二人の夫
澤村製作所
第1話
暗い視界の奥に、ぼんやりと青白い光がたゆたっています。
愛おしくて、憎い、霊水晶の光ですわ。
祈ることはただひとつ。
どうか、今日こそは、力に目覚めますように。
目を固く閉じ、手を痛いほどに固く組み合わせ、心を一点に集中させてゆきます。
――どうせ、無理ですわ。
――でも、今日こそは、もしかしたら。
諦めと、ほんのわずかな期待。
私の祈りは、毎日、毎日、この繰り返しですのよ。もう、いい加減疲れましたわ。
こうして望みと恨みを交互に心に浮かべるのが正しいのかはわかりません。
何をどうしたら霊水晶が金色に光るのか、誰も教えてくれませんでしたもの。
ええ、いつ祈りを終えて、目を開けるべきなのか、いまだにちっともわかりませんのよ。
しょうがないので、心の内で言いたいことが尽きましたら、目を開けることにしていますの。
――至らないまでも、毎日、祈ってきましたわ。ご存じでしょう? そろそろ報いてくださってもよろしいのではなくて?
最後にそう念じますと、私はゆっくり目を開けます。
霊水晶は、今日も変わらず、青白い光を放っておりました。
ああ、今日も、私は駄目でしたのね。
私の願いは叶わないのですわね。
「姫様、本日もお務め、お疲れ様でした」
横に立つ女官長が、青い目でじろりと私を見ます。
彼女は子供の頃から塔にいますけれど、痩せた長身に灰色の長衣をまとい、長い銀髪を結い上げた姿は、少しも変わりませんのよ。
「ありがとう」
私は目をそらして、いつもと同じ決まり文句を返します。
広間の壁際には、女官達がぐるりと立ち並んでおりました。
揃いの灰色の長衣に、結い上げた髪。
皆、微動だにせず、広間の中心を見ておりますけれど、その耳は、私と女官長の言葉を一言たりとも聞き逃すまいと、ぴんとはりつめていますことよ。
昔からそうですわ。女官達は皆、内心、私をあざ笑っておりますの。
今日も、昨日も、本当にこの塔は、何も変わりませんことね。
「我が国が誇る
朗々とした男の声と足音が、後ろから聞こえます。テフォンですわ。
抜きん出た長身に、がっしりとした体つき。
白い短衣に軽装の鎧、青い外套。
浅黒い肌にくっきりとした黒い瞳、黒い髪。
灰色の女官たちの中で、彼の姿は浮いておりますわね。白い鳥の群の中に、カラスが混じったよう。
そもそも、浅黒い肌も黒髪黒目も、王都では珍しいのですわ。
「今この時も、辺境では多くの兵が死地に向かっている」
テフォンは、今日も無遠慮ですわね。私の前に堂々と進み出ると、険しい目で私を見下ろします。
ええ、彼もまた、私を疎んじておりますのよ。
「ミティス姫は塔でぬくぬくと守られるだけで、何も務めを果たしていないと見えるが?」
そのようなこと、わざわざ言の葉にせずとも、重々承知でしてよ。
この塔で、私だけは、何の働きもしておりません。本当、生きる価値すらございませんわね。
「姫様は十二分に力を尽くされております。お慎みを」
割って入った涼やかな声はアイテル。私に古くから仕える護衛官ですわ。
彼の声はいつ聞いても好ましいですわね。
すらりとした長身に、灰色の短衣に軽装の鎧。白肌に、琥珀色の髪と、青い瞳。
テフォンは三十くらいに見えますけれど、アイテルは私より二つ三つばかり、年が上のはずですわ。
あら、珍しい。アイテルがテフォンの隣へ進み出ましたわ。
隣り合いますと、アイテルとテフォンは何もかも違っていますことね。
「テフォン殿が長らく我が国を守ってきたことは尊敬しております。ですが今の貴殿は、姫様の護衛官。わきまえられよ」
アイテルの言葉に、テフォンが肩をすくめてみせます。
名の知れた将軍なれど、護衛官としてはアイテルのほうがずっと経験が深いのですから、当然ですわね。
「道理だな。俺は貴公と違い、新任の身、平民の出だ。ここは王都で、塔だからな」
テフォンの右腕には包帯が巻かれております。
戦で深傷を負い、治癒のため王都に来て、どういうわけか私の護衛官となったのですわ。
真偽はわかりませんけれど、建前は、そういうことになっておりますのよ。
「事情があるのは察する。それでも、愚痴のひとつも言いたくなる。もう五年、防壁が張られてない。それは何故か?」
――私の力不足のせいでしてよ。
そう思いながら目線を正面に戻しますと、案の定、黒い瞳が睨んでおりました。
「防壁が張られないことを他国がどう思っているか。辺境の兵に、どれほどの負担がかかっているか。塔にいても想像くらいはできよう?」
ええ、国中の者が私を憎んでいることなら、毎日想像しておりますわ。
本当に、どうして私は巫なのでしょう。
なんの力もございませんのに、なぜ、生まれだけで、巫の使命と向き合わなくてはならないのでしょう。
せめて、お母さまと同じ力があればよかったものを。
それとも、やはり皆が言うとおり、私の努力が足りないだけなのかしら。
「姫様は日々、国のことに思いを馳せ、星見に精進なさっています。何も知らずに無礼を申すな」
アイテルが珍しく険しい声でテフォンに対峙します。
アイテルは子供の頃から塔におりますので、何かにつけて私をかばってくれますの。義理堅く、誠実な性分なのですわ。
ですが、忠心はありがたいですけれど、正直、いたたまれなくもありますわね。
アイテルが何と言おうと、私には巫の力がないのですから。
「すべては私が至らないせいですわ。申し訳ありません」
いつものように場を治める言葉を口にして、私は踵を返します。
霊水晶に背を向けますと、ちょうど庭園がよく見えますのよ。
柔らかな緑と、どこまでも高く澄んだ青い空。
塔の中で唯一まともな場所ですわね。
けれど、庭園へ向けて足を一歩踏み出したとたん、強烈な眠気が襲ってきます。
……ええ、なんとかあくびはかみ殺しましたわ。皆にあからさまに悟られるのは避けたいですから。
ああ、どうして私は、皆のように、陽が眠るのと同じ刻限に眠れないのでしょう。
本当に、我ながらどうしようもない巫ですわね。
こんな私が次の巫を宿したところで、なんになりましょう?
その子も、なんの力を持たずに生まれてくるかもしれませんのに。
それでも、あと十年、私は今日と同じような毎日を過ごして、この塔で死んでいくのですわ。
その日もきっと、この塔は、何も変わっていませんことよ。
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