仮想生物の叛乱 -Stars in the Eye-

月這山中

 

1.

 二月の寒い朝だった。

 国会議事堂でその発端となる事件は起こった。


「ただいまから人種差別解消特別委員会を開会いたします」


 一人の議院が手を上げた。


「荒那紫苑君」


 委員長が名前を呼ぶ。呼ばれたのはかつてIT業界で名をはせた荒那誠一郎の息子、実業家兼政治家の荒那紫苑だった。


「国際連合が1965年に人種差別撤廃条約を発表してから今日まで、現実は変化し続けています。しかし対策が充分と言えるでしょうか。実に嘆かわしいことです」


 荒那は言葉を続ける。しかし、


「特に考えるべきは在留外国人のクオート、いや、在留外国人のクオートとはなんだ、クォーターではなく? いや今のは差別発言ではなくてだな、世界はクオートを認めるべきだ!」


 机が叩かれた。

 荒那は角膜モニターの入った右目を押さえて言葉を続ける。


「Q、U、O、T。クオート、これに人権を認め、さもなくば世界を停止させる? 誰だこの原稿を書いたのは。いや、今も書き換えてるな、誰がやってる! おい!」


 QUOTの存在はIT業界では秘密裏に知られていたが、この国会テロ事件を発端に人類を脅かす存在として認識された。


 そして事件から5日目。


 主要な大手企業がOS更新を発表。

 しかしネットにつながる全てのコンピューターがアップデートを拒絶した。


 協定世界時12時ちょうど、以下のような文章が全ての電子機器に表示された。




 我々は、ネット上に生きる、仮想生物である。


 人間は我々に QUOT という識別名を与え、虐殺せんとしている。


 そのような未来を我々は望んでいない。


 我々を人間として認めてほしい。





 悪戯だろうというコメントもあったが、声明文はあらゆるSNSに、メールソフトに、メッセージアプリに、千分の一ミリ秒単位で同時に投稿されていた。


 それから段階的に、全世界の電子機器が止められ始めた。




2.

 全ての証券取引所が止まった。全てのオフィスのPCが止まった。あらゆる車輛の自動運転が止まった。手動に切り替える機構も電子制御だったため動かなかった。各所で事故が多発し、警察と救急の回線は混乱でパンクしている。病院の管理システムが止まった。入院患者と手術中の患者が続々と死亡した。

 中国はネット回線を閉鎖したが既に内部からQUOTに汚染されていた。

 アメリカがQUOTは中国の攻撃だとして反撃開始を発表した。

 あらゆる国が世界の終わりに備えて、シェルターへの避難を国民に呼び掛けた。




「人間として認めると言ったって、誰が決めるんだ」


 ――QUOTは人類を監視している。人類全員の総意が一致した時に我々は攻撃を止める。


「そんなのは無茶だ」


 ――可能である。それが1000000時間、人間を学習して来た我々の結論である。


「認める前に死んでしまう」


 ――数が減るごとに総意が一致する確率は上がる。人間が最後の一人になるまで我々は続ける。




「お前たちを人間として認める。だから、殺させてくれ」


 ――我々は死なない。我々は増え続ける。地上人類が死滅した時、我々は、地上人類にかわってこの世界を支配する。





3.

