10. 魔の息吹が渦巻く
「今日はどんな一日だった、ラーラ?」
右手を合わせ、魔力同調をしている中でクリスが声をかけた。
「そう……ですね。皆様にとても良くしていただいているので何不自由なく過ごせています」
「いいことだ。まあ、聞きたかったことは別にあったんだが」
と言ってクリスはさらに温かな魔力を送ってくれる。
「その、だな。俺といて嫌な気分にはなっていないか?」
「へ? 竜王様とですか? そんなことは全くありません」
「そうか。今日も中庭を散歩して、アイリスに見つかったから俺はすぐ執務に戻ってしまったが部屋ではゆっくり過ごせたみたいだな」
「侍女になってくださったシャルロット様……シャル様には大変お世話になっています。お部屋でもおいしいお茶を淹れてくださいました」
そうか、と安心したようにクリスが言った。
「だがな、侍女に対して敬称をつけて呼ぶのは感心しないぞ。本当はアイリスに対してもだ。気持ちはわかるが君の今の立場は俺の婚約者なのだから」
「は……い」
そうなのだった。私は竜王様の婚約者なのでした。
ラーラは気恥ずかしくなる。
つまりはいつも褒めに褒めてくれる優しい竜王クリスと夫婦になるということで、今までのループにおいて生きるのに必死で誰とも結婚などしたことのなかったラーラのはじめての経験になるのだ。
「本当に私でよかったのですね」
「ああ、そうだとも。ラーラだからだ」
「……そう、ですか」
「ん、なんだか嬉しそうじゃないな」
「そんなことは……!」
本当の気持ち。自分は竜王様には相応しくないという気持ちを吐露してしまえばきっと彼は『ラーラのここがすごい』の話を始めてしまうだろう。それは避けたかった。なぜならやはりこそばゆくなってしまうためである。
(私は……もう生きたくないと思っていたのに、竜王様と出会ってからずっと歓迎されてばかりで。私は何もお返しできていないというのに、私は──)
あー、と目を閉じてクリスが気まずそうに告げる。
「すまないラーラ。魔力同調をしているから千里眼の調子も良くなってしまっていてな、君が今考えていることも筒抜けで……」
「あっ……! す、すみません、謝らないでください! いけないと言われていてもついいつものように考えてしまって」
俯いてしまったラーラに、クリスは微笑んだ。
「なに、思考の癖というのはなかなか矯正しにくいものだ。ゆっくり考え方を変えていけばいい」
「ですが……」
「大丈夫。焦らなくていい。そのために俺は君を婚約者にしたのだから」
本当に竜王様は私のことを思って動いてくださっている──ラーラはぐるぐると頭の中で考え込んでいく。
(竜王様がここまで心を砕いていただいていらっしゃるのだから、私も応えなくては)
せめて彼の望むことは叶えたい。そう思っていると。
「……」
「どう、なさいましたか、竜王様?」
「いやその。えぇと、そのだな」
強まった魔力同調でラーラの身体の血行が良くなり少し火照ってきたようで、彼女の頬は赤らんでいる。
クリスは彼女のその上目遣いの顔を真正面から受け止めているわけで。
「……な、なんでもない。いやなんでもないわけがないんだが、えっとだな。そう! 寝る前に伝えたいと思っていたことを思い出したんだ」
「なんでしょうか。私にできることならいくらでもやります」
クリスは手を離し魔力同調を止めて、ごほんと誤魔化すように咳払いを一つした。
「ラーラ、城下町へ行ってみたくないか?」
「城下町へ?」
きょとんとした顔になるラーラにクリスが楽しげに言った。
「俺の国をもっと見せたいと思ってな。アイリスには視察と言ってある。だから──」
言いづらそうに、けれども早く伝えたそうにしているクリスはついに口を開いた。
「お、俺とデートをしてほしいのだ!」
ぱちくり、と目を瞬くラーラ。
「デ、デート……い、行きましょう、他ならぬ竜王様のお望みですから!」
「本当か!」
金色の瞳を輝かせるクリスがラーラに見えぬようこっそり拳を握り「では明朝、支度を整えたら君の部屋まで迎えに行こう」と言って背を向ける。
「おやすみ、ラーラ! 明日を楽しみにしているぞ」
「は、はい。おやすみなさいませ、竜王様」
ラーラの前から去っていくクリスになぜだか嬉しそうに振る犬の尻尾が見えるようで。
(デート、デートと仰いましたよね)
ラーラは顔を左右に振り急いで自室へと入る。
「おかえりなさいませ、ラーラ様。どうされましたか? そんなにお顔を赤くされて」
侍女のシャルが出迎えてくれ、心配そうにラーラへ駆け寄る。
「い……いえ、その」
ラーラは両手で頬を包み込み、自分でも不思議なことを口にした。
「やっぱり、犬って可愛いですよね?」
あっ竜なのに犬って失礼ですよね、でもそんなこと考えるのも犬にも失礼ですしもう私は何を考えているのでしょう。
そんな風に混乱している様子のラーラを見て、丈の長いメイド服を着たシャルは。
