ナイトブルー

@oborodesu

ナイトブルー

 今日の帰り道、私は今見上げている空の色が——欲しいと思った。真っ白な布をその空に浸して、持ち帰ることができたらいいのにと思った。時刻は午後五時半過ぎ、まだ太陽が沈んで間もないというのに、一面が夜の青に覆われていて、星の見えない、曇りがかった冬の空であった。

 布に染み込ませてそのまま取り出すことは出来ないにせよ、家に帰ってから、押し入れの絵の具セットを引っ張り出してきて、自分の手で作り出すことは可能かもしれない。であれば、まずはナイトブルーを取り出す。必要によってプルシャンかセルリアンブルーを加えて混ぜる。そしてグレー。このグレーが無くては、この空の色を作ることはできない。グレーは靄の色、この空の曇りがかった青の色味は、グレーを入れることによってのみ、完全なものにすることができる。空の端の、まだ暗くなりきっていないところを見ると、場合によっては緑系統の絵の具(これは意外と鮮やかな黄緑、ライムグリーンのような)も必要かもしれない。


 ——そういえば、キャンバス一面が、青一色に塗り潰された絵があったなということを思い出す。あれを初めて見たときは、なぜ作者がそんなものを描いたのか、その気持ちがまるで想像できなかったが、今の私はその画家に倣って、私が今作った青い空の色で一面を塗り潰した絵を作りたいと思った。——そんなことを考えていると、いつの間にか、空はもう一段暗い色になっていた。暗くなった青と、今私が歩いている、コンクリートの雑然としたグレーは相性がとても良い。良い色の取り合わせだと思った。


 思えば、私が今買って帰ってきた本の装丁も、グレーと青の取り合わせだった。そのグレーはもう少し明るめのグレーで(黒と白のちょうど中間くらいだと思った)、青はもう少し原色に近い、ネイビーという感じだった。私はその色の背表紙に惹かれて、つい手に取ってしまった。知らない哲学者の本だった。しかしその題と帯の説明書きを見て、中身が気になってしまった。文庫が2冊か3冊買える値段だったから、どうしようかと店の中を一周して、またそこに戻って来て、本を開いてまえがきを読み始めた。国語の試験問題を解くときのやり方を思い出して、要点を整理しながら、高速で読んでいった。読んでみて、やっぱり、これは私に必要な本だと感じた。


 装丁が気に入ったから、中身はともかく欲しいと思った、というのはもちろんで、それを否定することはできない。しかし、その本は、私が以前から心の片隅で抱えていた、について考えている本だったので、その本を読むことが、私の使命、義務であると、私は感じたのだった。そのというのは、最近は次第に薄れて、私の中から消え去ろうとしていたものだったが、この機会に、きちんと向き合って、解決せねばならない、と思うことだった。それに、仮に今日買わないで帰ったとしても、一週間後、一か月後にはまたここに来て買って帰ったに違いないのだった。

 ——グレーという色が、私をこの本に引き合わせてくれた。物事を考えるとき、私は靄の中を当てもなく彷徨っているような感覚を覚える。だからグレーは思索の色、哲学の色なのだ。


 私はレジで、その本にカバーをかけてもらった。家に持ち帰るまでに傷をつけたくなかったし(ただのつるつるとしたのではなく、細かなエンボスのかかった特殊な紙のカバーだったから一層)、これは少し残念なことだが、美しい色は、目で見ているより、頭で想像する方がずっと美しく見えるということを、私は知っていた。


 家に帰ってから、(本棚にこの本を差す空きがなかったので)ベッドの上に避難させて置いてみたところ、私の家の寝具の色も同じ色をしていて、それに気づいてなんだか可笑しかった。といっても、本には書店でかけてもらったカバーがかかっているので、実際には紺色のベッドシーツの上に、ベージュ色のカバーがかかった本が置いてあるだけなのだが。

 そのカバーの下では、さぞかし綺麗な青とグレーが眠っていることだろう。

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