第19話

目を覚ましますと、真っ先に、見慣れた天井が飛び込んできました。

灰色の石作りの、うすぐらい天井。

毎日、寝起きしてきた、塔の部屋のものです。

ええ、ここは塔の、私の部屋ですわ。

毎日寝起きしていた寝台から見える光景ですわ。

気がつくと、私の両手は、それぞれ、大きな手に握られていました。

「ミティス!」

「ミティス様!」

聞き慣れた愛しい声がします。

「よかった…」

見れば、左手をアイテルが握っています。青い澄んだ瞳は潤んでいました。

「ミティス、よくぞ」

右手をテフォンがぎゅっと握りしめます。

うつむいていて、顔は見えません。ですが、その肩は、少し震えていました。

「無事、ですのね」

声を出すと、テフォンが顔を伏せて頷きます。

ああ、よかった。

何やら心配をかけたようですが、また、三人でこの部屋に戻ってこれましたわ。

私は目を閉じて、息を吐くと、二人の手を握りしめます。

「姫の声が、助けてくれた」

目を開けて、テフォンを見ますと、アイテルと同じように、黒い瞳は潤んでいました。

「ミティスの声が届いたんだ。俺だけでなく、全ての者に」

そう言うと、テフォンが破顔します。

「オケアノスの民よ、我が言葉を聞けと、姫の声が」

アイテルの声が続きます。

「我が夫のテフォンは、監獄塔にいる。我が夫を解放せよ」

ああ、それは、あの時、心の内に浮かんだ言葉ですわ。

続く言葉を、私は口にします。

「我が夫は、我と同心。オケアノスの護りである」


――オケアノスの民よ、我が言葉を聞け。

我が夫のテフォンは、監獄塔にいる。我が夫を解放せよ。

我が夫は、我と同心。オケアノスの護りである。


あの時、心の内に浮かんできた言葉です。

けれど、これを私は声には乗せませんでした。

「本当に、驚きました」

アイテルの声に、私は顔を右へ向けます。

アイテルは、潤んだ目のまま、笑顔を浮かべていました。

「防壁を張っていると、ミティス様の声が聴こえて。女官長と慌てて外を見たのですが、兵たちは下で大騒ぎでした」

「……祈りの声が、皆に聞こえたと言うんですの?」

私の言葉に、アイテルが頷きます。

「声、なのかはわかりませんが……」

すると、テフォンの声も続きます。

「監獄塔の皆にも、しっかりと姫の声色で、言葉が届いた」

私は寝台に身を起こして、二人を見ます。

黒と青の瞳が、私をじっと見つめていました。

私の言葉を待っていました。

「私は、確かにそのように霊水晶に祈りましたわ。でも、その言葉は声には乗せていませんことよ」

「では、ミティス様のお心の内が、声……のようなものになり、俺たちに届いたと?」

「わかりませんわ。それで、皆、民も兵も、塔に来て、王宮へ?」

「はい。ミティス様の声が聞こえてから間もなく、民と兵が塔に押し寄せました。もちろん、近衛兵たちと乱闘になりました。一部は王宮と監獄塔へも押し寄せ、それはもう大変な騒ぎで」

私が見た光景と同じですわね。

ならばと思い、私はさらに言葉を続けます。

「陛下が、テフォンを解放すると決めましたの?」

すると今度はテフォンが口を開きます。

「みたいだな。監獄塔にまで民と兵が押し寄せてきてな。騒ぐ声が中まで聞こえた。そのせいか、早々に縄を解かれた。なんでも王宮から使いが来たらしい」

「民と兵が、こんな騒ぎを起こすのは陛下の治世では始めてでしょう。もともと近衛兵と軍は仲が良くない。放っておけば暴動になってもおかしくなかったですから」

「ああ。俺の命と、王都を覆う暴動を天秤にかけ、いったんは俺の命を諦めたのだろうな。混乱を収めるよう、露台に立てとまで言われたぞ」

テフォンが肩をすくめてみせます。

どのような絡繰りかわかりませんけれど、霊水晶に祈った私の声が皆に届き、騒ぎを知った二人の父がテフォンを開放したようですわね。

霊水晶には歴代の巫が祈りを捧げてきました。

もしかしたら、これまでの巫たちが、私を憐れんで助けてくれたのかもしれませんわね。

ですが、二人の父は、さらに私達を疎むようになったことでしょう。

また、何かにつけて、このようなことをするかもしれません。

――ええ、もちろん、させませんわよ。

私は以前とは違います。

我が家族に害なすなら、父二人にも、容赦はしませんことよ。

そう思いながら、私は二人の夫を見据えます。

「安心なさい。アイテルもテフォンも、二度とこのような目には遭わせませんわ」

すると、アイテルとテフォンはきょとんとした顔になります。

「どうしまして?」

今度は、二人の夫は顔を見合わせるなり、声を立てて笑い出します。

「はは……それはそれは、頼もしい」

「ふ、ミティス様がそう仰せなら、俺たちは安心ですね」

何がそんなにおかしいのか、私にはさっぱりわかりません。

けれど、二人の夫が笑っているのを見るのは好きですわ。

ええ、またこんな光景を見られたのですから、よしとしましょう。

笑いを収めると、テフォンが目を細めて私を見ます。

「本当に、姫は見違えたな。強くなった」

「ええ、お心が健やかになられたような。ですが体は大丈夫なのですか?」

アイテルに言われて、手を動かしてみますが、特に違和感はありません。

「大丈夫ならいいのですが……。広間に戻るとミティス様が倒れてらして……テフォン殿が戻られても目を覚まさず」

「丸一日目を覚まさなかったんだぞ」

そんなにも長く、私は眠っていたのですね。

すべては、ほんの一瞬のことのように思えましたのに。

ああ、でも、ここまで、本当に一睡の夢のようでしたわ。

でも、この夢は、これからも続くのですわね。なんと素晴らしいことでしょう。

「テフォンが心配で、疲れていましたのよ。すこしばかり夢を見ていましたの」

私は、改めて二人の夫を見ます。

白い肌に、青い瞳、琥珀色の髪。女性的な端正な顔立ちに赤い唇。昔から常に従順に誠実に仕えてくれるアイテル。

浅黒い肌に黒い瞳と髪。男性らしいくっきりした顔立ちは笑うと一気に柔和になりますわ。私の命を救って、新しい世界を見せてくれるテフォン。

私は二人の手それぞれに、自分の手を重ねますと、二人を見ながら、口を開きます。

「夢の中で、思いましたの。もう、ひとりは嫌だって。この先、私にはアイテルとテフォンが必要ですわ」

アイテルとテフォンが顔を見合わせて、また笑います。

この二人はいつもこうですのよ。何かにつけて、笑い合いますの。

ああ、でもやっぱり、私は、それを見るのが好きなのですわ。

「ミティス様に俺たちが必要であること、重々、存じております」

「俺たちは家族だ。三人でひとつだ」

誰からともなく、私たちは互いの手を一つに重ね合います。

互いの温もりが心地よいですわね。

ええ、私はもう一人ではありません。私は三人でひとつ。

二人の夫を守るため、そして、生まれてくるであろう次の巫を守るため。

この先の私の命を捧げましょう。

残りの日、家族揃って穏やかな暮らしを過ごせますよう。

それだけが、これからの私の願いでしてよ。

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