第18話
――どこからか、心地よい風が吹いてきます。
小鳥の囀り。
さやさやと、草が風に揺れる音が聞こえます。
辺りは闇です。
闇の中にいるのは、大変に心地良いものですわ。
夜は安息。闇は安息。
闇は、すべての生き物にとって、休みの刻限なのですから。
ああ、このま大切なことがあったように思います。
私は目覚めないとなりません。
思い切って目を開けますと、青々と茂る草と、鮮やかな花々、飛び交う蝶が見えました。
身を起こせば、そこはやはり、塔の庭園でした。
けれど、誰もいません。
草は伸び放題で、花を追いやっています。
取り囲む柱と石柵はくすみ、ところどころが崩れています。あの手入れが行き届いた美しい庭園ではありません。
改めて、辺りを見回しますが、やはり誰の姿もありません。
空は今日も青く澄み渡っていました。
けれど、後ろの塔は、これだけ光がありますのに、なんだかくすんで見えました。
私は立ち上がると、石柵へ向かいます。
柱のいくつかは崩れていました。
前に身投げしようとした時は、石柵の綻びが誰にも見つからないよう祈っていたものでしたが、もう、そんな必要もなさそうですわね。
案の定、石柵の多くは脆くなっておりました。
石がこんなになるなんて、どういうことなのでしょう。
石柵の隙間から下を覗き込んだ瞬間、息を呑みました。
オケアノスの街も、同じように朽ちていました。
建物の多くが崩れ、残る建物の屋根の色はくすみ、あちこちが木の緑に覆われていました。
ならば、王宮は?
私は急ぎ、左へ走ります。
王宮は変わらずありましたが、やはり、一部が崩れていました。とても人が住んでいるようには見えません。
振り返って塔を見ます。
よく見ますと、塔の中にまで青々とした草がぽつぽつと生え、やはり誰の姿もありません。
もうはっきりしました。
少なくとも今、ここには、誰もいないのです。
私ひとりなのです。
今、身投げしても、誰も私を咎めることはなく、助けることもないのです。
私は、ひとりなのですから。
「アイテル、テフォン」
愛しい二人の名を呼んでみます。
けれど、応える声は聞こえません。
「…アイテル! テフォン!」
二人の名を声の限りに叫びます。
私の声が、むなしくこだまします。
もう一度。
私は、二人の名を叫びます。
彼らは私の大切な家族。
私はもう、ひとりは嫌です。
私には二人が必要です。
二人がいる場所に、私は存在しなくてはなりません。
瞬間、あたりが、眩しいほどの青白い光に包まれます。
光はすぐに収まり、次に私がいたのは、部屋の露台でした。
外を見ますと、塔の下には、赤い外套の近衛兵たちにまじって青い外套を羽織った兵がいます。
青い外套は軍の証ですわ。
軍の兵の後ろには平服の者が群がっています。おそらく民でしょう。
青い兵と民は、どうも赤い近衛兵たちに、詰め寄っているように見えます。
さらに、一部の兵と民は、王宮の方角へ向かっています。
王宮の方へ目をやった時、また、青白い光が視界を覆います。
次に見えましたのは、玉座に座る陛下と宰相殿でした。
陛下は、苦々しい顔で宰相殿の話を聞いています。
周りには臣下らしき殿方達が控え、陛下の顔色をうかがっています。
テフォンは、どうなったのでしょう?
監獄塔で無事なのでしょうか?
そう思ったとき、また、青白い光が視界を覆いました。
今度は、なかなか光が晴れません。
なにやら歓声が聞こえます。
鼓動が早くなるのを感じながら、早く、光が晴れるのを願います。
ようやく光が収まり、見えましたのは、監獄塔の露台に出てきたテフォンでした。
朝とは違い、鎧は身に着けていませんでしたが、白い衣は護衛官のものです。
テフォンの後ろには青い外套に鎧を着た兵士が二人、控えていました。
テフォンは露台からどこか遠くを見ていました。
テフォンが手を上げてみせると、あたりから、わあっと歓声があがります。
ああ、私の声が届いたのでしょうか?
軍にはテフォンを慕う者が多くいると聞きました。
彼らがテフォンを助けてくれたのでしょうか。
ともあれ、テフォンが私たちの元へ戻ってくるのでしたら、何でもかまいませんわ。
私の望みはひとつ。
また、私と二人の夫の三人の家族で、穏やかに暮らすことだけです。
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