カツラ犬は色即是空

八木寅

第1話

 色即是空。客の髪を切りすぎてしまったとき、オレは思う。全てはくうであり不変の存在ではないのだから、髪がなくてもいいじゃないと。

 でも、さすがにそれを口にはしない。客は怒るだろう。けど、今日の客に限っては言いたくなる。頭頂に一本だけ生えていた毛。あってないようなものでしょ?

 されど、そうはいかない。だって、このじいさん否おじさまは国民的なスターで、頭頂の毛は彼のトレンドマークなのだから。


「どうしたんだ」


 おじさまが片眉をぴくりと動かした。さすがスター。貫禄が半端ない。いつも一家の大黒柱の演技をしているだけはある。

 そろそろ、切った一本を頭頂で握り続けごまかすのは無理だろう。次はどうしようか。


「えっと。実はイメチェンキャンペーンをやってまして」

「なんだそれは」

「それはですね」


 会話をしながら店内を見渡す。なにかなにかあるはずだ……あ。


「そのアフ●けん持ってきて」


 とっさにアシスタントスタッフにお願いした。名案だとは言えない。でも、今はこれしか思いつかない。


「どれっすか」


 アシスタントは窓際に並んだアフ●犬の人形を悠長に眺めている。緊急事態だと叫びたいけど、客にバレるから仕方ない。


「とりあえず全部」


 持ってきてもらった中から一つを頭頂に置いた。虹色のアフロヘアの犬を。


「いかがですか」

「なんだね、これは」


 おじさまの顔が険しくなった。だが、ここまでやったからには、プロらしく押しきるしかない。


「この犬を乗せるだけで、自由自在に髪型やカラーを変えることができるんですよ。今はキャンペーン中なので、追加料金なしでやってます。

 どうですか。このレインボーアフロ以外にも、リーゼントにもできますよ。簡単にイメチェンを楽しめるんです」


「そうか……だが、犬の人形ってのはおかしくないか?」

「そんなことないですよ。かわいいくて、女の子にモテちゃいますよ」


「そうか……でも」

「サステナブルにもなるんですよ。かつて人気だったあの犬を再利用。ね、時代はサステナブルですからね。意識高いって、仕事もうまくいっちゃいますよ」


 さあこのまま犬を乗せて帰ってくれ。そうオレが念じていると、おじさまは笑いだした。


「どうしたんですか」

「こりゃ一本とられたな」

「え、それはどういう」


 まずい、バレてしまったか。次はどういう手でいこうか。


「切られてたのは知っておった。君がどういう対応をするのか気になって、つい話に乗ってしまったんだよ。まさか、犬を乗せられるとは思わなかったけどな」


 ハッハッハと、おじさまは楽しそうだけれど……、え? 切られてたのを知ってた? それなのに怒ってない?


「え。じゃあ、犬は要りませんかね」

「いや。そこまで聞いたら、つけてみたくなった。その犬に新たな役割を与えようじゃないか」


 その言葉を聞いて、オレはあの仏語を言いたくなった。そうだ、役割だって不変ではないのだ。アフ●犬がカツラ犬になってもいいはずだ。


「色即是空ですものね」


 すると、おじさまは仏のような笑みをつくり、口を開いた。


「そんな大層な言葉を言えるなら、正直に謝れるようになりなさい」

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