合唱男(がっしょうだん)!

Pachi

合唱男(がっしょうだん)! 著:/Pachi

音楽室の窓からは、いつも通り部活に打ち込む同級生の背中が見えていた。いつも通りの光景だ。下校の音楽もいつも通り流れきている。

―大丈夫、何も変わっていない。

そう心の中では思えるのに、気分は全くさえなかった。さっきまで青空が広がっていた空には、まるで違う、どんよりとした雲が広がっていた。それは、青空が悪に飲まれてしまったかのような光景だった。大粒の雨も地面に叩きつけるように降っている。

―帰りの電車は混むだろうな。 

そう思った。でも、目から静かに落ちてくる水滴は雨に溶け込んで誰にも気づかれないかもしれない。自分に雷でも落ちればいい、そう思いながら一歩踏み出した。

 

選抜の日はいつも通りの平日部活の日だった。僕は合唱部員だ。歌が大好きで入部した。

その日は一年生の中から、大会に出場する人を選ぶ日だった。夏のコンクールに向けて編成を考えるための選抜が行われた。僕の男性パートでも、選抜は行われた。男性パートは五人しかいない。その中から四人を選ぶという。二年生には一人もいなくて、三年生に二人。三年生はコンクールへの出場が決まっている。そして僕ら一年生は三人だ。この中から誰か一人落ちることになる。一年生は僕、幸介、和希の三人。幸介とは、小学校の三年生までは一緒のクラスで、四年生から、クラスは別々になったが、小学校の合唱部に二人で一緒に入部し歌ってきた、大親友だ。

 和希は、五年生の時に合唱部に入部してきた。同じクラスになったことはなかったから、よく知らなかったが、六年生辺りで三人とも変声した。そしたら、お互いが仲間みたいな感覚になり、いつしか僕たちは和希も含めた三人で一緒にいることが多くなった。「変声三人組」というあだ名をつけられてしまった。


「まちがいないや あおいまばたきだ これってどういう意味だよ?」

 課題曲の楽譜に目を落とした幸助が声を上げる。選抜直前の練習の時だった。

「あおいまばたきって何だろうな」

 和希も声をあげる。きっと何か深い意味を作詞者が込めているとは思ったが、その時は特に何とも思わなかった。興味がわかなかった。ふと合唱部全体はどういう雰囲気かな、と顔を上げる。その瞬間生島さんが僕の目に映る。別段彼女のことが気になっているわけではない。ただ同じ電車に乗っていることと、誰とも仲良くしてないことが少し気になったから。ただそれだけだった。


 選抜は終わった。三分の二の確率だったのに、僕は選ばれなかった。


「はぁ…」

力が全くといっていいほど、体に入らない。

大好きで、個人的に気に入っていたこの合唱曲を歌えないことに激しい憤りを感じていた。誰よりも頑張ったつもりでいた。部活に休んだ日は一日もなかった。だから余計に辛い。もしかしたら自分は歌が下手なのかもしれないと思った。努力すればするほど、報われなかったことに対するショックも大きくなると思い知らされた。どんよりとした天気は僕の心を表しているようだった。


それでも練習は続く。気が付いたら合唱大会前日、最後の練習の日が訪れていた。その日の練習はいつにもまして過酷だった。白熱の練習となり、合唱の歌声は完璧になった。そこには、全体の歌がよくなるほど余計にイラつく自分もいた。


 その日、明日の大会に向けて女性パートは団結していた。しかし、男性パートはいつも通りじゃなかった。僕だけがステージに立てないことになって、僕ら三人の間で何かはわからないわだかまりが生まれてしまった。ぼくらには三人だから、「変声組」なんだ。そういう思いがあった。だから僕らの間で何かがこじれてしまったようだ。素直にそう感じた。


