根雪の解けるとき

ゆかり

 深夜、降りしきる雪の中、燈子とうこは駅に立っていた。


 この町は冬になると色を失う。雪に覆われ白一色の世界になる。

 冬の間中という訳ではないが、青空の見える日は少ない。

 それでもたまに青い空に恵まれると軒下のつららに光が宿り、町を取り巻く山々も白く輝く。束の間、色を取り戻す。


 それは暗い冬が一瞬見せる幻だ。


 燈子はこの町が嫌いだ。

 辛い思い出ばかりが残る場所だ。それなのに、なぜ今、自分はここに立っているのだろう? わからない。何かを待っているような気もする。


 暗い街灯が降りしきる雪を照らしている。それをじっと見ていると自分の体が宙に昇って行くような錯覚を覚える。不思議に寒くない。


「燈子さん?」

 ふいに声を掛けられ視線を移すと、そこには列車が止まっていた。蒸気を上げて暖色の光を放ち、暗いホームに浮かび上がっている。

 随分昔に廃線になったはずのこの駅に列車が止まっている。

「お待たせしました。さあ、お乗りください。中は暖かいですよ」

 シャキッと制服を着た車掌がパチンパチンと改札ばさみを鳴らしながら、もう一方の手で手招きしている。

 今時、こんな改札ばさみを使っている駅などあるはずもないのに。


『なるほど』

 燈子は理解した。これは銀河鉄道というヤツだ。


「切符は持ってないけど」

 燈子はそう言いながら切符を差し出す。いつの間に手にしたのか切符があった。

「あら」

 さすがは銀河鉄道だ、と思う。

「この列車はどこへ行くの?」

 車掌に問うと

「どこへでも。お好きな場所のお好きな時間へ」

 そう答える。

『なんだ。死後の世界へ一直線って訳じゃないんだ。つまり、この列車で走馬灯体験が出来るって事かしらねぇ』

 燈子は自分はおそらく死んだのだろうと思っている。確か、救急車で病院に運ばれた、そこまではかすかに思い出せる。助からなかったのだろうと察しはついた。


「この機会に何処か行ってみたいところはありませんか?」

 他に客もなく暇なのだろう、車掌は燈子の向かいの席に座っている。

「どこへでも行けるの?」

「はい。それににでも行けます。過去でも未来でも」

「私の生まれる前にでも? 死んでしまった後の未来にも?」

「はい。どこへでも、いつにでも。ただ、この列車の窓から眺めるだけですから干渉はできませんが」

「なーんだ。じゃあつまらないわねぇ。映画やテレビを見てるのと変わらないじゃない。それならこうして星を眺めてる方が素敵かも」

 死んでしまった事は意外に悲しくはなかった。悲しくはないが寂しいというのか、みんなでワイワイ遊んでいる最中に自分だけが家に帰らねばならないような、そんな寂しさがあった。


「この列車は他にお客さんはいないの?」

「それは難しい質問ですね」

「え? 難しい? 見渡したかぎり私ひとりだけど」

「沢山乗ってますよ。なんなら満席です」

「そうは見えないけど、そういうものなの? この列車は」

「あなたには列車ですが、これを飛行機だと思って乗ってる方もいますし、船だと思ってる人も。独創的な感性の方は筋斗雲きんとうんだと思っていたり。乗用車、バイク、自分の羽とかそれぞれです。面白いですよね」

「なるほど」

 納得したふりをしたが燈子にはイマイチわからない。だが死後の世界なのだからそういうものなのだろう。生前の常識など通用しなくて当然だ。


「みんな、あの駅から乗ったの?」

「いいえ。みんな思い思いの場所から乗るんですよ」

「じゃあ、私はどうしてあの駅から乗ったのかしら?」

「素敵な想い出があった場所なのではないですか?」

 そんなはずはない。と燈子は思った。

 故郷のこの町には嫌な想い出しかない。

 イジメの被害者にも加害者にもなった。どちらも悲しく辛い思い出だ。

 小学生の頃、父が亡くなったのも白黒の雪景色の中の出来事だった。

 そして暗い中学生時代。


 この町の冬は暗く長い。


「あ、あれは燈子さんではないですか?」

 車掌の指差す方を見ると、確かに小学生の燈子が雪の中を歩いている。

「どうして?」

 行きたい場所や時間を指定した覚えはない、それなのになぜ? と問う。

「心の中で思い浮かべたのではないですか? 無意識に」

「そうなのかしら」


 小学生の燈子は学校の帰り道のようだ。


 燈子の小学校は小高い丘の上にあり、登校は延々と坂を登る。雪が凍ってその上を沢山の子供らが通るから、更にツルツルになる。

 たちの悪い子供は、後から登校する者たちのためにわざわざ靴で地面を撫で、光るほどツルツルにしておくのだ。

 よほど足元に注意していないと必ず転ぶ。注意していても転ぶ。だから登校にはとても時間がかかる。


 が、帰り道は早い。

 小学生の燈子は背負っていたランドセルを降ろすとクルンと裏向けて、雪の斜面に置く。そしてその上に腰を下ろすとそのまま斜面を滑り降りた。

「うわっ」

 それを車窓から見ていた燈子は思わず声を上げた。我ながらやるもんだと感心もするが呆れもする。

 こんな事をやっていたのか、いや、確かにやっていたな。と少しずつ思い出す。


 ランドセルをソリにするなどまだ可愛らしいものだった。

 高学年になると、この坂は下りず、横の崖を飛び降りて帰っていた。雪が積もって崖下までの距離が縮まり更に雪がクッションになるから易々と飛び降りられるのだ。仙人のように白黒の景色の中をぴょんぴょんと飛び降り下界に降りる。


 燈子の想い出の中のこの町が少しづつ色づいてくる。

 嫌な想い出ばかりではなかったのだ。

 

 そうだ、春は遅かったが桜が綺麗だった。

 その桜の下で祭りが執り行われる。

 獅子が舞い、鳥毛打とりげうちかねを打ち鳴らし舞姫が踊る。てんぐが一本歯の高下駄で闊歩し、奴さんに扮した子供たちが歓声を上げる。

 色とりどりの綿あめにハッカ飴。お面、ヨーヨー、金魚すくい。


 そしてあの駅は――――

 この町に初めて鉄道が開通した日、父と並んで旗を振った場所だった。


 燈子の想い出が一気に色づく。


「では、そろそろお戻りになりますか? みなさんお待ちのようですし」

 車窓の景色に夢中になっている燈子に車掌が声を掛けた。笛を手にしている。

「戻る? どこに戻るの?」

「燈子さん、多分、あなたは勘違いをされているんだと思うのですが、これは死後の世界に向かう列車ではありませんよ。浮遊している魂のための観光列車です。そろそろお目覚めの頃合いです」

 そう言うと車掌はピィーっと笛を吹いた。


 燈子はうっすらと目を開ける。

 そこには心配そうに覗き込む家族の顔が並んでいた。

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根雪の解けるとき ゆかり @Biwanohotori

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