第36話 血の花は冬空に

 足を止めた。刀に手を掛ける。

「待って」

 一番早く気づいたのは私だったが、この一言で伝わる。

「…君ってホント、京のこと好きだよね」

「きつい冗談だ」

 振り返れば中込と後ろに立つ二人の男と対峙する。また、人混みの中。当然、戦闘は出来ない。林檎ちゃんと胡蝶ちゃんだっている。煙草の火を消した。


 今の時代の戦い方。戦闘は出来るだけ少なく。また、犠牲を増やす方法を姫崎たちは取ってこなかった。ここまで、刃を重ねたのは火災の件のみ。

 相手方の影を掴むことは幾度かあったが、相手の強大さを鑑みてあえてこちらからは手を出していなかった。火災の後八朔の人斬りも止み、なんなら手を引いたのではないかとも考えられていた。

 そうではない。只、必死に計画していただけだ。仲間が全員揃った状態で、思いどうりに事を運ぶための。


「すみませんが、そこから動かないでください」

 往来の中央、立ち止まることを余儀なくされる。自然に、一番近くに立ったのは一くんと私だ。人々はその光景に気づかない。

「今日はどうされましたかね。八朔サンは別ですか」

 中込は不敵に、笑った。

「お前が死ぬのを見に」


「人斬りだ!」

 中込は大声で叫んだ。一斉に注目が集まる。人々は数振りの刀を見つけた。

「動いたら殺されるぞ!」

 わあわあと叫び続ける様子を傍目に、少しづつ、少しづつ人々は私たちから距離を取った。怯えて、泣きだす者も座り込む者もいる。

「ここ一帯はこいつらの仲間に囲まれている!動いたら殺されるぞ!」

 ゆっくりと、中込に近づいた。

「何がしたいの」

 小さな声で囁いた。

「さあ、この状況で私を殺せばいい。そうすれば、悪はお前だ」

 中込は一くんや朱現くんには目もくれず、私に話しかけてくる。目を細めて言った。

「確かに、そうなるね」

 わざとらしく両手を広げ、溜息をつく。

「でもね」

 と言い、もう一度刀へ手を掛けた。今度は柄をしっかりと握っている。あまりの殺気と剣気に中込の額から季節外れの汗が流れる。

「今更、京が、京たちがそんなこと気にするとでも思った?」

 一くんと私は抜刀した。


 斬られたのは、付き従っていた二人の男の方だった。二人は中込をしっかりとかばい、絶命した。

 続けざまに、中込を狙う。その時、悲鳴が上がった。私たちが人を斬ったことに対してではない。もっと緊迫した、命の叫び。

 中込から視線をそらし辺りを見渡すと、私たちを囲んでいたはずの者たちが無差別に近くの人の首に、それぞれ刃を突き付けていた。

 膝をつき叫び回っていた中込が立ち上がる。

「私に気を取られ過ぎですよ」

 刃を突き付けられたままだが、中込の顔には余裕が浮かんでいた。

「ここを囲んでいる者は全員刀を持っています。貴方方が動けばその者たちが人を殺します。いくら四大でも、何もできないでしょう?」

 私から距離がありすぎる。馬鹿ではないようだ。いくらなんでも手が出せない。到達前に死なせてしまう。だが、それは民衆への距離。

「一秒あれば、貴方の頸が飛んでるよ。それでも、あんたの部下は人を斬れるのか?」

「ええ。それにお前は私を斬れない」

 指で天を指した。目の前の建物の上に人が乗っている。

「あれは火災の時に使ったものと同じだ。動けば投げる。刀を納めろ」

 私だけならなんとかなるが、そうはいかない。

「一くん」

 中込を睨みつけながら、刀を仕舞った。

「…随分といたな、帯刀者」

 るかくんは怒りながらも呆れた顔だ。

「何がしたいのか分からないけど、その人ら、関係ないでしょ」

「お前には関係あるんだろう?なら、巻き込まれて当然だな」

