第2話



「───できましたよ」

「はは…、ごめんね」


 暗黒物質かナニカが乗っかる皿の横に、俺は無造作に料理を置いた。

 なんてことはない、キャベツやら、もやしやらを使った野菜炒めである。


 だが結果として机の上には彩と無彩色の見事な対比ができあがり、お姉さんは立つ瀬のないふうに肩をすくめた。


「いったい、どうやったらこんなことになるんですか…」

「葉月くんが、あんまりに簡単そうにやってみせるからさぁ。私にもできると思ったんだけど…」


 そうしたらこうなっちゃいました、と言われて普通は納得できないモノを見せられているけれど、しかしお姉さんの生活スキルを踏まえればそりゃそうなるか、と妙に頷けてしまう。


 お姉さんの暮らしというのはホントに退廃的だ。

 今までどうやって生きてきたのか小一時間問いただしたくなるくらいには。

 

 料理は見ての通りだし、洗濯も掃除もからっきし。

 ゴミ出しすらもままならない。

 俺が初めてこの部屋を訪れた時は、視界にゴミが入らない方がおかしなほど。


 典型的な、ダメ人間だった。


「……葉月くんの料理は、おいしいね」

「そりゃあ、お姉さんと比べたらそうですよ」


 彼女は小さな口で野菜を咀嚼する。

 キャベツの葉の一枚を、もやしのただ一本を味わうかのように、ひとつずつ口に入れている。

 平安のお姫様だってビックリなほど、一口が少ない。


 まぁ、お姉さんからはそんな風な雅さなんてものは感じないけれど。

 共通点をあげられるのなら、今にも消えてしまうのではないかというほどの…儚さくらいだ。



「そんなに見つめられたら、ちょっと恥ずかしいよ」

 

 困ったようにお姉さんが笑ったところで、俺は彼女のことをじっと見つめていることに気づいた。

 

「っ、いや別にそんなつもりじゃ。…なんか、食べ進み遅いなって思っただけですよ」


 慌てて目を背けて、俺は咄嗟にぶっきらぼうな返事をする。

 そして思い出したかのように自分の野菜炒めをかき込んだ。


 彼女といると、たまにこういうことがある。

 自分でもよくわからないけれど、なんだかジッと見つめてしまうのだ。


 見惚れているのだ、と言われたら自信をもって首を振れないけれど、しかしそういうものじゃない。

 なんというか、子供を見守るような感覚に陥るのだ。


 まぁ、俺よりずっと年上だろう彼女に対してそんな感覚になるなんて、おかしな話だけれど。

 

「ぅ~ん、なんだかちょっとね。よかったら葉月くん食べる?…あ、野菜嫌いとかじゃないよ?私、嫌いな食べ物はないんだ」


 冗談めかして言う彼女。たぶん偏食じゃないのは、嫌いになるほど食べ物を食べていないからだと思う。


 お姉さんは異様に食が細い。

 それは俺が彼女に料理をふるまった時からずっとそうだけど、パックの米飯を三日にわけて食べるくらいには彼女は胃袋が小さい。


 何か病気なんじゃないかって色々心配することもあったけど、結局今の今まで病気らしい病気になったことはない。

 無論健康であるとはいえない体型をしているが…。

 

「キャベツともやし嫌いなんてあんま聞かないですけどね。…じゃあ、まぁそう言うなら貰いますよ」


 腕を伸ばして彼女の皿をひく。

 半分も減っていない。

 こんな量で生命維持できるなら、彼女は宇宙人か何かと疑ってしまう。


「…」


 ふと、視線を感じる。


 先ほどの反省を生かして伏せっていた視界を上げると、彼女の微笑が映った。


「なんですか?さっきの仕返しですか?」

「いや…、」


 お姉さんは細くなった目をさらに細める。


「いっぱい食べてて、葉月くんも男の子なんだなって思ってさ」


 つい、口の中の野菜が噴き出しそうになる。

 いったい何を言うのだろう、彼女は。

 いや…まぁ、言ってることは別に変でも何でもないんだけどさぁ。


「…、当たり前じゃないスか」 


 水筒の水を流し込んで、俺はもにょもにょという風に言った。

 彼女は、悪い大人だ。

 


***



「葉月くん」


 帰り際、扉を開きかけたところでお姉さんは呼び止めた。

 振り返ると、依然と足を抱える座り方をして、彼女は俺のことを見つめていた。


「今日も、ありがとね」


 か細い声で、お姉さんはそう言う。

 どきん、と心臓の音が一段階うるさくなる。


 別れる直前になんでそんなこと言うんだ。

 それはちょっと、ずるいだろう。


 何も言えないまま俺は再度扉に向き直り、必死に言葉を探す。


「明日も…来ますから」


 それだけ言って、扉を開けた。

 部屋の中を隠すように扉に背中を預け、後ろ手でカギを閉める。


 まだ、胸の高鳴りは止まない。


 自分も単純だなと思うと共に、俺の扱い方がうまい辺り彼女は元キャバ嬢か何かなんじゃないか、なんて思考に思い至ってしまって、胸の高鳴りが等間隔な痛みに代わる。


 その痛みがなんなのかわからないまま、俺はそんな考えを追い出すように頭を振るい、隣の自分の部屋の鍵を開けた。


 

 


 

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隣の美人お姉さん、俺が居ないとダメそう。 オーミヤビ @O-miyabi

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