9. 淡い望み
(ふぁ……よく眠れました)
久しぶりの気持ちのいい朝。
ラーラは三日前からゼレンセン王国のコーネリア城で心地よく過ごしている。
これも全て竜王クリスのおかげだ。
(寝る前、竜王様に『おまじない』をしてくださったおかげです)
『おまじない』とは。クリスと魔力を同調させることである。
どうやらラーラとクリスの魔力は相性が良いらしく、波長を合わせると気持ちが落ち着き悪夢を見なくなるのだ。
ラーラにとっては嬉しい誤算だった。もうあの永遠の暗い穴に落ち続ける悪夢を見なくて済むのだが──クリスと向き合って手を合わせなければならないのが、ラーラにはハードルが高かった。
(竜王様の手は、大きくて、暖かい……胸がどくどくしたり顔が熱くなったりするのは魔力同調のせいなのでしょうか)
きっとそうだ。そうに違いない。
ラーラはベッドから降りてカーテンと窓を開き、ほんのちょっぴり涼しい風を感じる。
「気持ちいい……」
すぅ、と胸いっぱいに空気を吸い込む。ここの部屋は中庭に近いらしいので花の香りがしてくる。早くこの王城の構造を知らなくてはならないし、そして中庭をもっと楽しみたい。
(楽しみたい?)
自らの心から湧き出た、光の泉のように沸き起こった感情に驚く。
すっかり忘れていた、自分で『何かをしたい』という気持ち。なんなのだ。なんなのだろう、この気持ちは。
(こんなに温かかったのでしょうか。こんな望みを抱いてしまっていいのでしょうか)
表情がどんどん曇っていくラーラの前で、真白い鳥たちが羽ばたいて城下町の方へと飛んでいく。
まるでラーラを後押しするかのように。
「……」
止めどなく湧く気持ちを抑えるように、胸に手を持っていく。
「ラーラ様、お目覚めでしょうか」
「あ、はい。アイリス様ですね、お入りください」
白のかっちりとしたパンツにマントの装いをしているアイリスが部屋に「失礼いたします」と言って入室する。マントの形状は片翼のような短めの作りをしていて、きっとその装いは筆頭執政官にしか許されていないのだろう。城の廊下ですれ違った内務を担当する執政官たちの制服を見たとき、彼らの制服にはマントが付いていなかった。
アイリスが一礼し口を開く。
「おはようございます。よくお眠りでしたね」
「はい、とても。竜王様のおかげです」
「……まさか陛下はまたラーラ様のお部屋に?」
「いっいえ、部屋の前でおまじないをしてくださっただけです。アイリス様の思うようなことはありませんよ」
じと、とした目になったアイリスに説明をすれば、溜息一つ吐いて彼女がメガネに手を添えた。
「それなら良いでしょう。何かありましたらベッド横のベルでお呼びください、そのベルには魔法が刻まれていていつでも私に音が届くようになっておりますので」
「便利な魔法ですね。私にもその刻印の描き方を教えていただいても?」
もちろんです、と言いながらアイリスは後ろに控えていた一人の女性を紹介する。
「ラーラ様、こちらは侍女のシャルロットという者で、ラーラ様の身の回りのお世話を彼女に任せたいと思います」
シャルロットと呼ばれた肩口までの茶髪をした、長い丈のメイド服を着た侍女が深く礼をした。
「シャルロットと申します。シャルとお呼びください」
「ご安心を。シャルは侍女の中でもとても優秀で信頼の厚い竜族です。私の良き友人でもありますのよ」
ラーラは思い出す。自分は竜王の婚約者としてこのゼレンセン王国に招かれたのだと。
それならば侍女がつくのは当然である。けれども自分ほどの者に、しかも人族の自分の下につかれるのは嫌な気分にはならないだろうかと思っていたら。
「ラーラ様。いくら数え切れないループの中で冒険者や魔法具職人として生きてこられていた経験がおありでも、貴方様は私たちの大切なお方なのです」
にこり、とアイリスに微笑まれて「それに」と言葉を続けられる。
「シャル自身が望んだことです。どうぞ彼女の望みを叶えてやってあげてくださいまし」
ずっとラーラの前で深い礼をしたままのシャルが気の毒で忍びなくて、それが彼女の望みならばと頷いた。
「どうぞよろしくお願いしますね」
「はい、何なりとお申し付けください。まずは夜着の着替えをお手伝いさせていただいても?」
そういえば起きたままの格好だったのに今更気づく。これから竜王クリスとの朝食の時間があるのだ、このままでは失礼でとても会うことなどできない。
今日までの支度はアイリスがしてくれたのだが、それはゼレンセン王国に慣れていないラーラへの配慮だったのだろう。それにアイリスは侍女ではないし彼女自身の仕事もある。
「……では、その。手伝っていただいても?」
「はいっラーラ様!」
シャルは快活そうな笑みを浮かべて、ラーラの身支度に取り掛かった。
「ラーラ、今日の朝食もどうだった? 君に合わせて身体に優しいものを揃えたのだが」
竜王クリスはナフキンで口元を拭きながら言った。
無論、朝の挨拶ならぬ『朝の褒め言葉』、内容は「息をしていてエライ!」というものがラーラに降り注いだのだが、昨日の昼食で覚悟ができていたので驚きはしなかった。
とてもむずがゆい思いはしたのだが。
「竜王様のお心遣いに感謝を。野菜が細かく刻まれて柔らかく煮てくださったスープが格別でした」
