11. 桃色竜が微笑む先には


「ラーラ。君はこれまでのループで心が傷つき疲れ切っていても、俺のために怒ってくれている」


 エヴァンテール公園の噴水から水が舞い上がる。


「普通なら人のために怒るなんてことなかなかできやしない。それなのに君はできる」


 きゃあきゃあと、噴水の水が当たって子どもたちが楽しげな声を上げる。


「あの壮絶なループを経てもだ。ずっと繰り返しの中で君は毎度毎度、その生にしがみついてもがき、竜族への差別に異を唱え、ループから逃れようと必死に生きていた」


 街路樹からこぼれる木漏れ日がクリスの顔に落ちていて。


「そんな君から力をもらっていた。俺にもできるって、そう勇気づけられているような気がしたんだ。だから俺はがんばれる」


 木漏れ日の隙間から見えるクリスの笑みは、心の底からのもので。


「君のおかげなんだ。俺が笑顔でいられるのは。だから」


 ありがとう。

 クリスがそう口にすると、その場に片膝をついてラーラの手に──口づけを一つ、落とした。


「竜王……様……」


 ニパッ、といつもの笑顔を見せるクリスの姿は、とても民に忌み嫌われる黒竜などではない。

 ただの、心優しき青年にしか見えなかった。


「……っ」


 クリスは言っていた。竜族もループを知覚していて、その中でもクリスは明瞭にループの出来事を覚えていると。

 ラーラと同じ分だけクリスは辛い苦しみを味わってきたのだ。


『どうして食事を自分で用意するのかって? こんな気持ちの良い朝に言うのもなんだが、謀殺防止のためだ!』


 ラーラの記憶の中でクリスは幾度も邪竜王として君臨している。ただの一度も邪竜王になったことのない未来はなく、戦争を起こして世界を壊し、錯乱し暗黒のブレスを吐く姿は今思えばそれはクリスにとっての世界への絶望からだったのではないか。


(そんなの……っ)


 竜族として蔑まれ、竜の楽園たるこの国の民にも快く思われず、ついには何度も繰り返すループの中で謀殺が企てられて。

 もしかすると他にもラーラの知らない壮絶なものを背負っていたとしたら。

 心の優しいクリスがそれに耐えられるのだろうか。


「……ずっと、耐えてこられていたのですか」


 口づけをされた手が暖かい。


「言っただろう。君のおかげでがんばれてるって。だからそんな顔をしないでくれ、君には笑顔が似合うのだから」


 クリスが立ち上がり、ほら、と促す。


(笑顔なんて……できません)


 瞳が潤み哀しげな顔をするしかないラーラの元に──いや、クリスの元へ一人の子どもが近寄ってきた。


「ねぇ! 黒いローブを着てるからお前も竜王様なのか?」


 あっ、とラーラが思ったその時、クリスが笑って目の高さが合うように屈んでやった。


「そうだぞ、俺が竜王だ。ギャオーッてお前のことも食べちゃうぞぅ!」

「わー! やめろよぉ! みんな、水魔法でおーせんしろ!」


 遊び回っていた子どもたちがクリスの周りを取り囲み、水鉄砲のように小さな水魔法を飛ばしていった。


「おっやるじゃないか、小さき勇者たちよ……そうでなくてはな! だが俺はそんなのでは倒れんぞ!」

「くそっ俺たちじゃ倒せないのか! このままじゃ首に喰いつかれちまう!」


 チラ、と背中越しにクリスがラーラへ片目を瞑られる。


(へ? なんでしょう)


 次の瞬間、ラーラの頭の中でクリスの声が念話として聞こえてきた。


(俺が合図したら適当に俺に切り掛かってくれ)

(えっ、ええっ!? そんなこと!)

(いいからいいから。いくぞ!)


「さあ、小さき勇者たち。今度こそ許さんぞ!」


 ぱちり、とまた片目を瞑られて合図が送られる。


(やるしか、ないです)