練習は終わった。そして学校の駐車場で僕と和希は鉢合わせになった時に、僕らの間で事件は起きた。


「頑張れよ」、と励ますつもりで和希に声をかけた。僕の分、和希に頑張ってほしかった。

しかし予想外の返答が返ってくる。

「いや、ダメなんだ。俺には無理だ」

僕は予想外の答えにびっくりする。

「どういうことだよ?」

 それは自分が発しようとしていた言葉だった。でも、その言葉を発したのは、自転車をひいてきた、幸介だった。和希は続ける。

「自信がないんだよ。俺ら三人で、変声組だろ。一人でもかけたら、もう何でもないんだよ。俺はみんなで歌えないとイヤなんだよ」

 それはダダをこねる子どものようだった。そして、僕たち三人が感じていたことだと思った。すると、幸介がいら立った声で返す。

「弱いこと言うなよ、和希。そんなこと言っていたら本当に自信がなくなるだろうが」

「嫌なんだよ、俺らだけってのが。それじゃおいしいとこの横取りみたいになるだろ。」

「だからそういうのが気に食わないんだよ。」

 少し気性の荒い幸介がキレる。

「もうやめろよ。くだらないことで仲たがいはやめようぜ」、と僕が言う。

 幸介は何も言わなかった。ただそのまま自転車にまたがって、力強くこいでいった。その背中はとてもたくましいものだった。


「次は、……。次は、……です。落とし物お忘れ物ございませんようにお気を付け下さい」

 ハッ、とする。いつの間にか電車の中で眠ってしまっていたらしい。あの事でイライラしていたからだろう。帰り道、気が付くと深い眠りに落ちていた。ふと外を見ると見慣れない景色が広がっていた。

自分が降りるはずの駅から、七、八駅は過ぎてしまっただろう。外はいつの間にか土砂降りになっていた。今日のどんよりとした雲も、まるで自分の心を表しているかのようだった。

 その時、列車の扉が開いた。

 自分のどこかの心が感じたのだろうか。気が付いた時には列車を降りていた。ホームには自分以外だれもいなかった。駅舎もベンチもなかった。精算も出来そうにない。少し向こうに、少しの人家が見えるだけだ。とんでもない駅に降りてしまったことに気がつく。

「あっ」

 後ろから声がする。僕が振り返るとそこには生島さんがいた。同じ列車に乗っていることは知っていたけれど、こんなところに住んでいたんだと知る。二人きりだった。なぜか心拍数があがる自分がバカだと思った。「寝過ごしちゃてさ」と、言葉を選びつつ話す。

 生島さんの視線の先は、どんよりとした雲で、一か所だけ青くなっている場所にあった。

そこにはなぜか虹があった。確か、この学校の生徒会スローガンでもあった気がする。


 生島さんが突然口を開いた。

「なんか合唱みたいだね、虹って。沢山の水が光って虹が出来るんでしょ?合唱も、一人一人が光って一つのきれいな歌になるじゃん」

 そう言って「ニッ」と笑った。そしてその横にはなぜかハッとさせられる自分がいた。彼女は今僕に何か大切なことを教えてくれたような気がした。思わず勝手に口が動く。

「そういえば生島さん、傘、持ってないだろ。予備あるから貸すよ」

 そういって、生島さんに手に持っていた傘押し付けていた。

 そこには嘘をつく自分がいた。


 ずぶぬれになった翌日、大会の日は訪れた。電車に乗って会場のホールに行くと、すでに和希と幸介がいた。何か話している。

「おい、大切なことに気が付いたんだ」

 二人が、僕を見るなり息をそろえていう。

「やっぱりお前の分頑張ろうって、俺たち思っだ。そうじゃなきゃ、失礼だもんな」

「僕がいないみたいに言うなよ」

 和希に自分で突っ込んで、三人で笑った。なぜかもう昨日みたいなモヤモヤはなかった。

 僕は昨日調べたことを披露する。

「あの歌詞の意味、“まちがいないや あおいまばたきだ”のことな、あれは書いた人が、青春は一瞬で過ぎ去ってしまって、一つ一つ瞬いているという意味を込めたらしい」

「傘、ありがとう」

 その時声を掛けられた。笑顔の生島さんが後ろにいた。動きが止まる。その笑顔がとてもかわいかったので、思わず目を逸らした。

「おっ、何だよ。お前いつから生島さんと仲良くなったんだよ」

幸介が茶化す。

「「違うってば!」」

僕と生島さんの声が重なった。


 時は一瞬で過ぎる。練習は終わり、今はもう発表直前だ。

和希が口を開く。

「大丈夫、俺らがこの大会で優勝するから。全国大会で一緒に歌おうな!」

「おう、頼んだぞ」

二人がグッとサインをしながらステージに向かって歩いていた。僕だけ楽屋待機だ。仕方ない。

 その時。光を浴びて反射している二人の背中が、僕には、あの歌詞と重なってみえた。

 まちがいないや あおいまばたきだ

 今僕には時があおくまばたいている。

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