 舌打ちする。

「中込サンは本当に京のことよくご存じで」

「まさか。頭まで毒が回ったか?」

 それもお前か。私と喋るときだけ、中込は笑みを消す。

「で、ここまでして何の用?」

 その問いかけは届いたのか、中込は一くんの前に立つ。

「姫崎京子か、民衆か、どちらを選びますか?」


「姫崎京子を斎藤さん、貴方が殺してください。それか、私の同志が民衆を殺すのを黙って見ていてください。どうします?」

 皆、顏に深刻さを刻んだ。ただ一人姫崎京子は笑った。


「なんなの、それ。簡単すぎて悩めないよ」

 異様さに中込は一歩引く。それを追い一歩前に出る。

「あんまり、下に見ないでくれる?」

 発せられた気配に、恐れを感じないものはいなかった。町の人でさえ分かった、静かな怒り。姫崎に、斎藤に、答えを考える必要など無かった。


 二人には約束事がある。

 どちらかが死んでも、泣かないこと。お互いを、命を懸けて守ろうなんて思わないこと。

 二人が守りたいのは、この国の人。絶対にそれは揺るがず根底にある。


 中込は、姫崎が死ぬとは、実は思っていなかった。姫崎、斎藤、一炉、黒鉄の主戦力陣に精神的な影響を与える為に用意した場だった。姫崎を守ることで人が死ねば、罪悪感に苛まれるだろうと。

 中込には、人を殺める技術も勇気も無かった。自分は戦闘から逃れられるように、周到に計画を立て、臨んだ。殺されないように、殺さなくて済むように。彼は新選組であったが、実戦に出たことは一度もない。


 その計画も、ずれる。姫崎京子と斎藤一を図り損ねることで。


「京姉ちゃん…?」

 神くんが不安そうにこちらを見ていた。死なないよね、と。

「姉ちゃん、実はもうお年玉用意したんだよね。一くんから貰ってね。あれ、あの」

「寝室の箪笥の一番上」

「そう!」

 ぽんと手を叩く。

「待って、待って京姉ちゃん」

 唇に人差し指を寄せる。

「ごめんね」

 そうして、神くんに背中を向けた。この状況を作らせてしまったのも、私。君は何も悪くない。

 林檎ちゃんと胡蝶ちゃんはぼろぼろ泣いていた。

「今だけは、京子ちゃんの事、全然分からないよ…」

 命を扱う胡蝶ちゃんの一言は重かったが、それ以上は何も言わなかった。私の大切な友達。

 巴さんは林檎ちゃんの手を握り、私を見ていた。そのまなざしがかつての仲間を見ていたのか、可愛がった娘のような私を見ていたのかは分からなかった。


 朱現くんは拳を握り、俯いた。手から血が滴る。

「ちょっとにい、やめて。かっこわるいよ」

 拳を、そっと撫でた。


 彼らには、最初に告げていた。

 もし、こういう状況になった時。私が命を捨てれば皆が助かるとき。私は迷わず自分を斬り捨てる。その選択を赦して欲しい。止めないで欲しいと。

 予感があったのかもしれない。当然、相当反対された。少し、朱現くんとは喧嘩になった。でも、朱現くんだってそうするはずだ。

 戦いに身を染めていない人たちも、これを飲み込んでくれた。消化するには、時間がかかるだろう。それでも、それを待つ時間は無かった。


 二人が、向き合う。

「どっち?」

「分かるだろう」

 彼女らは、中込が押し付けた選択の話をしていない。姫崎を殺す刀を選んでいた。

「そりゃあね」

 姫崎は大刀の方を斎藤に投げて寄越す。腰に残った刀を、宝物のように見つめ、柄に触れた。

 斎藤は、刀を抜く。鞘は捨てる。

 姫崎は、丁寧に煙草を火種に近寄せた。ゆっくり、一呼吸する。


 真っ赤な刀身は、胸を貫いた。

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