第10話『星の海、水の海』
ヘルメス
ヘメラの前では
ガブリエルから見て数日、ミケルはどこかぼんやりしているような、深く考え事をしてるような時間が増え、ある日その振る舞いをピタリとやめた。そして彼はこれまで見向きもしなかった手足のリハビリや、射撃訓練、体術訓練に時間を使うようになった。
休日に近場の射撃訓練所へ出かけたミケルを追い、ガブリエルは藍色のスーツに袖を通してリムジンへ乗り込んだ。
着いた頃にはミケルは
(ふむ、それほど射撃の腕はなかったと記憶しているが……。訓練で腕を上げたのか?)
鼓膜保護用のイヤーマフを着けたミケルはガブリエルに振り向きもせず銃を撃ち続ける。
「おう、もうちっとで終わる」
ガブリエルのそばでやけにハッキリとミケルの声が響いた。ミケルと彼の間には数メートルの間隔があり、さらには防弾用のアクリルガラスを挟んでいる。声が届くはずはないのに、とガブリエルは
「手品みたいだろ」
「……君はいつからテレパシーが使えるようになったのかな?」
「あんたも出来るぜ。兄弟間しか通じねえが。電脳要らずの俺たちなら兄弟の顔を思い浮かべるだけで通信ができる」
「ほう、興味深いね」
ガブリエルは
「……その使い方はアスコくんから教わったのかな?」
「まあそう」
「ふむ、そうか……」
全ての弾を撃ち終えたミケルはにんまりした顔でガブリエルへ振り向いた。
「別にあんたの親友は意地悪で教えなかった訳じゃねえ。こいつはコツがいるんだ。あと、使いすぎるとひどく疲れる。爺さんにはつらい」
「彼なりの配慮だと?」
「そうだろ。ご友人の性格思い出してみな」
「まあね、確かに。患者第一の人だったから」
ガブリエルはふっと笑って肩をすくめる。
「昼食を一緒にどうかな? ペルセウスくんも」
「肉食いてえな。ペル?」
「……俺は食えるなら何でもいい」
男たちは女性が同伴していればまず選ばない立ち飲みバーへと足を向けた。
入店するやいなや、大事なところがピンポイントで隠れているだけのセクシーな義体の女性たちがトレーを持って歩く姿が目に入る。
「おーう、いい女」
「……こういう店にも入るのか、あんた」
「たまにはいいだろう? 息抜きだよ」
義体の美女たちがポールを掴んで踊る姿を横目に、ガブリエルたちは隅の丸テーブルでつまみを楽しむ。
「で? この店を選んだ理由は?」
「ああ、女性たちには聞かれたくない話だったから。特にヘメラちゃんに」
白い立方体に情報を詰めようとしたガブリエルは手を止め、ミケルとペルセウスへにこりと微笑む。
「これってもしかして、口を動かさずに内緒話もできる?」
「飲み込みが早いな。さすが」
「お褒めに預かりどうも」
男たちは酒とつまみを楽しみながら視線を交える。
「実は、私のところへアダム・ピニエル氏から連絡があってね。覚えているかい? ほら、自爆テロ未遂があったビルの」
「あー、あったなそんなこと」
チャリティーパーティーでの自爆テロ未遂。あの事件後、『ネオ・プシュケー』の株は下落。人の噂も七十五日、喉元を過ぎれば熱さを忘れるとは言うものの、『ネオ・プシュケー』の株価は低迷したままだ。
「お詫びの旅行チケットを使っていないのがミケルくんだけだそうだよ。それを気にしていてね。お気に召さなかっただろうかと私へ聞いてきた」
「護衛で忙しくて旅行どころじゃねえっての」
「そう伝えたんだが、文字通りに受け取った様子ではなくてね。きちんと招待するから旅行を一緒にどうかと言うんだよ。ヘメラちゃんと君に」
「は? なら嬢ちゃんに言えよ」
「まあまあ、先を聞いて。アダム氏の娘さん、アンジェリカ様だけどね。彼女、婚約者がいたんだけど半年前に亡くなっているんだ。それ以来ずっと落ち込んでいたんだけどあのパーティー以来君を気に入っているらしくて」
「おーいおい、待て。予想がついた。俺とあのお嬢さんでデートか?」
「そう。実質お見合いの打診なんだよ、これ。アダム氏はオルブライト家の内情は知らないからね。ミケルくんがヘメラちゃんのものだとは想像もしていない」
「その言い方は大変な
「主従だとしても間違ってはいないはずさ。まあとにかく、直接お断りをしたほうがいいから、お誘いは受けて欲しい。あちらはダブルデートを考えているだろうから、ヘメラちゃんのお相手を連れてくるだろう」
「は……?」
ミケルは思わず声に出してガブリエルを見つめてしまう。
「ね? だから君は悪い虫をヘメラちゃんに近付けさせないためにも行かなければならないんだよ」
「それをまず最初に言えよ」
「最初からこんなこと言ったら君、アダム氏を殴りに行きそうだったから」
「殴りはしねえよ。向こう
後日、正式にアダム・ピニエルからヘメラ・オルブライトへプライベートリゾートへの招待があり、真面目な彼女は社運にかかわるからと仕方なく誘いに乗った。
黒いスーツに袖を通した
「初めまして、ランディー・アリスと申します」
銀髪に青い瞳という色素の薄い青年はヘメラへ右手を差し出しにこりと微笑んだ。
「ヘメラ・オルブライトでございます」
「ああ、そう固くならずに。ランディーくんは知り合いのご子息でね。いい青年なんです。ご紹介したくて」
ミケルは体をかたむけヘメラの後頭部で口元を隠し、「あんたの見合い」と小声で説明する。その言葉を聞いた瞬間、ヘメラは目を見張った。
(こ、断ればよかった……!)
