色々な部屋ーダイジェストバージョンー

明弓ヒロ(AKARI hiro)

私の部屋

 私の色の感じ方が他の人とは違っていることを自覚したのはいつからだろう。


 目が捕らえる色によって、聴覚や触覚、味覚など他の感覚を生じる現象を共感覚、シナスタジアというらしい。私にどうして、そんな感覚があるのかはわからない。だが、世界を見るたびに、いろいろな色が目に入るたびに、音が、触覚が、味覚が、様々な感覚が刺激され私を苦しめた。


 だから、私の部屋には色が無かった。感覚を刺激することのない、白と黒、灰色の色彩のない部屋だ。そんな私とは対照的に色々な色で彩られていたのが、幼馴染の咲の部屋だった。


 保育園児だった時に初めて咲の部屋に足を踏み入れた時の光景は未だにはっきりと覚えている。ドアを開いたとたん黄色い光に包まれた。ひまわりのクッションや黄色いベッドカバーのある温かみのある部屋。私の住む色のない部屋とは対照的な強い色彩が、幼い私にはおとぎ話の世界のように私の心を圧倒した。


 そして、私たちが小学校に上がると咲の部屋は、女の子らしいピンクの部屋になった。淡いピンクの大人っぽいデザイン机と、ピンクの机の上にあるピンクの耳の長いうさぎのぬいぐるみは、まだ捨てがたい幼さと大人の世界への憧れがハーモニーを醸し出す。この頃の私と咲は子ども時代特有の典型的な親友同士で、ほとんど毎日をいっしょにすごしていた。


 しかし、中学に上がると、私たちの距離が少しずつ開き始めた。成長しいろいろと選択肢の増える年頃になると、何事にも活発で社交的な咲と内気な私とでは、付き合う友達も過ごす場所も、自ずと違ってくる。そして、私と咲が置かれている経済環境の違いもそれに拍車をかけた。裕福な家庭と、貧しいとは言わないまでも余裕のない家庭の差は、着実にこの先の人生の進む道に影響を与える。鮮やかなブルーに彩られた咲の部屋は爽やかなギリシャのリゾート地のようで、センスのある調度品や、さりげなく壁に飾られた絵が、私の家庭では絶対に手の届かないものであることを思い知らされた。


 当然のように咲は名門の私立校へと進学し、地元の公立高校へと進学した私とは会う機会がめっきりと減り、稀に駅で顔を合わせるぐらいだった。私には想像もつかないきらびやかな世界、私には溶け込みようもない世界、新しい制服に身を包んだ咲は、遠目からも輝いて見えた。半年ぶりに咲の部屋を訪れると、グリーンのヨガマットや、小さなダンベルが棚に置かれていた。疲れを癒すハーブの香りが漂うトレーニングルームのようだ。国内はもとより海外で活躍するOBもいるチアリーディング部に入って、レギュラーの座を巡って激しい競争をしているという。絶対にレギュラーになると自信にあふれた咲の顔は、幼馴染という身びいきを差し引いても、まるで王女のように輝いていた。


 一年生でレギュラーの座を勝ち取った咲。咲とは直接会うことも無くなり、テレビや雑誌でかろうじて現況を知るだけとなった。だが、最後に咲と会った時から一年ほど経ったころ、咲の母親から咲が半年前から引き籠っているとの連絡を受けた。目立つ生徒に対するやっかみ、十代の女の子特有の恋愛事情など、いじめの種などいくらでも存在する。そして、学校のような人間関係が密で閉ざされた世界では、あっという間に悪意が育ち、未熟な女子高生の心など簡単に壊れてしまう。私は居ても立っても居られず、咲に会うために咲の部屋を訪れたが、部屋の扉は固く閉ざされたままだった。何度行っても、無言の扉は私を拒絶した。


 ある日、閉ざされた扉を後にしようとしたとき、妙な胸騒ぎがした。体に悪寒が走り、みるみるうちに立っていられないほどの震えが私を襲った。私は自分が何をやっているのかもわからず、閉ざされた扉に体当たりした。私の狂ったような様子を目にし、咲の母親も何かを感じ取ったのだろう。私たちが力を合わせて扉を破ると、私の目には真っ赤な部屋が飛び込んできた。その時の記憶は曖昧だ。自分の声か、それとも咲の母親の声か、絶叫と、救急車を呼ぶ声と、赤いサイレンの光と音が、ごちゃごちゃになって、どこまでか現実でどこからが空想なのか、今となってはわからない。


 幸い、咲は一命をとりとめた。


 その後、学校を中退し、しばらくは精神科に通っていた咲だが、回復すると夜の店で働き始めた。辛い過去を抱えた儚さが年配客の庇護本能を刺激したのか、50過ぎの裕福な男に求婚された。咲はそれを受け入れ、今では専業主婦だ。新居は金でできた灰皿や金箔が張られた時計など、若干品格にかける成金の趣だが、豪快な性格の人の好い夫と、お腹の膨らんだ咲は幸せそうだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 お日様に照らされるような暖かな黄色い部屋。

 お菓子でできたような甘いピンクの部屋。

 海風と波の音が聞こえてくる青い部屋。

 ハーブの爽やかな香りが漂う緑の部屋。

 背筋が凍る恐怖に染まった赤い部屋。

 決して揺るがず笑いのたえない黄金の部屋。

 

 咲の部屋はいろいろな色で彩られていた。そして、咲の人生も。

 咲の人生は明るい色だけでなく、暗い色で染まった時期もあった。だが、それも咲の人生の一部だ。


 それに対し、私の部屋には色がない。それは、私の人生に色が無かったからだ。


 私は咲の部屋が羨ましかったが、本当は、咲の人生が羨ましかったのだ。色々なことに恐れず飛び込む咲の人生が。たとえ失敗することがあっても、辛いことが待ち構えていても、未知の世界に飛び込む咲の勇気が、臆病な私が踏み出すことのできない人生が。


 今、私の目の前には何もない部屋が広がっている。

 一人暮らしを始めるために、長年暮らした部屋から、今度引っ越す新しい部屋だ。


 本当ならば、もっと早く、自分の人生を彩らなければいけなかったのだろう。他の人は、もっと早く、自分の人生を彩るのだろう。


 新しい命を生み出そうとする咲の姿が、黄金の光の矢となって、私の臆病な心の殻にわずかなひびを入れてくれた。殻を割ることができるかどうか、あとは私次第だ。


 遅くなってしまったけれど、勇気をもって、一歩、色のある世界に踏み出そう。

 私の人生を自分の色で染めよう。


 ベッドカバーは緑にしよう。ハーブの爽やかな香りで眠れるように。

 薄いピンクの食器を揃えよう。ケーキの甘さが引き立つように。

 青いカーテンで窓を飾ろう。耳をすませば波の音が聞こえるように。

 壁紙には黄色いアクセントを入れよう。暖かな日差しで包まれるように。


 そして、咲を招待しよう。

 色々な色で彩られた、私の部屋に。

 私の人生に色をくれた、私の大切な友達を。


―了―

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