第16話 ハンカチ
波音にも、かき消されそうな、消え入りそうな
か細い声で、君は、僕を呼んだ。
「私の...名前を呼んで。」
「沙月さん。」
「『合言葉』よ。」
「『さん』はつけずに、呼んで。」
「...沙月。」
そう呼ばれた時、君は、沙月は、また僕を抱きしめた。
「ありがとう。」
「そのついでにだけど...」
「私の、恋人になって。」
「大事な告白なのに、ついでの感覚でいいのそれ?」
サラッと、追加のオーダーをする感覚で、
6つ目のお願い、告白をした沙月に、
僕は思わず、苦笑いをしちゃった。
「ダメなの?」
「ダメじゃないよ。」
でも、僕の気持ちも、同じ。
「喜んで、沙月の恋人に、なって下さい。」
僕の返事に、沙月は、大きく息を吐いて、
安心した様に、力が抜けたのが分かる。
「...はい。」
「じゃあ、恋人になったのだから、
沙月も、僕の名前を呼んでよ。」
「...颯斗。」
沙月も、僕の名前を呼んでくれた。
たとえ、1日にも満たない、恋仲と呼ばれないとしても、
僕は、沙月との、この瞬間を、今は、幸せに思う。
「...バカ。」
でも、どうして、その結論に辿りついたのだろうか。
「あぁあ、颯斗が、たくさんのお願いを
叶えてくれたら、悔いなく逝けると思ったのにさ。」
「これじゃあ、未練がましく残っちゃうじゃない...。」
「スッキリして、この世とさよならをするつもりだったのに...。」
「颯斗のせいで、心残りができるじゃないの...。」
「颯斗のバカ。」
詳しく僕をバカだという説明を、こうも言語化してくれた。
沙月の言葉は、僕の胸にも、突き刺さっていく。
すでに、僕は、沙月がいなくなる現実に、
もう一緒に夢を見られない事を、女々しいまでに、
引きずっているのだから。
「バカですよ。」
「けど、バカじゃないと、沙月の恋人は務まらないからね。」
「私は、面倒な女って事なの?」
「変なのは、間違いないけど。」
「何よ、それ。」
「でも、僕は、そんな沙月が好きだ。」
「だから、いつまでも、一緒にいたいし、
何なら、この夢に、ずっといたい。」
「現実から逃げてでも、沙月と一緒の夢を見たいんだ。」
「沙月のいない現実を、僕は、認めたくない。」
僕の正直で、ウソ、偽りのない、本音。
決して、口には、したくなかった。
一度、それを出してしまったら、もう二度と、
沙月との夢を、見られなくなってしまう、
そんな悪夢の様な現実を受け入れたくはなかった。
けれども、心の綺麗な沙月を前にして、
今更、口にしない訳にはいかない。
「...バカ。」
「そんな事を言われたら、余計に、心残りじゃない...。」
沙月の腕が、体が、震えていた。
「最後の夢で、颯斗と会えたら、満足すると思ったのに...。」
「颯斗と会ったら、私のわがままが叶えば叶う程、
もっと、たくさんの事ができたのにって...。」
「私に会いにきてくれた、合言葉を覚えてくれた、
フラペチーノを飲んでくれた、ライブに行ってくれた、
私の笑った顔を好きって言ってくれた。」
「私の演奏を聞いてくれた、綺麗な海や星空を見てくれた、
天体観測をしてくれた、一緒に、夏休みの宿題をしてくれた。」
「ギュッと抱きしめてくれた、キスをしてくれた、
私の名前を...呼んでくれた。」
これまでの思い出をなぞる様に、
かけ廻る走馬灯を順番に説明してくれた
沙月の声が、どんどん、悲痛に変わっていく。
「たくさんの颯斗との思い出...。」
「もっと...。」
「もっと...したかった。」
「修学旅行に行きたかった、体育祭や文化祭を周りたかった。」
「クリスマスを過ごしたかった。」
「年越しを迎えたかった、初詣をしたかった、
バレンタインのチョコを渡したかった、颯斗からの
お返しのホワイトデーを受け取りたかった。」
「3年生で、クラスが一緒になりたかった、
毎日、一緒に帰りたかった、いつものカフェで
美味しいフラペチーノを飲みたかった。」
「一緒に受験を頑張って、同じ大学に行きたかった、
もっと、手を繋ぎたかった、もっと、キスをしたかった。」
「エッチな事だってしたかった、それで、大人になったら、
颯斗と結婚して、子供がいて、家庭がいて、一緒に歳を
重ねて、おじいちゃんとおばあちゃんになったら...。」
「良い夢だねって、良い人生だったねって。」
「笑って、終われると思ったのにな...。」
言葉に詰まった、沙月は、その場で泣き崩れた。
「もっと、颯斗と一緒にいたかったよ...。」
その場に、力無く、座り込んでしまった沙月に
僕は、彼女に合わせる様に、海辺にしゃがんだ。
それに合わせる様に、僕は、沙月の後ろに回り込み、
両足を開いて、彼女を間に入れる様にして、
そっと、両手で抱きしめた。
「死にたくないよ。」
「なんで私が...。」
誰にも、咎める事なんてできない現実。
やり場のない感情で、沙月は、ただただ泣いていた。
あれだけ笑って、星の様に、輝いていた
沙月の心は、悲しみの淵にいる。
「ごめんね。」
「私ばかり、話してばっかで。」
そんな時でも、沙月は、僕を気遣ってくれている。
その優しさが、愛情が、大好きだ。
「大丈夫だよ。」
「僕も...沙月と同じ気持ちだからさ。」
「...嬉しい。」
僕は、ハンカチを取り出して、彼女に渡した。
「ありがとう。」
「ハンカチは、沙月が泣いた時の為に、あるものだから。」
「この女誑し。」
「誑すのは、沙月だけだけどね。」
「フフッ...そうね。」
泣くに泣いた沙月は、落ち着きを取り戻し、
振り返って、僕を笑って、見つめてきた。
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