恋愛にうとい学生時代を送ってきたヘメラは、この手のからめ手に耐性がない。しまった、と思った時点で遅く、彼女は不安そうにミケルを見上げた。
「助け舟が必要なら呼べ」
「う、うむ。ありがとう……」
まず海辺のレストランで軽く飲み、それから別荘へ移動というスケジュールを聞き、ヘメラは眉尻を下げた。ミケルに付き合ってもらって自宅で数種類の酒を試してみた彼女は、自分があまり酒には強くないことを自覚していた。
(酒は一杯だけにしよう。そうしよう)
ランディーへ愛想笑いを返し席へ座ったヘメラは腹をくくった。
一方ミケルは陰でアンジェリカの相手を、とアダムからうながされ溜め息をつく。
「ピニエル様、困ります」
今日も己に
「もしや恋人が?」
「仕事が恋人です」
「ああ、なるほど。いや、その、本当に困るのであればもちろん断っていただいて構わないのだけど。やはり娘には笑っていて欲しくて」
金持ちは護衛を主人のペットだと思っている。断ればあなたの主人が不利ですよ、と笑顔で
(クソッタレが)
ミケルは今すぐに舌打ちをしたい気分をなだめながらアダムを鋭く見つめる。
「私は主人第一ですので、他の方へ割く時間はありません」
「まあそう言わず。あなたは娘の命の恩人ですし、恩人とよいウワサが立てば娘にもよい話となりますから」
(そりゃ株価が落ちた今のあんたにとって都合がいい話だろうが)
「……申し訳ございませんが、ピニエル様に限らずその手の誘いは一切をお断りしています。私はヘメラ様の盾ですので」
とりつく島もないと感じると、アダムは残念だと肩をすくめた。
「失礼、護衛職など主人の態度に
大半はもちろんそうだろう、とミケルは否定しない。
「うちは違います」
「そのようですね。やはり義体開発の
アダムはミケルと共にヘメラを見守る
「オルブライト社には製品の世話になったと言う兵士たちが多く集まっている印象です」
「否定はしません」
「御社の社員に話を聞く機会は何度かありまして。皆さんやはり先代のアスコ様には大変よくしていただいたと」
「二代目も同じですよ。自らリハビリの経過観察に来てくださる熱心な義体技師です」
「それはそれは」
アダムはニコリと微笑む。濁りを見せない綺麗な微笑みだが、作り慣れていると言った印象だった。
ミケルは視線をヘメラへ戻す。すると向こうでも何かあったのか彼女が振り向いて、二人の視線が絡み合った。
人の
「失礼、主人が呼んでいますので」
「ああ、ええ。構いませんよ」
早足で主人の元へ向かうミケルの背を見つめ、
「……ミシェルには公も私もありませんよ。文字通りヘメラ様の盾ですから」
「ほう?」
アダムが大きな目をしたまま口数の少ないもう一人の護衛を見上げると、青年は二人を微笑ましく見つめていた。
「二人は婚約を?」
「いいえ」
「……ではどなたかと噂が立っても……」
「そんな噂が立とうものなら周囲が潰します」
ペルセウスはおっといけない、と口元を手で
「今のはどうぞご内密に」
「周囲が、と言うのは?」
ペルセウスは餌に食いついた獲物に悟られないよう、手の下でクッと口の端を上げる。
「ヘメラ様をお守りする我ら一同のことです」
「お二人を応援しているのは一人ではないと?」
「応援などと言う生優しいものではありません。お二人は先代によって見出された運命の相手なのです。そして彼の観察眼が間違っていたことは一度もありません」
「運命……」
アダムはミケルとヘメラへ視線を戻す。何か困った様子でメニューを見るヘメラの背後からミケルがそっとアドバイスをしている。
「運命、ですか。ロマンチックですね」
「その、申し訳ない。私はアルコールに弱くて……詳しくもなく……」
ランディー・アリスは頼り甲斐のある男を演じるチャンスだ、と微笑みメニューを指さすが、ヘメラは彼の手元ではなく離れた場所に立つ護衛へ視線を飛ばす。
(あれっ)
ランディーが不意打ちをくらっている間に護衛の片割れはスイッとヘメラの元へやってきた。
「すまない、アルコールのメニューがよくわからなくて……」
天使のように綺麗な顔をした護衛の男はかがんでヘメラの耳元で一言二言ささやく。
「ああ、なるほど……。これは?」
護衛は続けてひそひそと補足を入れ、ランディーへ頭を下げると数歩下がってその場に控えた。
