第2話
庭園は王都で一番空に近い場所。身を投げれば、確実に死に至る場所です。
庭園に出ますと、私は空を見上げて、深く息を吸い込みます。
いつも、必ず、そうしますのよ。
ええ、すこしばかり、心が落ち着くのですわ。
今日も、王都の空は、私の心とは裏腹に、青く高く、澄んでおりました。
ですが、東に雲が固まってますわね。きっと、夜は雲ばかりとなりましょう。星見には不向きな空模様ですわ。
地上へ目線を戻しますと、色とりどりの花が揺れ、蝶が飛び回っている様が見えます。
ここは、いつも心地のよい風が吹き抜けています。
聞こえるのは小鳥のさえずりと、草が風に揺れる音だけ。
庭仕事をする女官はいますが、私を見て見ぬ振りをしてくれます。
皆、熱心に手を動かしておりますから、私にかまっている暇はないのでしょう。好ましいですわね。
庭園の周りは、石柱と手すりがぐるりと囲んでおります。あまり外は見えません。
それでも、何本か植わった木には小鳥が宿り、楽しげに毎日歌っています。
空を飛ぶ鳥たちにとっては、石柱も手すりも、なんの妨げにもなりませんものね。
ああ、右端の石柱も手すりも、遠目には変わってませんわね。大丈夫、見つかっていませんわ。
それにしても、誰が、何のために、こんな場所を作ったのでしょう。
塔から出ることのない巫の、慰みの場所とは聞いておりますが、巫は皆、庭園で長い時を過ごしたのでしょうか。
というのも、お母さまは、あまり庭園に出ませんでした。
お一人の時も、宰相殿とご一緒の時も、いつもお部屋でお過ごしになられていましたわ。
「姫様、今宵は星見ができましょうか?」
アイテルの声に、私は慌てて物思いをやめます。
アイテルは少し離れた場所で、空を見上げておりました。
琥珀色の髪が陽の光を受けてきらめく様は、いつ見ても美しいですわね。
「今宵は星見には不向きですわ。東の雲が動きますから」
そう答えますと、アイテルは空を見上げたまま、言葉を続けます。
「それは残念です。前に、今宵は鷲の星が見えるとのことだったので、気になっていたのです」
「よく覚えてますわね」
「それは、もう。姫様の護衛ですので」
「鷲の星は今日が一番よく見えますけれど、この分だと厳しそうですわ。明日、雲が散ればよいのですが」
「ミティス姫は星見をするのか」
突然、テフォンの声が割って入ります。
テフォンはアイテルの少し後ろに立ち、驚いた表情を浮かべておりました。
「姫様の星見は、学術院でも評価されております。辺境の戦にも、きっと役立っていることでしょう」
アイテルの言葉に、テフォンの表情が少し緩みます。四六時中、怒った顔をしているわけではないようですわね。
「学術院の予測はよく当たる。これまで何度も助けられてきた。星見の精度が高いからとは聞いてはいたが……ミティス姫の助力というわけか」
余計な誤解をされて、さらに憎しみを買いたくはございません。ここは口を挟みます。
「学術院がよくまとめているだけですわ。私はただ、星見の記録をつけているだけでしてよ」
私は、星を見るのが好きですわ。
星は美しいですし、見ていると心が安らぎます。
なので、その観察記録をつけ始めることにしました。
私がやっている星見とは、それだけのことですのよ。
「それでも立派なことだ。星見は日々の地道な観測が必要と……ん?」
テフォンが突然言葉を切って、花壇の一角を見つめます。
視線の先には、赤いひなげしが風に揺れているだけ。変わった様子はございません。
「何か、気になることが?」
同じく花壇を見やるアイテルの声には、困惑がにじみ出ていました。
「雛だ」
テフォンは短く答えますと、当の花壇の一角へ、ずんずんと進みます。
私はアイテルと顔を見合わせると、テフォンの後へ続きます。
テフォンは花壇の角にかがみ込み、草をかき分けていました。
背後からのぞき込んでみますと、茶色い雛鳥が地面にうずくまっています。
テフォンはしばらく雛を見つめた後、草をさらにかきわけ、それから顔を上げて、あたりを見回します。
「親鳥は……いないか。捨てられたな」
雛鳥は、鳴くこともなく、ただ、ぶるぶると震えております。
「その小鳥は、どうされますか?」
アイテルの言葉に、テフォンがため息をついて立ち上がります。
「捨て置くしかないだろう。雛は、人が拾っても死ぬ」
人間たちが命の品定めをしている間も、雛鳥は逃げることなく、体を膨らませ、身を震わせておりました。
「テフォン殿、なぜ、人が拾っても雛は死ぬのでしょうか?」
「雛は人の手からなかなか餌を食べないものだ。それに、親が見捨てる雛は、そもそもが弱い」
ああ、わかりますわ。
小鳥の親も、弱い子を捨てるのですわね。
お母さまもそうでしたわ。
「……親からはぐれたのなら、あるいはと思ったんだがな」
テフォンが空を見上げます。
けれど、親鳥らしき姿は見えません。
捨てられた雛鳥は、地面にうずくまり、相変わらず震えております。
テフォンの言うとおり、この子は遠からず、ここで死ぬのでしょう。
それでも、今、この子は確かに生きています。
その時でした。
「テフォン殿。この先はわかりませんが、その雛は、今は生きています」
アイテルが、まるで、私の心を見透かしたかのような言葉を口にします。
アイテルは時々、私の心が見えるかのようにふるまうことがありますのよ。
「だが、遠からず死ぬ。放っておけ」
テフォンが険しい顔でアイテルを見ますが、アイテルも負けじとにらみ返します。
「それでも姫様は、雛を助けたいとお望みです」
アイテルは、今度は青い瞳で私をじっと見つめ、口を開きます。
「不躾ながら、お心の内と相違ないかと思いまして」
「ええ、そのとおりですわ」
アイテルの言葉は、確かに私の心の内と相違ありません。
親から捨てられた雛鳥は、私でもあります。
遠からず死ぬからといって、今生きている雛鳥を見捨てるのは、私には非常に難しいことですわ。
それにしても、アイテルは不思議な護衛官ですわね。なぜ、私の心の内がわかるのでしょう。
長く仕えているからだと、女官長は言います。
けれど、アイテルよりも長く仕える女官長は、私の心の内など、ちっともわかっていませんのよ。
アイテルは私に一礼すると、雛鳥の前にかがみ込み、大きな白い手で雛鳥をすくい上げます。
雛鳥は、アイテルの手の上で、やはりぶるぶると震えていました。
アイテルはそのまま雛鳥を手に乗せると、立ち上がります。
「無駄なことを」
テフォンが苦々しく呟きます。
「餌は何を?」
「粟でいいだろう。どうせ食べないだろうが」
「女官に用意させましょう。姫様、部屋にお持ちします」
アイテルの手の上で震えている雛鳥は、黄色いくちばしをしていて、とても愛らしい姿をしておりました。
ああ、どうか、この子が無事、元気になりますように。
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