わたしの世界に足りない色

よし ひろし

わたしの世界に足りない色

「はぁ~……」

 思わずため息が出る。


 リビングの窓から覗く外の世界は春爛漫。草木は萌黄色に輝き、桜の花がピンク色に花咲かせる。遠くに見える菜の花畑は黄色い絨毯のように広がり、名も知らぬ菫色の花が川辺に並ぶ。


 ああ、なんと彩りに満ちた世界。


 でも、今のわたしの目にはすべてが色褪せて見える。

 心の中はモノクローム。



「別れてほしい」

 三年も付き合った彼にそう言われた瞬間、わたしの世界は色を無くした。

「どうして? わたし、何か足りなかった。お金? なら、すぐどうにかするから」

 駅前の喫茶店、窓際の席でわたしは動揺し、色を失う。

「そういうことじゃない。――他に好きな奴ができた」

 目をそらし、窓の外を見る彼。

「え…?」

 頭が真っ白になる。

「お前は、美人だし、スタイルもいい。一緒に歩くには最高だ。でも、面白くない。反応が薄くて、何を考えているのかわからない事が多い。好いていてくれていることはわかる。尽くしてもくれている。でも――いや、ごめん、俺が悪いんだ。もう一緒にはいられない」

 言うことは言った、とばかりに彼は立ち上がり、じゃあ、といとことだけ残して、わたしの目前から去っていった。

「……」

 あまりにも一方的な別れに色なすこともなく、ただ茫然と去り行く彼の後姿を目で追った。

 店を出て駅へと歩く彼の姿を窓から見続ける。その彼に駆け寄る一人の女性。


「――!?」


 何度か見た顔。名前は――忘れた。いや、記憶してない。

 女がちらりとこちらを見た。口角が横に広がり、紅い唇が三日月形になる。


 私の勝ちよ――そう言わんばかりの微笑み。


 横に立つ彼にわざとらしく腕を絡め、ゆるくウェーブのかかった栗毛色の髪を揺らしながら、駅の方角へと二人仲良く歩んでいく。

 黒髪ロングのわたしとは全く違うタイプ。明るく、元気そうな雰囲気が遠目からでも伝わってくる。


「どうして…、こんなこと――」


 見ている世界から色が失われていく。

 わたしは、再びモノクロームの世界へと帰ってきてしまった――



 わたしの父は厳しい人だった。家庭内暴力、DV、そんなことは知らない、すべては躾だ――そんな考えの持ち主だった。わたしは幼いころから厳しく躾られ、父の理想の品行方正、才色兼備な娘を演じなければならなかった。母はわたしと似て気の弱い人で、父のすることに口を出すことはなかった。

 そんなわたしにとって、世界はモノクロのように味気ないものだった。元の性格もあるのだろうが、いつしか感情を表に出すことも少なくなり、周りからは、いつも冷静ね、クールビューティー、だの言われたが、自分ではただただ父の理想から外れないように怯えて過ごしていただけだった。

 髪は烏の濡れ羽色のロングストレート。肌は決して日焼けすることなく、色の白いは七難隠すとばかりに常に白くなければならなかった。


 そんな状況が一変したのは、高校三年の秋――模試の結果があまりに悪く激怒した父が、わたしを躾けるべく竹刀を振り上げた、その瞬間、突然動きを止め、そのままばったりと床へと倒れた。脳溢血だった。

 わたしはあの瞬間を今も忘れない。動かなくなった父を見て、わたしは安堵した。駆け寄ることもなく、ただ見つめていた。もう動くなと。

 そこへ母がゆっくりと歩み寄って、立ったまま父を見下ろした。つま先で頭をけ飛ばし、動かないことを確認。そして浮かべた、満面の笑み。

 ああ、きっとわたしも同じ顔をしていたに違いない。


 わたしたちは解放されたのだ!


 そして、わたしの世界に色が付き始めた。

 大学に入り、彼と出会って、わたしの世界は生まれて初めて輝きのあるフルカラーの素晴らしき世界へとなった。

 しかし、今、その色は褪せ、元のモノクロームの世界へと変わりつつある……



「はぁ~、ダメよ、元になんか絶対に戻らない――」

 いろどりの世界が広がるリビングの窓辺を離れ、自室へと向かう。

 ノブをまわし、ドアを開けた向こう――そこが今のわたしの世界。


 壁に貼られた彼との写真メモリー


 デジタルフォトフレームには、思い出の動画を流し続け、一緒に出かけた時の服や小物をすべて飾り付けている。


 そう、ここには色がある。輝くような彼との思い出の色々。


「でも、足りない……」


 デスクの上のモニターを見る。

 そこに映るのは、彼の部屋の様子。わたしが仕掛けた隠しカメラの映像だ。

 彼が部屋の鍵を替えてなくて助かった。預かっていた合鍵を返す前にしっかりとコピーをとっておいたので、それを使って部屋に入り、色々部屋に仕掛けた。

 彼のスマホにもちょっとしたアプリを送り込み、位置情報はもちろん、ありとあらゆる情報をわたしのパソコンに送るように仕組んである。


「ふふふ、色々優秀に育ててくれた父に感謝ね…」

 自分の能力を十分に発揮できる機会に、楽しささえ感じ始めていた。


 カメラをリビングから、彼の寝室にチェンジ。

 彼の姿が映る。真昼間からあの女といちゃついていた。


「はぁ…、会いたいわ」

 直接顔を見たい。言葉を交わしたい。


「思い出だけじゃダメ。やっぱり、本人がいないと……」

 彼の顔に手を伸ばす。

 画面を超えて、向こうへ――もちろん無理。返ってくるのは冷たく固い感触だけ。


「柔らかく温かい感触を取り戻さないと――。まずはこいつね…」

 彼を色香で惑わせたこの女。こいつを始末しないと――


 闇色の炎が心に灯る。


「この害虫を駆除した後は――、あなたをここに連れてくるから…」


 今度こそ逃がさない。


 この部屋、わたしの世界に閉じ込め、わたし色に染め上げるの――


 ふふ、ふふふ……

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わたしの世界に足りない色 よし ひろし @dai_dai_kichi

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