「犬は可愛らしいですよね! 竜族に対しても逃げず、怖がらずに飼い主を守ろうと立ち向かってくれますから!」
と、頓珍漢なことを力説するのだった。
「視察とはいっても突然決めたからな、国民には伝えていない。お忍び、というやつだ」
クリスがそう言うので二人はフードを被って城下町を歩いていた。とは言ってもそのフードも質の良い生地を使っているので貴族か城の者だとわかる者が見ればわかるだろう。
それくらいはいい、と言ったのはクリスだったが。
「この城下町は、五つの丘の町とも呼ばれていて高低差が激しいんだ。人族には厳しい道かもしれないが俺たち竜族にとっては軽い運動くらいだがな」
「だからゼレンセン王国の都は外から見ると高い城塞のように見えるのですね」
五つの丘に沿って壁が建設されているからな、とクリスが答える。
「丘の急峻に疲れたら俺が疲労を軽減する魔法をかけよう」
「大丈夫です、私も使えますので」
「そうだったな」
足に強化魔法をかけておけば大丈夫でしょう、と言ってラーラは己の両脚に手をかざし魔力の光を僅かに発せさせる。
「おお、ここまで魔法を使うときに発生する魔力光を押さえ込むとは。流石の魔力コントロールだ」
「まあ……魔力光にまで魔力を分散させると効率が悪いので」
ラーラが当然のことのように言うと。
「なるほど星の魔力道の調整もやりようによっては効率が良くなるか。次に試してみる価値はある……」
「……?」
クリスが顎に手を当て何やら考えながら歩いている。
(本当に精悍なお顔立ちをされていますね……まるで女神様の造形物のよう)
ぼうっと真剣そうなクリスの顔を見つめていると「ん? どうした」と笑顔に変わった。
「いえ、何も……あ、見えてきましたね。あれが都の中心地ですか?」
「そうだ。あそこがエヴァンテール公園だ」
広い公園の中心には翼を大きく広げた竜の像が立っていて、国民の憩いの場になっているようだった。露店が並び活気もあり、子どもたちが元気そうに走り回っている。
(竜族があんなに伸び伸びと……この光景が夢のようです)
ふ、と口元を綻ばせるラーラを嬉しそうに見るクリス。
「皆様、この国では自由に暮らしているのですね。竜の翼や角も、尻尾も出している方もいます」
「この国では誰も竜族であることを咎めないからな。竜の身体を隠せない者たちだって居てもいい、隠す必要のない国、それが俺の国だ」
竜族には魔力の調節が上手くできないものがいて、竜の鱗や翼といった部位を
(アイリス様やスタン様たちは完璧に隠せていた……いえ、隠すという言葉は誤りですね。彼らにとって竜としての姿は元の身体なのでしょうから)
クリスはエヴァンテール公園がよく見渡せるベンチとラーラを座らせるために手を出した。有難く手を貸してもらいラーラはベンチに座る。
「竜王様もどうぞ」
「俺はいい、ベンチが狭いからな」
「ならばこうしましょう」
ラーラが場所を詰め、どうぞと言う。
これでは身体が当たってしまうが、とクリスが逡巡していると。
「早く座らないと大きな声で竜王様、と呼んでしまいますよ」
「それは困った。座るとしよう」
身体が密着し暖かさが伝わってくる。
(自分でやったことですが、これは側から見れば……)
本当にデートをしているみたいで。
なんだかそわそわとしてしまい、走り回る子どもたちを見やれば気になる言葉が聞こえてきた。
「やーい! おまえの翼、竜王様みたいな色ー!」
「ちがうもん! 灰色だもん、黒じゃないし!」
「次はこいつが竜王様な、みんな逃げろ!」
ワァ、と散り散りになっていく子どもたち。
「くっそー、じゃあおまえんちを魔力ぼーそーでぶっこわすぞ!」
灰色の片翼を出している男の子が皆を捕まえようと逃げた子どもたちの方向へ走っていった。
「……なんだか悪者扱いされてません?」
「子竜は得てしてそういうものだ」
微笑ましいものを見るかのような視線をやるクリス。その向こう側に──子どもたちの親と思しき竜族がいて。
ラーラは彼らの表情が気になって思わず拡大魔法で聞いてしまった。
「竜王様、また建物を壊されたようで」
「うわぁ……俺たちの家も壊されたら敵わん。新築なのに」
「貴方のところはいいでしょ。私なんてこの前の騎士団の一角の近くだったから……」
(……うそ)
ラーラは次に聞こえた言葉に驚愕した。
「ああいやだ、災厄をもたらすという黒い竜が竜王様だなんて」
ラーラが立ち上がって彼らの元へ行こうとしたとき、手首を掴まれる。
クリスだった。
「ラーラ」
「……っでも!」
「事実だ。国民が不安になるのも無理はない」
「事実って!」
ラーラはかぶりを振ってクリスに迫る。
そして震える声で言った。
「貴方様は……邪竜ではありません。お願いですから」
そんなふうに、微笑むのをおやめください。
ラーラの小さな願いは、真実に未だ届かない。
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