色を知らない彼女
杉野みくや
色を知らない彼女
「へえ〜。そんな感じなんだね」
相変わらず、分かってるのか分からないのか図りかねる返答だ。それでも、目を閉じたままの彼女は満足げに微笑んだ。
彼女の瞳を俺は見たことがない。生まれつき目が見えない彼女は今まで一度たりとも目を開けたことがないのだ。
だから、その瞳が何色なのか、その目に何か映っているのか、あるいはいないのか、想像すらできない。おそらく、これからも彼女の瞳を見ることはないだろう。
にも関わらず、だ。彼女は色についての興味が人一倍強かった。
「ねえ、今日の空はどんな色?」
開け放たれた窓から入り込む春の陽気に照らされた彼女は興味津々に尋ねてくる。
「うーんと、淡い水色、かな?」
「ふーん。それってどんな色なの?」
「えっ、とー……」
俺は額に指を当てながら、つい顔を歪ませた。
色を知らない人に『色』を説明するのは本当に難しい。小学生相手にフェルマーの最終定理を解説しているような気分になる。
それでも、俺の拙い説明を聞いた彼女はいつものようにあどけない笑顔を見せた。それがまたかわいいことかわいいこと。その表情を拝むために解説を頑張ったといっても過言ではない。
見られていないのをいいことにじっと彼女の顔を見つめていると、足元に何かがポトリと落ちた音がした。
「あ」
「どうしたの?」
「新しいお花を持ってきたこと、すっかり忘れてた」
行きがけに買った桃色の花を拾い上げ、空になっている花瓶にさし始めた。
「ねえ。今日、違う花持ってきたでしょ?」
「え、なんで分かったの?」
「ん〜、なんとなく。君が色について教えてくれたからかな」
そう言って彼女はニコリと笑ってみせた。いつも見せるものとは違い、どこか誇らしげに見えた。
♢♢♢
例年よりも遅めに芽吹いた桜の足元をゆっくり横切り、門の中へと入っていく。
「また来たよ」
俺は彼女が眠っている目の前でそうこぼした。彼女の好きだった空色のスターチスを供え、墓石に水をかけてあげる。水の通ったところが色濃くなってゆく様を、彼女はどこかで見ているのだろうか?とつい考えてしまう。
手を合わせて瞼を閉じると、もうこの世にはいない彼女の姿が自然と投影された。
「今、どんな色を見ているんだい?」
と胸の中で問いかけるも、彼女はにこりと微笑むのみ。記憶の中の彼女は終始幸せそうで、色褪せる気配すらない。
きっと天国では、無限に広がる無数の色たちに囲まれながら楽しく暮らしているはずだ。でなければ、それは彼女とは言えないだろう。
「それじゃ、また来るよ」
瞼に映る彼女にしばしの別れを告げて目を開く。供えたばかりのスターチスが風になびき、まるで手を振るようにゆらゆらと揺れていた。
色を知らない彼女 杉野みくや @yakumi_maru
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