第29話 至家とは
何が起きた。
急に手足が脳からの指示を受け取らなくなった。呼吸もままならない。とにかく、胡蝶ちゃんを逃がさなければと頭は思うものの、何をすることも出来ず崩れ落ちた。瞼が重い。
私はこの毒を良く、良く知っている。これはおじいちゃんがよく私に使ったものと同じだ。私に影響はない。気道を確保し、その場で楽な体勢にする。致死性はないがそれなりの苦痛が与えられる。
「胡蝶。儂は何回も忠告したはずだ。人斬りなんかと繋がりを持つべきではないと。あの男たちといい、お前の周りには碌な奴がいない」
至家当主。代々引き継がれる医術に西洋の技術も取り入れた、他に類を見ない医家の長。祖父にあたる当主には昔から《指導》を受けてきた。
学問、医術、礼儀作法。それらに加えて、おじいちゃんは私に毒を与えた。
小さい小屋。そこには毒が撒かれている。ずっと昔から至の医者に使われてきた、死なせずに最大限苦しませる毒。当主のみがその精製方法を知り得る。
毒を吸えば、1分で身体が動かなくなり呼吸困難に陥る。その後5分苦しむ。さらに5分すると体の自由が取り戻される。依然呼吸が狂い痺れが残るがここから自分で調薬しなければいけない。薬を飲まない限り効果は継続する。
「こんなことも出来ないようでは、至の人間として認めない」
おじいちゃんに、毎回言い聞かされて生きてきた。学においては優秀だったが、どうしてもこの《指導》ではおじいちゃんの満足する結果を残せなかった。何度も何度も何度も何度も。
幼い私に心的外傷を残したが、そのおかげで今もこの毒の治療薬だけは肌身離さず持ち歩いている。
京子ちゃんの処置を済ませると、おじいちゃんは杖を鳴らした。
「処置が済んだなら捨て置け。二度とあの道場の者とこやつに関わるな。次はない。帰るぞ」
久しい毒の匂い。巻き込んだ友人。手が震えた。京子ちゃんはまだ目を覚まさない。
この毒の治療は出来る。でも、この毒を解毒することが、私にはまだできない。ずっと、心を蝕み続けるこの毒の。
「助けて…」
誰にも届かないつぶやき。届く必要はなかった。すぐに首を振る。自分で自分を助けるんだ。私はもう、あの時の私じゃない。
その場に膝をつき、綺麗な所作で正座し頭を地に寄せた。
「当主、それはお断りいたします。認められないでしょう。ならば私を至でいさせる必要はございません。追い出してください。今まで大変お世話になりました」
当主は暫く、言っていることが理解できなかったようだ、沈黙の後、声を荒げる。
「何をいっておる!お前の頭と腕は人々に必要だと、何故分からん!人殺しの命を救うよりやるべきことがごまんとあるだろう。改めよ」
「彼女が人殺しであろうと、一人の人間であることに変わりありません。それに、至でなくとも人を救う術はあるはずです。医者は救う命を選んではいけません。命は皆に等しく平等です」
当主は何も言い返さない。言い返せない。撒かれた毒が晴れてゆく。
「それでこそ、俺の見込んだ奴だ、胡蝶」
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