「それはよかった。まあ、魔法で時短はしてしまったんだがな、なんせアイリスが山ほど執務を投げてくるものだから」
長いテーブル越しにラーラは一つ、疑問に思ったことを尋ねる。
「お尋ねしてもよろしいですか、竜王様」
「もちろんだとも。許可制ではないんだから何でも訊いてくれ」
「……はい。その、やはりこの朝食全てを竜王様がお作りになられたんですよね」
「ああ、そうだ。あー……不思議に思うよな、国の頂点たる竜王がなぜ料理人に作らせないで自分で作るのか」
えーっと、とクリスは頬をかきながら言いづらそうにしていたが、次の瞬間何でもなさそうに笑いながら答えた。
「こんな気持ちの良い朝に言うのもなんだが、謀殺防止のためだ!」
「……それは」
つまり、竜王クリスは殺されかけたことがあるということで。
(こんなにお優しい竜王様をどなたかが──)
と、ラーラが思い詰めていると。
「ラーラ、少しだが魔力が乱れているぞ。君らしくない」
「……申し訳ありません」
一瞬だけクリスの表情が暗くなる。
「君が心を砕くまでもないぞ、よくある話じゃないか。愚かな王が忠臣だった部下に毒を盛られるなんてこと……っと、すまない。本当に朝にする話じゃなかった」
忘れてくれ、と言うクリスの顔にはいつもの笑顔があった。
本当は何があったのかは教えてくれない。全てはラーラに不安を与えたくない一心だからなのだろうか。
「詫びといってはなんだが、何でも俺にやってほしいことを言ってくれ。執務は後で何とでもなるからな」
「竜王様に、やっていただきたいこと……?」
そんな私なんかのために、と言いそうになり「おっ、今日の『ラーラのここがすごい!』が聞きたいのか?」とクリスに言われてしまって言葉を呑み込む。
(どうしましょう。やっていただきたいことなんて、私には)
きゅ、と胸に手を当て握るラーラはふと、目が覚めたときのことを思い出した。
「中庭……」
「中庭? 行きたいのか?」
「あっ、いえその……」
慌てて否定しようとしたがクリスが「うんうん、行きたいんだろう?」と言うかのように瞳を輝かせていた。
「……行きたい、です」
「よし決まった! ラーラを中庭に案内しよう、昨日はなんだかんだでゆっくりできなかったからな」
そんなわけで、ラーラは竜王クリスと共に再び城の中庭に赴くことになった。
「昨晩のおまじない、とてもよく効きました。ありがとうございます」
「それはよかった。朝食のときの君は良い顔色をしていたからな、今晩もおまじないをしよう」
「……お願いいたします」
もう見たくない。あの嫌な悪夢は。
今朝は本当に、久々に気持ちが晴れやかで肩の荷がおりたような気持ちがしたのだ。心臓に悪いがあのおまじないはぜひともやってほしい、ラーラはそう思いながら口を開く。
「竜王様。お聞きしたいことが」
「また次それ言ったら『ラーラのここがすごい!』するからな。俺は全然言ってもいいんだぞ?」
いつでも用意はできている、と言うクリスは本当にやりそうだったためラーラは改めようと思う。
「その。具合はいかがですか。昨日私が投げてしまって、竜王様のお身体に当たってしまって」
「腕輪なら大丈夫だ。拘束力はもちろん耐久性も桁違いに作らせているからな」
「腕輪もですが、お身体の方です」
ラーラは心配そうに眉根を下げたので、横で歩いていたクリスが立ち止まった。
「俺の身体だってピンピンしているぞ。安心してくれ。それに──ああ、ちょうどいいのがあった」
「ちょうどいい?」
クリスがその場に屈んで、ラーラに見せながら指をさす。
そこには花壇に植えられた、白い綿毛に包まれる美しい花があった。
「エーデルワイスという花の名だそうだ。俺が並行世界で視たものの内の一つで、北国に適しているし気に入ったので植えている。ラーラ、花言葉というのは知っているか?」
「ええ……そう、ですね。確か王立学園にいた頃そんなお話を友人たちとした記憶が……あったかと」
というのは度重なるループで『一番初めの生』を定かに覚えていないためだ。
クリスはすぐさま気づいて「そう、だったな」と歯切れの悪い言葉をこぼす。
「この花の花言葉はな、勇気という」
クリスの手によって並行世界からこの世界に生まれたエーデルワイスの花を一つ、彼が植え込みから摘む。
「君にぴったりだ。そうだろう、俺の勇者よ」
ラーラの手の内に花を渡し、にこりと笑う。
そんなことを言われるだなんて。今の私は、そんなのじゃないのに。
言ってしまえば、この花に──そしてクリスに申し訳が立たないと思うのと同時に、綺麗に咲いている花弁と彼の笑顔を曇らせたくなかった。だから、ラーラの自らの意思で口にしなかった。
「さあ、花壇はまだまだあるぞ。アイリスが小言を言いにくるまでに全ての花をラーラに見せなきゃな!」
クリスは自然にラーラの手を取り、一つ一つ美しい花々を見せていく。
この花の名は、この花言葉は。由来は──。
朗らかに中庭を案内するクリスの表情は生き生きとしていて、眩しくて。
(行きたいと言ってよかった)
ラーラはクリスの後ろで、自分でも気づかぬうちに笑みを浮かべていた。
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