【掌編】花の色はうつりにけりな【1,000字以内】

石矢天

花の色はうつりにけりな


「ねえ、先生。これってどういう意味?」


 彼女が出してきたのは百人一首。

 小野小町が詠んだ、あの有名な和歌だった。


「『花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに』か。この歌の意味が知りたいのか?」

「うん! 教えて!!」


 古文はあまり得意ではないけど、子どもが興味を持ったときに教えないのはもったいない。なんとか記憶を振り絞って、歌の意味を思い出す。


「花の色、というのは桜の花の色だな。うつりにけりな、は色があせる……まあ枯れるってことだ」

「桜が枯れちゃったの?」

「そうそう。でもこれは実は自分のことなんだ」

「自分のことって?」

「花が枯れるように、自分も歳を取ったなあって言ってるんだ」

「ふうん。じゃあ、『いたづらに』は? 誰かにいたずらされちゃったの?」

「これは『むなしい』とか『無駄に』ってことだね」

「いたずらされて?」

「いたずらのことは一回忘れよっか」


 古文ってこういうところがあるよな。

 今と同じ言葉なのに全然意味が違うみたいな。


「つまり、ここまでを繋げると『気がつけば歳を取っててむなしい』ってことになるな」

「私は早く大人になりたいけどな」

「そうだなあ。大人になったら気持ちがわかるんじゃないかな」


 三十を超えて、自分もだんだん気持ちがわかるようになってきた。

 もう誕生日なんか要らない。


「ふうん。変なの。ねえ、続きは、続き!」

「まず後ろの『ながめせしまに』から。これは――」

「なんで? なんで後ろから?」

「これは倒置ほ……順番が逆になってるんだよ。で『ながめせしまに』っていうのは長い雨が降っている間にって意味だ」

「それはヤダねえ。雨が降ったらお外で遊べないし」


 そんな短い時間のことではないのだけど。

 まあ、そんな話をここでしても仕方ないか。


「最後はわが身世にふる、だな。これは歳を取っていく私って意味だ」

「え? それさっきも言ってたよね」

「そうだな。言ってたな」

「なんで? こんな短い歌なのに」

「それはあれだ……。大事なことだから二回言ったんだよ」


 本当は男女の仲っていう意味を持ったダブルミーニングなんだけど、小学生に教えるような内容じゃないよな。


「じゃあさ、じゃあさ。こういうこと?」


 そう言うと、彼女は指折り歌を口ずさむ。


「気がつけば 雨のあいだに 老けちゃって なんだか私 むなしい気持ち」


 小野小町の技巧を凝らした和歌の名残はないけれど。

 まあ、これはこれでわかりやすくて悪くないな。なんて思った。




      【了】

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