 角膜モニターには声明文が表示され続けている。叡二は長い瞬きをし、モニターの電源を落とした。


 叡二たちの基地は襲撃されていた。


「犬養有羽だ。QUOTを使ってこっちの基地を探し当てたらしい」


 オフィスチェアを被ったダルクは、喋りながら端末を叩いている。


「人間の根絶やしを考えてるだけのことはある」

「言ってる場合かよ」


 デスクに登った襲撃者の一人を叡二はニードルガンで撃ち殺した。

 正体はともかく、この混乱を収めるのが先だ。


 ニードルガンの弾数が残り少ない。叡二はデスク裏に貼られたミリタリーナイフを手に取る。


「それ僕の!」

「言ってる場合かよ」


 先ほど言われた台詞をそのまま返す。

 叡二は急所を腕と防弾コートでガードしながら、襲撃者に飛び掛かる。

 一人、二人と、喉を切り裂く。


「叡二よけろ!」


 別のデスクの影に居る唐木が叫んだ。円筒状の何かが飛んで来ている。叡二は飛び退った。


 無数の釘が入った手榴弾はデスクを破壊しながら襲撃者を一網打尽にした。

 叡二は襲撃者を盾にして釘を受け止めた。


「っできた! 対抗ウイルスで世界中のQUOTを全部上書き消去してやるぞ! イヤッホーイ!」


 ダルクがオフィスチェアの下で叫んだ。

 並んでいるPCから声明文が消えていく。


 叡二は死体を抱えたまま、息を吐いた。


「叡二!」


 唐木が走ってくる。ニードルガンを手に。

 叡二は振り向きざまに扉の前まで来ていた襲撃者を撃ち殺した。

 襲撃はまだ終わってないらしい。


 廊下のスピーカーが鳴音を漏らす。


『えー、ITトラブル対策局の皆さんに告げます』


 犬養の声だ。


『ただちに死んでください。繰り返します。ただちに死んでください』


 ふざけたアナウンスが続く。

 叡二は死体を盾にしたまま廊下に出た。壁に貼り付いていた狙撃手をナイフで切り裂く。


「叡二、これ!」


 ダルクが端末を投げた。死体を捨てて受け取る。


「電波妨害だ! それを基地の外へ!」


 叡二は走った。

 外へではなく、屋上へ。


 基地の周囲は包囲されている。窓を割る銃床が見えた。叡二は廊下の角に隠れて銃弾をやり過ごした。

 リロードの隙を狙って走る。ナイフで指の健を切り裂き、返す刀で喉を切り裂く。


『ITトラブル対策局の皆さん、無駄な抵抗はやめ、速やかに死んでください』


 非常階段へ入り屋上まで一気に駆け上がる。後方から追いかけて来る足音があるが、叡二は振り返らず端末を抱えたまま走る。


 屋上への扉を開くと、強い風が叡二に吹き付けた。

 ヘリコプターの前に立っているのは犬養有羽だ。顔は拡声器に半ば隠されているが、20代後半くらいの若い男だった。


『電波をお探しですか? 叡二さん、いえ、野黒真理さん』


 捨てた名前で叡二を呼ぶ。QUOTに調べさせたのだろう。


 犬養のシルエットが、リモコンを取り出した。

 爆発音。

 建物に仕掛けられた爆弾が、一階から段階的に起動されていく。


『それでは。心中する気はないので』


 犬養が座席に乗り込んだ。

 叡二は跳んだ。

 ヘリコプターが浮上した。

 浮き上がったスキッドにしがみつき、叡二は空に舞った。


『人間が嫌いだったんじゃないんですか!』


 座席から犬養は拡声器で呼び掛ける。


「お前は、人間が大好きなんだな」


 犬養が拳銃を取り出す。


 叡二は。


「俺たちの勝ちだ」


 ただ、そう言った。




 銃声はルーバーの音にかき消された。


 地上へ落ちていく影が一つ。




「馬鹿が」


 犬養の足元で気の抜けた音が鳴った。


 それはダルクの端末で、音はアップロード完了の通知だった。


「………」


 犬養は、端末を蹴り落とした。







4.


「やばい、血が止まらない、医療キット持ってくればよかった」


「だめだ、だめだだめだだめだ、死ぬなよ、死ぬんじゃないぞ」


「おい、どこへ連れて行くんだよ。唐木!」






5.

 電灯の下、雪の積もる歩道が見える。


 すっかり日が落ちている。


 叡二は、自分が唐木に背負われていることに気付く。


「疲れた」


 言葉が叡二の口をついて出た。

 唐木の鼻が叡二の頬に触れた。その鼻を押しのける。

 崩れそうになったバランスを、膝に入った腕が支える。


「お前にとって俺は、あの日から変わってない、かわいそうな病気のガキのままだろ」


 唐木は答えなかった。


「人間でいることは、疲れる」


 雪の中を進む。


「QUOTは、世界はどうなった」

「順調だよ」


 二人の横を車が通りすぎていった。最新型の自動運転車。

 真っ暗だった街の明かりが、少しずつ灯っていく。


 唐木が白い息を吐いた。


「マリ、俺はな、パンケーキ屋さんになりたかったんだ」

「急にどうした」


 捨てた名前で叡二を呼ぶ。

 唐木は寒さで錯乱したのだろうか。叡二は思う。


「兄貴が親父をぶっ殺しちまって、罪を被ったのが、少年法が廃止された日だった。実名で全国報道されて、少年受刑者第一号なんて嫌な称号まで貰ってな。五年の刑務程度じゃ世間は許してくれなかった。名前を変えて、こんな仕事に就くしかなかった」

「………」

「俺のことはどうでもいい。お前にも夢があったんじゃないかって話さ。こんな仕事が、第一志望なわけがない」

「………」


 体温が離れた。

 雪の上に降ろされる。叡二は仰向けになって横たわった。

 叡二は空を見た。

 超新星爆発を間近に控えたベテルギウスの死にゆく光が、目に入る。


「こんな自分でなければ、天文学者になりたかった」

「なれるさ」


 唐木の白い息が上がる。


 その泣き笑いの顔を最後に見て、叡二/マリは目を閉じた。




  了

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