第二幕【フォニー】②

 宿木やどりぎ依織いおりと別れた後、「そういえば、ゴミ袋、失くなってたな」と、近場のコンビニエンスストアに寄り、ゴミ袋を購入し、ついでに色々買い足した。


 コンビニから出たタイミングで、丁度見覚えのある姿を見付ける。


 浮舟うきふね斬緒きりお

 と、蘇比そひ色の髪をした男子。


 遠い場所からそれを眺めていると、「誰かに恋をするってどういう考えなんだろう?」という思考が浮かんでくる。


 蘇比そひ色の髪をした男子──天音あまねは名前を知らないが──リアン・フィセルは、本人が自覚しているのかどうか分からないが、恐らく、斬緒に恋をしている。


 恋に恋した情緒が狂った関屋せきやともと、恋情混じり他者への依存を抱えている情緒不安定な宿木依織──このような人間は知っているし、共感することは出来ないし、理解することは出来ないが、分かることは出来た。


 誰かに恋をしている人間は見たことがない──否、見たことがないというより、認識したことがない、知らないと表現するべきだろう。


 少なくとも、巽は誰かに恋をしたことがあるらしいのだから──見たことがない訳ではない、ただ外聞に近いので、認識していると言うと微妙に違うし、知らないという感覚が一番近い。


(誰かに恋をするって、どんな感覚なのかな?)


 恋をするってどんな感覚なのかを、その前話していた会話は忘れたが、会話の流れで、巽に訊ねたことがある。彼の年齢を考えるに、一度ぐらい誰かに恋をしたことがあるのではないかと思い、訊いたような気がする。


「私の恋が、恋に恋しているだけなのか、相手に恋しているだけなのか──正直よく分からないけど、主観的に述べるなら、相手を尊重したいと思うことが、恋なのではないかと思う」


 相手を尊重したいという感覚は、天音にはないものだった。


 人生経験の差が原因なのか、単純に比較対象である彼らに問題があるだけなのかは分からないが、関屋智と宿木依織の感情よりは、恋という言葉に似合う気持ちである気がする。


 相手を尊重するという気持ちは、あの二人にはないだろうから。


「昔、尊敬出来ない相手とは結婚するべきではない──と、私の父が言っていたのだけれど、当時は理解出来ないが、年齢を重ねると分からなくもない。父は、結婚はそこそこ好き程度の感情でも出来るけど、離婚は死ぬほど嫌いにならないと出来ないとも言っていたのだよ。そして、そこそこ好きという感情がない結婚は、精神衛生上良くないとも言っていた。要するに──幸せな結婚生活を送りたいなら、無理ということだね。私が二〇代の時点で結婚を諦めたのは、親以外の人物を尊敬することが出来ないと思ったからだ」


 尊敬──言葉にするだけなら簡単だが、心から尊敬するとなると、かなり難しいだろう。


 僕みたいな人間でも、誰かに恋をすれば、メンタルに変化が現れるのだろうか──とか、思ってみたが、無理だろうなという結論がすぐ出てしまう。


 誰かを尊重出来た試しがないし、尊敬は──なくはないが、尊敬というには、欠点と汚点が沢山あるため、尊敬という感情を誰かに抱いているすらも怪しい。


 そもそもの話、高く評価しており、かなり好意的な感情を抱いている深空であっても、全く心が揺れ動かないのだから。


 感情はあるけど、心はない状態は、以前変わらない。


 止めていた足を動かしながら、彼女は考える。


 死ぬまで己は、心がないまま生きていくのだろうか? 好きになっても嫌いになっても同じのまま──今の悩みも、悩んでいないのと変わらないままなのだろう。


 トラウマに苛まれることもなく、感情に左右されずに生きていくことは出来るが──ないもの強請りではあるが──トラウマに苛まれたり、感情に左右されたりしてみたいものだ。


 心を殺すとか、心を従うとか、そんなことを経験してみたい。


 感情に従うことも、無視することも、同じように出来る。


(そんなことは考えなくて良いか……考えたところでどうしようもないし……)


 ところで、深空は、今は何をしているのだろうか?