(や、やりにくいな……)
「ええと、では私はまず
「えっ? ああ、私はワインのロゼで……」
せっかくアピールチャンスだったのに、とランディーが恨みがましく護衛を見上げると、護衛の男はランディーへ冷たい視線を向けていた。その迫力にヒヤッとして、ランディーは顔を青くした。
(こ、これは歓迎されていないな……)
護衛はランディーへ厳しい視線を残し、フイと顔をそらして元の立ち位置へと戻っていった。
ピニエル家が有する海上に突き出した別荘へ一行がたどり着く頃には、空は紫色に染まっていた。
アルコールは一杯だけという己との約束を守ったヘメラはほんのり赤い顔で玄関へ足を踏み入れる。
「どうぞお寛ぎください」
「はい、ありがとうございます……」
足元がおぼつかないヘメラはランディーでもアダムでもなく、ミケルの腕を頼りに歩いていく。
「ヘメラ様、夕食の前に少しお休みになられては?」
「ああ、うん。そうしよう……」
ミケルはヘメラを連れ充てがわれた部屋へさっさと入ってしまい、ペルセウスはその様子を内心笑いつつもアダムとランディーへ「申し訳ございません」と頭を下げる。
「周知をおろそかにしてしまい、ピニエル様とアリス様にはご迷惑をおかけいたしました」
「ああいや、よく調べなかったこちらにも非がありますので」
「アンジェリカ様とランディー様へそれぞれよいお話がありますよう、お祈り申し上げます。では」
精一杯の愛想笑いを終えたペルセウスは自分も部屋へ入ると、小さく舌打ちをしてネクタイをゆるめた。
「やめろ、聞こえるぞ」
「今日だけで一生分の笑顔を使った」
「お前にしてはよく頑張った。あとで嬢ちゃんからインセンティブもらっとけ」
ヘメラの介抱をしようとミケルが備え付けの水を取りに向かおうとすると、ヘメラは赤い顔のまま彼のネクタイをグッと引っ張った。
「おえっ」
「私は嬢ちゃんじゃない」
「酔ってんのか。ったく世話が焼けるお嬢さん……」
「その嬢ちゃんと呼ぶのをやめろ。私はヘメラ・オルブライトだ」
「愛称だって、愛称」
むすっとしていたヘメラはミケルのネクタイをさらに引っ張り引き寄せると、彼の首に腕を回し子供のように甘える。
「嬢ちゃんじゃない。どうしていつも名前で呼ばないんだ……」
「あー、本当に酔ってんなこれは」
ミケルは乙女の背を優しくトントンと叩いてあやす。
「いつも名前で呼んで欲しいのに……」
「はいはい、ヘメラ様」
「誰も褒めてくれない……」
「嬢ちゃんはよく頑張ってるよ。わかってるって」
ペルセウスは優しく抱き合う二人を横目に備え付けの水の毒味を済ませ、グラスをミケルへ差し出した。
「おう、さんきゅ。ほら嬢ちゃん水飲め」
「嬢ちゃんじゃない」
「わかった。ヘメラお嬢様、お水ですよ」
むすっとしていたヘメラはようやく機嫌を直したのか、グラスを受け取ってきゅーっとあおった。
「おー、いい飲みっぷり」
「ぷはぁ」
「少し寝とけ。時間あるしよ」
「うむ……」
ヘメラは素直にミケルの腕の中でうたた寝を始める。彼は仕方ない、とヘメラを抱き上げてベッドへ運んだ。二人の様子をながめていたペルセウスはふとラファエルの顔を思い浮かべる。
(
「もう早く結婚しなさい!」
「嫉妬! ミケルのそれは完全に嫉妬でしょ!? ヘメラちゃんもほかの男性と腕組むの嫌だからって無意識に拒否してるのよ! なんでここまで距離が近いくせに鈍感……ああもう!」
ラファエルは机をこぶしで叩く。大都市リンデルから離れた北部の町に隠れ家を移した彼女は、窓に向かって大きく息を吐いた。分厚い防弾ガラスがうっすらと白く曇る。北部ではまだ春の芽吹きすら遠く、雪が道路を白く染めている。
「もー、二人がこんなんじゃ天国のアスコおじ様が心配で降りてきちゃうでしょーが」
親友の恋路を心配しもう一つ溜め息をついたラファエルの元へ、秘匿回線でメールが届く。
「何よ、追加の映像だったら怒るわよ……」
メールは
「
【長編】ヘルメスシリーズ ふろたん/月海 香 @Furotan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。【長編】ヘルメスシリーズの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます