第2話 出席番号



ーーポロンポロン。



いつもと同じ空間、いつもと同じ時間、

いつもと同じ風景、いつもと同じ道...



無意識に刻まれた僕の習慣に、違和感。



いや、日常ではないものが、届いた。



楽器の音、ピアノを弾いている音かな。



いつもならば、グラウンドの野球部の野太い声や

体育館のシューズと床の摩擦音しか、聞こえない。



なのに、今日は、すごく綺麗な音色。



図書館に向かっているはずの足が、

うっかり、立ち止まったじゃん。



これでも、規則正しい、体内時計で過ごしてきたのに、

スケジュールが崩れちゃった。



けど、それは僕にとっては、どうでも良くて、

せっかくならば、この音源を辿ってやろう。



どうせ、青春時代の刹那に過ぎない。



きっと、吹奏楽部の誰かが、練習してるだけ。



野次馬根性の暇つぶし。



けど、どうしてだろう。



心のどこかで、つまらない現実を壊してくれる

キッカケをくれるんじゃないかってね。



ちょっとだけ、足取りが軽いのを感じる。



階段を登るのは、好かないけど、

3階まで、何とか上がって、角の教室の扉。



どんどん、ピアノの音が大きく聞こえてくる。



ーードクン...!



心臓の鼓動が、強い。



我ながら、緊張するなんて、僕らしくない。



もし、複数の生徒達がいて、明らかに、

部外者の僕が、居合わせたら、バツが悪い。



言い訳などできないし、ここは、慎重に。



ーーガラッ...。



ゆっくりと、横スライドの扉を数センチだけ

開けて、覗いてみる。



ーーいた...。



どうやら、一人しかいないみたい。



ーープー!



遠くから、吹奏楽部の演奏音が聞こえてくる。



文化祭とかで、演奏を観た事があるけれど、

ピアノ担当の生徒はいない。



ーー誰だ?



ますます、興味の方が深くなってきた。



ゆっくりと、音を立てず、相手に僕の存在、

気配を察知させない様に、開けていく。



大人一人が通れる幅まで、開けても、

演奏者は、僕に気づいていない。



ずっと、心地の良いメロディが、耳から脳へ、

そして、心にまで、深く浸透していく。



重たい胸のつっかえが取れた様な

音楽の、癒しのパワーというものなのかな。



それから、音楽教室に、一歩踏み込んだ。



何かもう、引き返せない感覚だ。



蛇が出るのか、鬼が出るのか。



失礼極まりない発言だけど、とにかく、

注意深く、相手を確かめないと。



ーーいた。



僕の目に狂いがなければ、

ピアノ越しにいるのは女の子だ。



制服姿で、どうやら同じ高校の生徒。



肩まで伸びた艶やかな黒髪、

ピンッと、真っ直ぐに伸びた姿勢、

黒縁のメガネをかけていた。



目の前の鍵盤に集中して、僕に気づいていない。



でも、その瞳は、吸い込まれる様に、綺麗だった。



澄み渡っていて、不純がない。



淀んだ僕の心とは、対照的。



彼女の所作や佇まいだけで、存在の大きさを感じる。



「キレイ...。」



つい、心の声が、感想が漏れてしまった。



「えっ?」



ちょうど、演奏が止まったタイミングで、

僕の声が、偶然、彼女の耳に届いてしまい、

こちらに向かって、振り向いた。



「すすす、すみません...!」



全力で、頭を下げて、謝罪した。



ここで、あらぬ疑いをかけられて、

僕の学校生活を脅かされるのだけは、

絶対に、勘弁、願いたい。



「たまたま、綺麗な音が聞こえてきて、

演奏の邪魔にならない様に、失礼して...!」



慌てふためいて、冷や汗が流れ、

全身が、真っ赤になっているのを感じる。



ーークス...。



そんな僕を見て、彼女は、笑った。



「よかったぁ。」



「変な人だったら、どうしようと思っちゃった。」



ーードキィッ!



明らかに、不審者が突然、教室に入ってきたんだ。



図星を突かれてしまって、両肩が震え上がったけど、

彼女は、微笑んで、僕を見つめていた。



警戒はしていない様子で、純粋に、

音楽を聞きにきたと分かったのと、

僕のリアクションがおかしかったみたい。



「すみません...。」



「静かに入ってきて、他の人から見たら、

変な人を通り越して、不審者ですね...。」



自虐にも似た僕の言葉が、冗談に聞こえたのか、

彼女は、また、笑った。



その眩しい笑顔に、尊ささえ感じてしまう。



「ううん。」



「正直で、面白いね。」



面白いって言われたのは、初めてだ。



けど、偽物を演じている僕からすれば、

正直という感想は、胸が痛い。



椅子から立ち上がった彼女は、丁寧に、

元の位置に戻して、こちらに、歩を進めてきた。



とりあえず、一難は去った。



だけど、すぐに、また一難。



1対1で、女の子と話した経験がない。



さっきは、勢いで、何とか話せたけど、

頭が冷えてきた今、状況的に考えると、

音楽教室で、僕と彼女だけの空間。



ーードクン...!



また、心拍数が上がった。



身体が熱い。



彼女の姿を直視するのが、恥ずかしい。



「ありがとう...ございます。」



「あの...。」



声の上擦りを抑えながら、沈黙の間を

作らない様に、何とか、話題を絞り出す。



「自己紹介が、まだでしたが。」



「僕の名前は、碧颯斗です。」



「2年3組、出席番号は3番です。」



直立不動の態勢で、緊張して、真面目に

クラスだけでなく、出席番号という、

不要な情報まで、紹介してしまった。



「あいうえおの順番なのに、1番じゃないんだね...。」



「おかしい...!」



不幸中の幸いか、彼女の笑いのツボに

ヒットして、吹いてしまっていた。



言われてみれば、僕が1番じゃないのは、

あいがつく苗字の人が、たまたま2人いて、

その偶然がなければ、番号は1なのだ。



そんな事情をさておき、わざわざ、

番号まで言う僕に、彼女は、堪えられなかった。



「ハァ...ごめんね。」



お腹と口を押さえながら、ひとしきり

笑い終えた彼女が、息をついて、謝ってきた。



謝る立場にあるのは、僕なのだけど、

彼女の笑いのお陰で、空気が和らぎ、

一気に、明るくなった。



「次は、私だね。」



「私の名前は、橘沙月たちばなさつき。」


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