足元

@hinorisa

 

プロローグ

 その人は、十月になると決して出雲後に足を踏み入れない。なぜならば、子供の頃に、親の用事で連れていかれた出雲で見てしまったから。

 人に紛れて歩く、体の部品の欠けた人の形をした影達。


本編

 ——子供の頃、十月に親戚の家を家族で尋ねた事がある。

 理由は朧気だが、確か何故だが急に予定が決まり、小学生であった彼は、流石に一人で留守番は無理だと、急遽学校を休む事になった。


 そうして連れていかれた親戚の家。昔ながらも木造建築に広い前庭には立派な枝ぶりの松と梅と山茶花や芍薬。母屋とは別に離れがあり、そこを繋ぐ中庭は松、梅、木瓜や梔子や沈丁花。時季外れで咲いていない花は多いが、四季折々の風景を工夫されており、風流が分からない子供でも何故だが胸がときめいた。

 田舎の代表のような言われ方をされていても、子供にとっては大差ない。どっちにしろ、子供一人では買い物をする事も、遊興施設に遊びに行く事も無い。

 携帯ゲーム機とお菓子と飲み物、寛げる場所と興味を刺激する探検場所。それらがあれば数日ぐらいは平気だ。

 ましてや平日で、本来であれば学校に行って勉学に励んでいる時間帯に、堂々と遊んでいるという非日常が気分を高揚させる。

 彼はそんな非日常の中を一人冒険する事にした。


 もちろん親には周囲の探索に出かける事を知らせた。元より放任主義である親は、彼に注意をして、それを了承する事で外出を許可した。

 人に迷惑をかけるような事や、他人の家に勝手に入らない事。知らない人には付いて行かない。車と水場には気を付けて近寄らない事。あまり遠くには行かず、親戚の家が目視できる範囲で遊ぶ事。

 それらは日頃から親に言い聞かせられている事で、彼にとってはそう難しい事ではない。

 元より、彼は人見知りなため、率先して初対面の人に話しかけるような真似はしない。少々単独行動が多く、冒険心が人より強い程度で、率先して親や他者に迷惑行為をする事もしない。その辺りは信用されていたおかげで、無事に彼は見知らぬ土地の散策に出かけた。


 駅の傍は半外で賑わってはいたが、少し離れた場所にある地域は閑散としている。バスなども一時間に一本も珍しくない。車がなければかなり不便な土地ではある。

 それでも周囲に広がる田畑や山々、家屋同士の距離も開いており、その光景は良き田舎の風景という言葉がふさわしい。

 視界いっぱいに広がる田んぼでは、収穫時期を迎えた稲穂が頭を垂れ、風によって波打つ様は息を呑むほど美しい。ざわざわと稲が山が波打ち、澄んだ空を漂う雲が急ぎ足で流れていく。


 彼はその光景を眺めながら、舗装されて時間が経ち掠れた白線の上を歩いていく。

 気が付けば家は遠く、田んぼに出来た金色の海の上の孤島のように見える。

 そろそろ戻った方が良いかと彼がぼんやりと考えていると、目の間にそびえ立つ山肌に、古ぼけた小さな階段を見つけた。

 段の角が掛けたり苔が生えた個所もあるが、手入れがなされているのが分かる程度には整えられている。

 冒険心を刺激された彼は、その階段を上る事に躊躇しない。少なくとも親との約束通り、親戚の家が見える範囲ではあるし、上まで行ってすぐに戻ってくればいいと思ったからだ。

 さっと行って、さっと戻ればいい。そう思って階段を一段一段、転んだりしないように気を付けながら登っていく。


 生い茂った木々によって日光は遮られ、階段付近は薄暗く、少しじめっとしている。少し傾斜のきつい階段を彼は難なく登り切る。

 石の階段は山の途中で終わっており、中腹にある小さな社まで通じていた。

 薄暗い中にひっそりと建つ社は物寂しい。質素な木製の社の前には小さな賽銭箱と、赤い紐の付いた鈴がぶら下がっている。木製の格子の扉の奥は暗く、彼の位置からは中は見えない。

 いつもであれば躊躇う事無く近づき、中を覗いたり、鈴を鳴らしなりするのだろうが、何となく、そんな気にはならなかった。

 先ほどまで吹いていた筈の風が止まり、社の付近の空気が停滞している。

 静謐な空気が来訪者を拒絶している様に思えて、彼はそれ以上進む事が出来なかった。

 不意に、この土地に来る前に親が言っていた言葉が彼の脳裏をよぎる。

「十月は神無月。けれど、出雲後では神在月。日本全国の神様が、出雲後に集まる」

 ……もしかしたら、此処の神様は留守にしていて、勝手に人の家に入ってはいけない。

 子供ながらに、留守の家を訪問するのは迷惑だろうと思い、彼は頭を下げて心の中で謝罪をして、踵を返してその場から立ち去った。


 親戚宅で一泊した後、折角だからと出雲大社にお参りをして帰路に着こうという話になり、彼は両親と共に出雲大社を訪れた。

 平日は言えど、観光シーズンという事もあり、それなりに観光客な多い。

 見上げるほどの大きな鳥居は圧巻で、彼は感嘆の息をついた。

 親に促されて、白い石の鳥居の前で一礼をして潜る。不意に空気が変わった気がした。

 参道の真ん中は神様が通るのだと親に言われて、彼は何となく参道の真ん中を注視していた。不意に視界の中で何かが動いた気がして、自然とそれを目で追ったのだが、親に呼び止められて我に返った。

 二つ目の鋼で出来た鳥居は重厚で、そこにあるだけで存在感が強い。彼は一礼をして親に続いて潜り抜けると、空気が一段と済んだモノに変わった気がした。

 参道の端を行きかう人の流れに乗り、彼らはどんどんと奥へと進む。その最中、何度も視界の端を影が過ったのだが、彼の瞳はそれらを捉える事が出来ずにいる。

 祓の社に参り、同じように鉄の鳥居、銅の鳥居を潜り抜ける。そこまで来ると空気がとても澄んでいて、鳥居の向こうとこちらでは全然違うと、彼は素直に驚いていた。


 手水屋で親の真似をして手と口を清めた後、拝殿の前の参拝客を何となく眺めていると、時折妙な雰囲気を纏っている人達がいる事に気が付いた。

 確かにそこに誰かが居るのは分かるのだが、どういう人間かが分からない。視認しているというのに、脳がそれを認識する事を拒んでいるかのように、そこに居る、という事しか分からない。

 どういう顔で、どういう服装で、どういう背格好をしているのかが分からないのだ。

 目と頭の中とで起こる矛盾に彼は大いに混乱した。体温が一気に下がり、思考が鈍くなっていく。だというのに、肌で感じる空気の流れと、耳で捉える空気の音が鋭くなっていく。

 キィ―ンと耳鳴りがして、周囲にいる参拝客にまつわる音が遠のいていき、代わりにそれ以外の細かな音が近づいてくるのような錯覚を覚える。

 ザッザッと何かの足音が近づいてくる。一つではなく、複数の音が、布ずれの音、金属がぶつかる音、空気が揺れる音がする。

 彼の周りの風景が動いてるのを感じていた。正しくは周りではなく、彼が両親と共に拝殿に参拝をしている。

 頭の中で両親の言われた通り、ニ礼四拍手一礼をして、とりあえず家族が平穏無事をある事を感謝した。前に何かで神様に感謝を述べた方がいいと、聞いた事があったからだ。

 それが終わると、他の参拝客の邪魔にならない様に来た道を戻る。銅、鉄、鋼、石と順に鳥居をくぐり、出雲大社境内の玄関に当たる勢溜へと戻ってきても、遠のいてしまった生活音が戻ってこない。

 両親が彼に何か話しかけているのは分かるのだが、彼には薄い膜を通して見ているかのようにに感じられる。

 ジャリ、と足の裏が地面をする音がすぐ傍でした。

 バクバクと心臓が強く脈打つのを感じ取りながら、彼は出来るだけ顔を動かさずに視線だけを音の方に向ける。

 ——足が歩いている。

 足、脚……?

 ふくらはぎより上は何もなく、本体たるべき頭も胴体もない。ただ、草履を履いた足だけがそこを歩いている。

 その光景は恐怖以外の何物でない筈だというのに、彼は他人事のように眺めている。

 独りでに動く足の横を、右腕がなく、横腹から右太腿までの肉が削り取られたような、人の形をした何かが通り過ぎていく。

 他にも体のどこかが欠け、穴が開いている人の形をしたモノと、脚しかない何かが歩いている。


 彼が首を神門通りへと向けると、沢山の人影が歩いているのが見える。観光客にぶつかる事も無く、当たり前のように歩いている。

 やはり、どういった人相でどういう背格好をしているかは分からない。それでも、それらが彼とは全く違う存在だと、何となくだが理解した。


「——あまり、彼らを見ない方がいい」


 彼のすぐ隣で声がした。今、彼にだけ、認識できる声。


「人間は形がなければ、私達を認識できない。だから君たちの願いを聞き届けて人の形をとった。けど、君達は平気で、自分達の営みのために、彼らの体を削り、穴をあけて道を作り、流れを変えてしまう」


 彼の視界に、一人の少女が映った。

 どういう見た目をしているかは分からないが、とても綺麗な少女だと、漠然と思った。彼が今まで見た事も無いような、綺麗な少女。


「——ありがとう。褒めてもらえると素直に嬉しいよ。丁度出掛けようとした時に、君が来た。君は感が良いんだね。私が出かけるのを察してくれた」


 そういって少女は鈴のように笑った。


 それ以来、彼は時折、影を見た気がする時がある。耳鳴りもする時があるが、少女の事を思い出すと、自然とそれらが遠のいていく。

 あれらが何だったのか、彼には漠然としか分からない。

 けれど、彼らは昔はちゃんと人の形をしていたのだろう。人が、自らの営みのために、彼らを削ってしまった。

 町同士の交通が不便だからとトンネルを掘り、住宅街を作るからと山肌を削り、此処にあるのは邪魔になるからと川の流れを変え、土地が足りないからと埋めた。


 ——本当に、人間とは業が深い。

 

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