 今、女神の聖剣はこの手にない。だから誰も濡れないよう加減を調節した水の剣を創ってクリスにそっと、切り掛かる。


「や、やーっ!」


 するとクリスは大袈裟すぎる反応をした。


「ぐッは〜!! やられ、た……」


 バタリ、とその場に倒れるクリスに、子どもたちはワアワアと喜んだ。


「やったぞ、竜王様を倒したぞー!」

「すごいな姉ちゃん、竜王様を倒しちまうなんて!」

「い、いえ、これは……」


 ネタばらしをしてしまうと子どもたちが可哀想だ。ラーラは汗を浮かべながら言った。


「勇者様の水魔法で剣を創り出すことができたのですよ。なので貴方様方のおかげです」

「そっかー! みんな、俺たちのおかげで倒せたんだってよ」


 再び盛況に包まれる小さき竜族の勇者たち。

 そこへ、一人の女の子がぬいぐるみを抱きしめて近づいてきた。


「り、竜王様、たおされちゃったらだめだもん」


 小さく震えた声で言う女の子に、男の子たちが言い返す。


「竜王様は悪いやつなんだぞ! とーちゃんが言ってた、だから倒さなきゃなんだぞ!」

「ちがうもん……ちがうもん! 私知ってる! 竜王様、とっても優しいひとなんだよ!」


 ばっ、とその場を駆けて走り去っていく女の子。

 勢いをつけすぎたのか女の子はその場で石畳に躓いてしまい、こけてしまう。


「ちぇ。もういーや。ちがう遊びしよーぜ!」


 男の子たちがまた追いかけっこをはじめる。ラーラは女の子に小走りで近づいた。


「大丈夫? 派手に転んでしまっていたわよ」

「膝に怪我をしているな。こちらで治療を」


 ラーラの水の剣で倒された竜王クリスも駆け寄り女の子を抱き上げて、ベンチへと座らせる。

 擦りむけた膝の状態を見ると、あまり深手ではないようだった。


「すぐ治るわ。私に任せてね」

「……お姉さん、まほう、痛くない?」

「ええ、痛くないわ。私、実はとっても魔法が得意なの」


 そう言ってラーラは治癒の魔法をかけてやる。


「……ほんとに、竜王様は優しいんだもん。お姉さんもお兄さんも、しんじてくれる?」


 女の子が心配そうに二人を見上げてきたので、ラーラは安心させるように笑みを浮かべた。


「ええ、信じるわ。私も知っているもの、竜王様がどんなにお優しい方なのか」

「知ってるの! どんなふうに優しかったの、教えて!」

「えっと……」


 ちらりと側にいるクリスに視線をやってから、女の子に向き直る。


「いつもいつもエライぞって褒めてくださって、悪い夢を追っ払ってくれるようにおまじないをしてくださったり、国民のことを守ろうとたくさんお仕事をしていらっしゃるの」

「こくみんって、私のこと?」


 ええそうよ、とラーラが答える。


「私もね、ちょっと前に公園で遊んでたらぬいぐるみを落としちゃって、怪我させちゃったの。そうしたら、竜王様がきてこの子をなおしてくれたの!」


 そう言って腕の中の可愛らしい桃色の竜のぬいぐるみを見せてくれた女の子の頭から小さな竜の角が生えていた。


「お、竜王エヴァンのぬいぐるみじゃないか。彼女はゼレンセン王国の初代竜王としてこの国を支えたんだ」

「うん! かっこいいし、桃色でとっても可愛いし、私だいすき!」


 この公園の名前の由来にもなったんだ、とクリスがラーラに説明する。

 女の子は「でも今の竜王様だってすっごく優しいからだいすき!」と破顔した。


「そうよね。やっぱり竜王様はとてもお優しい方よね」

「うんっ! そうよね、お姉さん! お兄さんもそう思うよね?」


 フードを深く被って、クリスは少し慌てた様子で言った。


「そう、かもな。君がそう言うならそうなんだろう」


 嬉しそうにする女の子の膝に、ラーラが手をかざすのをやめる。


「さあ、怪我は治ったわ。もう痛いところはない?」

「なんにもよ。だいじょーぶ、ありがとうお姉さん! お姉さんもとっても優しいね!」


 へ、とラーラが驚いていると、クリスが何故か満足げに女の子に伝えた。


「そうだぞ、この別嬪すぎるお姉さんは世界一優しくて強いんだ」

「べっぴん、ってなあに?」

「ものすごく綺麗で可愛いって意味だ」


 おやめください、とラーラは言いたかったが女の子の手前で敬語を使えばクリスが竜王だとバレかねない。心の奥にしまいこんで、ラーラは立ち上がる。


「お家はわかる? ちゃんと帰れるかしら」

「お家わかる! だいじょうぶだよっ!」


 公園の時計塔から時を告げる鐘が鳴り、お昼時を知らせる。


「ラーラ、時間だ」

「そうですね。では、私たちはこれで。気をつけて帰ってね」


 じゃあね、と手を振る女の子の頭を、屈んだクリスが撫でた。

 金色の瞳が、優しく女の子へ細められる。


「君に古き竜王の加護があらんことを。その子を大事にしてくれてありがとう、もう怪我させちゃだめだぞ」


 黒のフードとマントをなびかせて、ラーラを連れ立って去っていく背中を見て、女の子は。


「……きれいな、きんいろ……」


 金色の瞳はそうそういない。それもあんなに魔力を帯びた金色はこの世でただ一人しかいない。


「やっぱり、竜王様は……!」


 女の子は、荒いながらも縫われたぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。






「すまないな、もう昼になってしまった。帰城しなければ今度はスタンに叱られる」


 コーネリア城への道すがらクリスが頭を掻く。


「これから騎士団とのお仕事があるのですか?」

「ああ、訓練の査察があるんだ。竜騎士たちの槍捌きをきちんと見なくてはな」

「槍……ですか」


 ラーラは記憶を辿る。

 勇者の役割を与えられていたときの当時の敵国、ゼレンセン王国の竜騎士が持っていた装備を思い出せば、全員が槍を持っていた。


「あの水の剣捌き、流石だったぞ。俺が濡れないように調節もしてくれたし助かった」

「……」

「ラーラ、どうした?」

「あ、いえ。その……」


 お遊びとはいえ、水の剣を扱った。それでわかったのだ、やはり今の自分の身体は鍛え上げられておらずなまくらのようだと。


(それに、竜王様に剣先を向けてあまつさえ切り掛かってしまった)


 ラーラは俯く。

 もう、いやだ。クリスに剣を向けるなどもうしたくない。


(私はなぜ剣をとったのでしょう。私は──)


 第二のループではじめて剣を持った。指導してくれた冒険者の青年が教えてくれたことを思い出す。


(守る、ため)


ラーラはクリスの前に立って、一つのお願いを口にした。


「竜王様。私も騎士団の訓練を見学させていただいてもよろしいでしょうか」

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竜王様、ループ∞回目ですが褒められていいんですか? @Tatsuno_Midori

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