色違いの証言
黒中光
第1話
交差点の真ん中に立っていた高崎巡査は、信号が青から黄色、そして赤へと変わるのを見て、誘導棒を下ろす。近くに居た作業員と互いにガッツポーズして健闘を称え合う。
二時間前、ハンドル操作を誤った車に突っ込まれた信号が完全に壊れ、交差点がパニックになった。近くの交番に勤務する高崎巡査が交通整理をすることになったのだが、道の真ん中に立ちっぱなし、そのくせ車はひっきりなしにやってくるので、体力的にも中々に厳しい物があった。作業員が電柱に上って点検する間、復旧を待ちわびて何度も見上げてしまったほどだ。
棒のように強ばった足をほぐすために屈伸していると、「待てー」という声と共に同僚が息を切らせてやって来た。
「おい、高崎。こっちに不審な奴が来なかったか」
「いえ。君島さん。どうかしましたか」
「くそ、ひったりくりだ。被害者の女が腰抜かしててな。逃げたって言う方に向かって走ってきたんだが……本当に、変な奴は来なかったのか」
「来ませんでしたよ。この道、車はよく通りますけど、歩行者は少ないですし。相手、どんな奴なんですか」
「俺が駆けつけた頃には、犯人はいなくなっててな。直接は見てない。だが、一本道だぞ。見失ったはずはないんだが」
君島巡査は、制帽を取り、生え際に滲んだ汗を拭った。その間に、高崎巡査は周囲を見渡す。
この場にいる容疑者は、横断歩道を渡ろうとしていた二人だけ。アニメキャラがプリントされた黄色いTシャツの男と、緑のセーターを着た男。君島巡査が二人を任意で聴取し、高崎巡査がひったくり犯を見たという証人を探して、君島巡査が来た道を逆向きに辿っていくことになった。
一人目に出会ったのは、黒いスーツ姿のビジネスマンだった。名刺には阪井と書かれていた。
「黄色い服を着た男に追い抜かされましたよ。すぐ脇を全力疾走していくもんで、危ないなと思いました」
二人目に出会ったのは、ベンチに座ってゲームをする大学生、三島。指先でゾンビを打ち倒しながら、こう証言した。
「歩いてたら、いきなり人にぶつかって。顔? 見てませんけど。あ、でも、顔上げたときに、チラッと緑色の服を着てるのは見えました」
最後は、腰をほとんど直角に折り曲げながらシルバーカーを押すお婆ちゃん、沼田。
「白い服、着とったよ。長袖の。今日は暖かいのに、あれで走っとって暑くないかと思ったけど。顔は……覚えとらんね。一瞬やったもん、一瞬」
「おい、どうすんだ。これ」
君島巡査が白髪交じりの頭を掻きむしる。
「なんで、証言がバラバラなんだよ。犯人の手がかり、そこにしかないんだぞ」
「そう言われても……」
「黄色も、緑もどっちもいるからなあ。それに白ってなんだよ。クソッ。そんな奴いなかっただろ」
被害者は後ろからいきなり突き飛ばされたために、犯人の姿を見ていない。また、盗まれたカバンは、途中の植え込みに捨てられており、泥まみれ。指紋は期待できそうにない。
「とにかく、俺は被害届の処理するから、お前は証言まとめとけよ。そいつだけが頼みの綱だからな。
いいか、絶対その証言のどこかが間違ってるんだ。そいつを見つけ出すんだ」
君島巡査は、当たり障りのない仕事を選んで、自分の席に戻っていった。卑怯だ、と思うが後輩の高崎巡査は逆らえない。
惨憺たる状況に気が滅入る。
窓の外は畑になっていて、若草色に染まっている。春らしいのどかな風景を見て現実逃避。もちろん、その間、書類は一文字たりとも進んでいない。
十分ほどそうしていると、先輩が戻ってきた。
「おい、高崎。さっさと書け、署に送るから」
どやしつけられて慌てて画面に向かう。高崎巡査の目に、赤が飛びちった。
「……これだ!」
**********
高崎巡査は、犯人を交番に呼び出した。
「我々は三人の証人から話を聞きました。そして、それぞれが意味することを検討しました。
まず、気になるのは二人目の証言。犯人は緑色の服を着ていたという点ですが、その直前に大事な一文があります」
「――どこに?」
「『顔上げたときに』というフレーズです。つまり、この方は犯人とぶつかるまで俯いていたんです。話を聞いている間もゲームをしていたから、その時も同じだったんでしょうね。『ながらスマホ』、褒められた事じゃありません」
「それが?」
「ゲームは、ゾンビゲームでした。銃でゾンビを打ち倒していく、アレです。覗き込んでみたら、画面が真っ赤になっていました。
ところで、補色、という言葉はご存じですか?」
高崎巡査も、ネットで調べて知ったことだ。
人間は、目で見た情報を脳で処理することで色を認識する。ところが、ある色を見続けた後に、唐突に白を見せると、脳が情報を処理しようと急ぎすぎるあまり、脳内で白を通り過ぎ、最初見ていたのと対になる色を感じてしまう現象のこと。
ちなみに、赤と対になるのは緑色。
「二人目の証言者は、赤い画面を見続けていました。犯人とぶつかって咄嗟に顔を上げた彼の目には、白い物でも緑色に映るんです」
犯人の服が白かった、というのは最後の証言者、沼田お婆ちゃんの内容と一致する。
「これで三人中、二人の証言が白を指します。しかし、一人だけ説明のつかない黄色を主張している人がいます。――この証言は嘘ですよね、阪井さん」
正面から切り込まれたビジネスマンは一瞬狼狽した表情を浮かべたが、すぐに開き直ったような笑みを浮かべた。
「嘘、とは人聞きが悪い。ただの勘違いでしょう。もしかして、それで僕が犯人だとでも?
その二人の証言は、犯人が白い服を着ていた、と言うことになるんでしょう。上下真っ黒の僕が犯人になるのはおかしい」
「昨日は随分暖かかったですね」
唐突に話題を変えられて、相手が混乱している隙に高崎巡査は畳みかける。
「どうして、ジャケットを着たままだったんですか。今日だって、汗をかいているのに着込んだままだ」
「それは……」
「脱ぐわけにはいかないんですよね。なぜなら――」
高崎巡査は阪井の腕を掴むと、袖を掴んで一気にまくり上げる。
「スーツの下は、白いカッターシャツですから」
**********
拙い偽装が破られ観念したのか、阪井は罪を認めた。さらに、これまでにも同様の手口で犯行を重ねていたことも白状した。
管内でも大きな事件となり、高崎巡査のお手柄という扱いになった。
そのことを、交番へ暇つぶしにやって来た沼田お婆ちゃんに話して聞かせると、我がことのように喜んで、「次もなんかあったら、手伝うわ」と息巻いていた。
こんな市民の細やかな協力があったからこそ解決したのだと思うと、高崎巡査はどこかほっとするのであった。
色違いの証言 黒中光 @lightinblack
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます