第9話 またね



「そろそろ時間だね。」



それから、沙月さんは、色々と話して、

あっという間に、外は、夜になった。



親が転勤族で、あちこち引越ししていて、

ピアノは、小さい頃からの習い事。



ちなみに、ヴァイオリンも弾けるそうだ。



高校生になってから、ようやく落ち着き、

地に足をつけて、学生ライフを楽しむ予定。



僕は、ずっと、同じ地域に住む地元民だから、

彼女のいた世界は、同じ空を見ている筈なのに、

随分と、広がりの違いを感じた。



僕も、彼女の様な、翼を広げられる自由が

あったら、仮面を被らずに済んだのかな。



いや、彼女には、彼女の事情がある。



転校が多いせいで、クラスの友達との時間を

多くは、過ごせなかったのかもしれない。



ちょっとだけしか聞かなかったけど、

家庭の事情もあっただろうし、憧れや羨ましさは、

知らない人間の一方通行だ。



「暗くなってきたし、帰りますか。」



せめてもの気遣いに、サラッと、空になった

2つのプラスチック容器を持って、ゴミ箱へ。



少し後に、沙月さんが後ろから着いてきて、

そのまま、階段を降りて、店を出た。



まだ、冬の名残りか、人肌寒さが、頬に触れる。



「あぁ、美味しかったね。」



「そうですね。」



「他の抹茶ラテも、美味しそうでした。」



「そういう系だと、この前まで、

ピスタチオ味があって、きっと、

碧くんなら気に入ったと思うよ。」



「何ですか、そのオシャレ横文字ドリンクは...。」



残念ながら、期間限定品で、別の機会になったけど、

沙月さんからの耳寄りな情報は、新鮮だ。



肩身の狭い世界に生きてきたけど、

彼女のお陰で、少しは、肩幅を効かして

歩ける様になっているのかな。



1〜2時間の滞在だけで、沙月さんと会うだけで、

僕の見る世界は、変わっていく。



「今日は、ありがとうね。」



解散する時に、彼女が、お礼を伝えてきた。



「こちらこそ。」



お礼を言わなきゃいけないのは僕なのに、

誰かに後ろ指を指される様で、後ろめたい。



「あとね、嬉しかった。」



百歩譲って、お礼を言うのは、わかるとして、

彼女が喜ぶ事をした覚えはない。



ちんぷんかんぷんな僕だが、沙月さんは、

柔らかい声で、教えてくれた。



「分かっちゃったかもしれないけど、

私の家庭って、ちょっと複雑なんだ。」



「みんな、大変でしょとか、色々と

心配するけど、どこか一線を引いていた。」



「でも、碧くんは、そんな私の話を

ただ、まっすぐに、聞いてくれていた。」



「言葉じゃない、心で、聞いてくれた。」



「それが、嬉しかったの。」



ただ、偽りの僕を演じていただけで、

むしろ、騙して酷い事をしているのに、

彼女は、僕を正直だという。



「気にならないと言ったら嘘になるけど、

気にはしないし、色々とあるでしょうから。」



白も黒もハッキリとしない、濁ったグレーの返事。



「ちょっとは、気にしてもいいんだよ?」



「沙月さんが、言いたい時に言って下さいね。」



「ちょっとは、気にしてもいいんだよ!?」



素っ気ない態度だったかもしれないけど、

少しでも、彼女の心が軽やかになるならば、

これ位、屁のかっぱ。



「一つ、忘れていました。」



「どうしたの?」



最後に、もう一つだけ。



「沙月さんの心が強く動いた時に、

夢にいると言っていましたよね?」



「うん、それがどうかしたの?」



「じゃあ、行きたい所とかあったりしますか?」



「あっ...!」



僕の言わんとする事を、彼女は、察知すると、

ハッと、今まで気づかなかった事に気づくや、

驚いて、目を見開いていた。



「そういう事ね!」



「そう言う事です。」



彼女の目から、綺麗な鱗が、何枚もポロポロと落ちている。



「なんで、今まで気づかなかったのかしら...。」



その時々の彼女の感情に反映されて、

夢の世界は、形作られている。



では、彼女の見たい、行きたい所があるならば、

少しは、希望のある夢になるのでは?



そう思い、彼女に、聞いてみたのだ。



「せっかくなら、沙月さんのやりたい事とか

そういう願いが込められた夢でしたら、

叶い放題じゃないですか。」



「3つのお願いを叶えてくれるランプの精が

聞いたら、怒っちゃうかもしれませんが。」



お株を奪われては、きっと、あの青い魔人も、

赤くなって、報復しに来るのかもしれない。



でも、沙月さんは、クスッと、笑い返す。



「いいじゃない。」



「自由にしてあげたら、逆に、感謝されるわ。」



冗談にもならないユーモアに、ウィットに、

返してくれるのだから、彼女は賢明だ。



「行きたい所か...。」



「じゃあ、今度、あそこに連れていって欲しいなぁ。」



「ついでに、僕も一緒ですか...。」



「言い出しっぺなんだから、付き合いなさいよ。」



「女の子を一人で、行かせる気?」



ちょっと不貞腐れているけれど、サラッと、

デートに誘う度胸のある彼女を、僕は、見習いたい。



「美味しいフラッペを奢りますし、

一緒に行きますし、わかりましたから。」



苦し紛れに、物で人を釣ってしまったけど、

沙月さんは、手の平を返す様な態度に変わる。



「ほんと?」



「二言はないので、ほんとです。」



「その言葉、忘れないからね。」



言質を取った事で、片方の頬をあげる

沙月さんが、悪人面みたいだけど、

これもこれで、悪くないかも。



「それで、どこに?」



「そうね...たくさんあるけど...」



夜空を見上げ、少し悩みながらも、

沙月さんは、顔を下ろして、僕を見た。



「ライブ!」



「ライブ?」



「そう!私の好きな歌手のライブ!」



「チケット予約の抽選が外れて悔しかったの!」



意外な選択と彼女の一面に、面食らったけど、

それが、彼女の最初の行きたい所に決まった。



余程、悔しいのか、背中が燃えている様に見えた。



「じゃあ、ライブに行きましょうか。」



「うん!」



今日一番の、元気と笑顔を見せてくれた

沙月さんに、自然と、心も体も、溶けた。



「じゃあ、また。」



「またね。」



たった3文字で、彼女との繋がりを感じられる

僕は、やっぱり、変なのかもしれない。


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