第16話 煙草の火

 違和感を感じたときには遅く、私の首には手がかかっていた。白く骨ばった指は首筋を撫ぜていく。

 おかしい。この男からは、殺気も気配も感じ取れない。それなのに、ただ触れられているだけなのに呼吸ができない。身体も動かせない。手から刀が滑り落ちそうになるが、辛うじて力を込める。


 失礼、と手が離れるのと同時にるかくんに身体を引っ張られる。刀を構えるるかくんの後ろで堰を切ったようになんとか呼吸を始める。その場に膝をつかずにはいられなかった。

「待ってるかくん、手を出すな、下がって。簡単に、殺される」

 鞘で身体を支えて立ち上がる。るかくんを押しのけ男に問うた。

「貴方、芥、でしょ」

 男の腰には刀が二振り。触れられた手には入れ墨が入っていた。


 もし、男が殺気か剣気を放っている、または抜刀していれば回避できた。気配は拾えるし、刀の音を逃す耳ではない。でも、私は自分の気配取りと耳に自信を持ちすぎていたのかもしれない。

 しかし、るかくんの反応を見る限りそうでもなさそうだ。私の殺気を感じていたるかくんでも、彼の謎の恐怖に気づいていない。るかくんは男に刀を構えられていたからだ。伸びてくる素手から音なんてしないし。思いっ切り裏をかかれている気分だ。


「芥は《人斬り》の名でしょう?僕は八朔芥玄(はっさくかいげん)と言います」

 丁寧な口調で名乗られはしたが、初めて耳にする名だった。容姿はほぼ、朱現くんの情報どうりだった。

「なんで京を殺さなかったの」

 八朔はまたも笑う。

「殺して欲しかったですか?」

 溜息をついた。まともに話ができる相手な気がしない。

「この騒ぎの発端は貴方?」

「違いますよ」

 こちらはきっぱりと否定された。「発端の放火犯を知っているかもしれないが、それを指示したのは自分ではありません」と少々訳の分からない表現をする。

「最近各地で人を斬っているのは?」

 この男が本当に芥であれば、回答は一つしかない。

「ああ、それは私ですね」

 細く息を吐いた。非常に神経を逆なでする回答の仕方だ。同じ思いか、るかくんも良い気分ではなさそうだ。

「理由は」

 呆けた顔をされ、戸惑う。そんなにおかしなことを聞いただろうか。しかし、返答を聞きおかしいのは八朔であることが分かる。

「それってなんですか?」


 目を細め顔をしかめる。なんの意味もなく人を斬り町を燃やしているのか?そのまま問いかけると「そうだ」という。狂っている。

「一くんと朱現くん呼んできて。ここで殺す」


 るかくんが走りだしたのと同時に、歩みを寄せながら煙草にマッチで火をつける。この雰囲気にも慣れた。それに、八朔を野放しになんてできたものではない。少し嫌そうに八朔は応戦の姿勢をとった。

「あれ、火、苦手じゃないんですね」

 興味を持たれたところに、不快感を表す。

「何が言いたいの」

 と言った途端、胸元へ仕舞ったばかりのマッチを引っ張り出す。

「は、ちょっと」

 素早い手つきで、私の目の前に炎を生み出した。前髪に触れてしまいそうだ。

「噂が真実とは限りませんね」

 何も答えず、一歩引き、刀に手を掛けた。その様子を見て、男はマッチから手を離した。風に煽られて羽織に火が付く。

 じっと、その様子を見つめた。じりじりと、黒い焦げが広がっていく。

「あの日のこと、言いたいんだね」

 刃を自分へ向けた。

「後にも先にも、本当に死を感じたのはあの日だけ。助けて貰えなければ死んでいた。でも、今は違う」

 羽織の裾を斬った。

「確かに苦手だよ、火は。でも、弱みなんて京には必要ないの」

「…感服してしまいますね、どうしたらその精神力が手に入るのやら」

 刀を抜こうとした男の姿は、人影に遮られた。


「芥様。どうぞ、ここはお任せください」

「…なにお前。お前、任せてもらえるほどできないでしょ。どいてよ」

 強くはなさそうだが、割り込んでくる胆力はある。まずはこっちの男を殺そう。相手は日本刀を構える。

 向こうから斬りかかってきた。受け流しつつ攻撃を織り交ぜる用意をとる。単調な打ち込み合いになったところに、不意に脇差を攻撃の型に入れた。刃は光り、男の喉元を刺す。そのまま横に薙ぎ、殺す。

 返り血を思いっきりかぶってしまった。赤く染まる刀身と白装束は朝日に照らされる。

「次」


 煙草を優雅に灰皿へ入れ込む。口元に飛んできた血を腕にこすりつけた。両手の刀から軽く血を払い脇差はしまっておく。脇構えの姿勢をとったところで八朔が無造作に近寄ってきた。

「感動しましたよ。生まれて初めて人の名前を知りたいと思いました。ねえ、どうか、僕に教えてくださいよ」

 私の構える刀なんてそこにないように、ぱっと前に立つ。隙を捕まえ、喉元を狙って斬ろうとする。しかし、そのまま殺されてくれるはずもなく、がっしりと両手を掴まれた。腕が動いてくれない。拘束の緩い左手を逃がし、髪を結っていた簪を引き抜き首に突き立てる。寸でのところで長さが足りないが、あと一歩踏み込めば殺れる。

「うん、流石です。どうかずっと命を狙い続けて。その姿は誰よりも美しい」

 背筋がざわつく。八朔は饒舌に話し始めた。内容が掴めない。

「…見世物で人斬ってるんじゃないんだけど。何に感動してんの?不愉快」

 思うままに口に出すが、八朔は「名前を教えてくれ」の一点張り。徐々に簪が首元に近づく。


 そこへ、状況を変える二つの人影が近づいてきていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る