第15話

振り返ると、ストーカー行為をしていたお兄さんが僕の近くに立っていた。


ニュースを見て純粋に駆けつけてきたのか、僕が来ることを承知で待ち伏せをしていたかは不明だ。


「こんばんは。お久しぶりですね」


街灯に照らされたお兄さんの影が怒りで震えている。


「もしかしたら、君は知っていたんじゃないのか、こうなることを」


「ええ。薄々感じてはいましたよ」


僕は正直に答えた。


「なら、なぜこんなことになるまで黙って見ていた。君が黙っていなければ、あの子は殺人犯にならずにすんだかもしれないのに。本当の被害者は、彼だろう」


「あの日、僕とあなたは同じ風景を見ました。あなたがあの五号室の中に無理矢理入って止めることもできたはずです。でもしませんでした」


「それは……」


お兄さんは言いよどんだ。


「言い訳はしない。でも、あのあと通報してみたさ。俺のところへはなにも連絡が入らなかった。ここへは夜、一度来てみたけど、その時はなにもできなかった。彼は家に帰っていないみたいだったからね」


僕は頷いた。


「そうですか。立派な行動だと思います」


「なんでそんなに淡々と……君を、見損なった」


感情に任せた声だ。


「見損なった? 僕はこういう人間だと言ったはずです。一体、あなたは僕になにを望んでいたのですか」


お兄さんの影が一瞬強張った。怒りと悔しさと僕に対する思いがごちゃごちゃになって、整理がつかないみたいだ。それでも冷静になろうとしている。


「……最初は君の気をひきたいだけだった。でもこのアパートへ来て、優先すべきことが変わったんだ。俺が君に望んだことは、彼を助けることだった。だって、クラスメイトだろ。隣の席だったんだろ。彼から一番近いところにいたのは君だ。それとも殴られていたことの恨みから、君は黙っていたのか」


「少し違いますね。福島君への恨みはそれほど大きくありません」


「特別恨んでいるわけじゃない……それなら普通はなんとかしようと思うだろう」


「普通は? 隣人は迷惑そうに窓を閉めていましたよ。このアパートの住人の中で、気づいていない人はいなかったと思います。それでも、結果はこれです」


肩をすくめる。お兄さんは首を振った。


「住人の話じゃない。君に質問をしているんだ。話をすり替えるな」


「話をすり替えているわけではありません。なにもしないのが僕なんです」


「違――」


お兄さんは否定したそうに口を開く。僕はその最初の一言を跳ね返した。


「僕も、僕の母もこれまで影のように生きてきました。どれだけ苦しくてもしんどくても困っていても、話しかけても、誰ひとり振り向いてなんかくれませんでした。だから僕はどんな人が身近にいても、自分自身と母以外の人間にはなにもしません。だって僕は影ですから」


雨が降ってきた。お兄さんは黙り込んでしまった。


僕の見ている世界は、誰も助けない。


人々は体調を崩した人間が駅前で倒れても、目に入らないかのように通り過ぎる。煩わしい話は、みんな避けて通る。人に温かさというものを感じたことがなかった。



瀬川さんも僕が忠告をしたら、死なずにすんだのかもしれない。河野さんも、福島君も僕が必死に助言や警告をしていたら、あるいはなんとか頭を使って止めていたら、ここまで酷いことにはならなかったのかもしれない。


でも世の中、うまあく廻っている。それぞれ自分のしたことが、自分に還ってきている。僕は人々の行く末を、ずっと見つめている。影からじっと見つめ続ける。


これが僕の本当の目的である。そして、社会に対するささやかな復讐でもある。そういう意味で、福島君は単に僕の復讐の犠牲者になったに過ぎない。瀬川さんと河野さんも。


アパートを離れた。冷たい雨が体を突き刺す。


「君には絶望している。でも嫌いにもなれない……正直、まだ君のことが好きかもしれない」


背後からそんな声が聞こえてきた。僕は振り向かず、相手にすることもなく、暗闇の中を無言で歩き続けた。ひたひたと足音が聞こえてくる。


福島君の代わりを見つけた。このお兄さんの行く末も気になる。


これからは、彼が僕の存在証明になりそうだ。 


                         「了」

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影の慟哭 明(めい) @uminosora

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