪野海里

ねえ、白ってどんな色?

 幼馴染の雪江はとにかく白かった。

 比喩でもなんでもない。文字通りに白かった。肌の色、髪の色、瞳の色。全てが真っ白。まるで彼女自身が世界から切り離されてでもいるかのように、世界に色がある代わりに、彼女自身の色が初めから失われているみたいだった。

 彼女の両親は、黒色の髪と黒色の瞳、そして日本人にはありがちなペールオレンジの肌をしていた。ゆえに、雪江の白は遺伝ではない。どうやら先天的なものらしかった。

 それにくわえて、彼女は目が見えなかった。これもやはり先天的なもので、そして病気がちの体質をしており、学校に通ったことはほとんどなく1年の大半を自室のベッドの上で過ごしていた。

 そして僕は学校から帰ると、いつも決まって自分の家の窓を開ける。そうすると雪江の家の、彼女の部屋の窓が見える。彼女はいつも窓を開けて僕を待っていた。たとえ目が見えなくても、彼女は匂いと音で僕が帰ってくることを判断する。


「あ、香輝!」


 気づいた雪江は、僕の名前を呼んでうっすらと笑いかけた。彼女の笑顔はまるで、日差しを浴びればたちまち解けていく雪のような儚さがあった。僕は笑顔を返して、「ただいま」を言う。


「香輝は4月から美大か」

「うん」

「すごいね」

「そうでもないよ」

「ねえ、香輝の好きな色って何?」

「白、かな」


 僕らの交わす会話はいつも、とりとめのないものばかりだった。家に出ることのない雪江は、外の世界を知りたがった。僕はその日あったことや、どうでも良いことを報告する。

 雪江はどんなにつまらないことでも、楽しそうに僕の話を聞いてくれた。


「私のこと、かわいく描いてね」


 窓辺にキャンバスをたてかけた音でわかったのか、雪江は唐突にそんなことを言った。

 何を描くかなんてまだ口にしてもいないのに、彼女は僕の心が読めるみたいに先手を打ってきたのだ。


「努力はするけど、かわいく描けたところで見えないでしょ」


 目が見えない人間に失礼な物言いをしているかもしれないが、雪江は逆にそういった気遣いを向けられる方が嫌がることを僕は知っている。

 雪江は笑った。口をおさえて、とても上品に。


「香輝ならきっとかわいく描いてくれるってわかるよ」


 その笑い方は、彼女が好きな小説にでてくる登場人物がよくしている仕草らしい。深窓の令嬢と、いうのだそうだ。





「ねえ、白ってどんな色かな?」


 ある冬の日のこと、雪江がベッドの上でそう問いかけてきた。お互いの家の窓は締めきっていた。寒いし、雪が降っていたし、何より雪江は季節の変わり目に引いた風邪がいまだ完治していなかったからだ。

 お互いにスマホで通話していた。とはいえ、僕はもっぱら描くことに専念していて、雪江ばかりが喋っていた。彼女が喋るたびに、窓越しにいる彼女の口がパクパク動く。顔の色は白いを通り越して青に近かった。

 僕は例によって、キャンバスの上に雪江を描いていた。完成間近だった。おそらく、彼女の20歳の誕生日には間に合うだろうと思われた。


「ねえ、香輝。どんな色?」


 彼女は生まれた頃から目が見えない。そんな彼女に、白がどんな色かなんて説いたところで、無意味なものだった。

 雪江は家の外に出られない代わりに、1人でも時間を費やせる趣味をもっていた。読書をしたり、音楽を聴いたり。そういったものに触れていても、彼女の視界はきっと暗いままだ。白い目は僕を見ているつもりでも、まったく関係ない方向を見て喋っている。

 僕はしばらく黙ったあと、呟いた。


「雪江、みたいな色かな」

「プッ、何それ」


 口をおさえて、クスクスと上品に笑う彼女に、僕はこれ以上どう答えたら良いかわからなかった。だって本当に答えようがなかった。

 僕は、雪江のような白を他に知らない。

 雪江のように、触れてしまえばその瞬間から消えてしまいそうな白を知らない。

 僕は雪江に触ったことさえなかった。いつも窓越しの、ほんの数メートルの距離でお喋りするしかないお隣さん。僕らの関係性は、そんなものだった。


「ねえ、香輝。かわいく描いてね」


 それを最後に、彼女からの通話はぷつりと途絶える。

 キャンバスから顔をあげたとき、彼女の部屋の窓はカーテンがぴたりと閉じられていた。





 11月。僕は初めて彼女の部屋を訪れた。

 けれど出迎えてくれるはずの部屋の主は、ここにはいない。僕ととりとめのない話をするために、いつもいた窓辺のベッドの上はもぬけの殻だ。

 代わりに僕を部屋まで案内してくれた彼女の母は、「雪江がいたときのままにしてあるのよ」と教えてくれる。

 肌の色も、髪の色も、目の色も。少しも雪江の親らしくはないけれど、笑った顔は間違いなく雪江を思わせた。口をおさえていれば、なおのこと。

 僕はお礼を言って、手にしていたキャンバスを彼女の母に差し出した。


「雪江、かわいく描いてねって言ってたので」


 なんの説明にもなっていないけれど、彼女の母は僕が描いた雪江を見てはらり、とその頬に一筋の涙をこぼす。


「ああ、そっくりね」


 そう呟いて、ほろほろこぼれる涙を見ながら、僕は静かに彼女の冥福を祈った。

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