(今度会ってみよう)


 様子が気になるから。


穹莉そらりちゃんは……まあ大丈夫でしょう)


 屈強なメンタルの持ち主であり、尚且つ親をノイローゼに追い込むほど図太い女だ。


 例えどんなことが起きても、どんな目に遭っても、どんな奴と出会ったとしても、問題ないのだろう。


 大抵の人間を無力化することが出来るの持ち主でもある。


 深空のように、一方的に蹂躙されることはない筈だ。それどころか、返り討ちにするだろう。殺しはしないだろうが、トラウマは植え付けているかもしれない。


(……どんなことを考えたところで、結局のところ空蝉うつせみさんが言った──死んだ方が良いに帰結するんだろうな)


 空蝉じゅんから掛けられた言葉の一部を思い浮かべる。


『キミは──感情はあるけど、心がないよね』


『心が揺れ動かない──どんな状況に陥ろうともメンタルに影響がない』


『恐ろしいよね。キミにとっては、喜怒哀楽、全てが同じという訳なんだから。感情が高ぶればバイタルに影響が出るのが普通の人間だけど、キミだけはそうじゃない。嬉しいと感じる心も、悲しいと感じる心もあるのに、それが精神状態に影響しない。そんな奴、本当に人間と言って良いのかな?』


『悪魔か何かじゃない?』


『割りと本気でそう思っているんだよ。感情はあるのに心がないだけなら、流石に悪魔とまでは言わなかったよ。そんな奴を、果たして人間と呼んで良いのかとは思っただろうけど、口はしなかっただろうね』


『けど、キミは──終わっている』


『終わっているという性質を持っていると言えばいいのだろう。周囲を終わらせてしまうというタイプの、終わっている人間だ』


『そのまま生きてそのまま死ぬんだ。周囲を終わらせてしまう性質を抱えながら、ずっと生きていけ』


『けれどキミと会った瞬間思ったよ──こいつは野放しにしてはいけない、と』


『実際、キミはあまりにも人間として終わっている。どんな凶悪犯よりも終わっている。間違いない。断言しよう。キミみたいな奴は──死んだ方が良い』


『死んだ方が良いでは生温いな。キミみたいな奴は死ぬべきだ』


『存在するだけなら罪にならないというのが一般的な理論だろうけど、キミにだけは、世界でただ一人キミだけは、それに絶対当て嵌まらない──キミは存在するだけで罪だ』


『存在するだけで罪であるキミは──世界のために死んだ方が良い。誰にも見付からない場所で、ひっそりと、孤独のまま死ね』


『──死ね』


 そうだ。


(死んだ方が良いじゃなくて、死ぬべき、だったわ)


 いい年齢の大人が、面と向かって中学生の子供に対して、「キミみたいな奴は死ぬべきだ」と言い、「──死ね」と言うぐらいなのだから、空蝉淳には相当酷い存在に見えたのだろう。


 罵倒された回数はもう既に四桁越えているが、断言される形で死ねべきだと言われたのは、あのときが初めてだ。


 何を思って、思うだけでなく、本人である天音に直接言うぐらいなのだから、よっぽどのことがあったのだろう。


(彼にとっては、どれがに該当したのだろうか?)


 気になるし、追求してみたい気持ちはあるが、そんなことをすればなんとなく面倒なことになるような気がしたので、それでたつみが被害を被ることになったら申し訳ないので──追求しないことにした。


(そういえば、巽さんがいないところであんなことを言ったのは、僕のことを気遣うような発言をしていたけど、実際困るのは空蝉さんだったのかな?)


 今更思うようようなことではないが、横槍を入れられたくないことを抜きにしても、成人男性が義務教育を終えていない中学生にあのような発言をしている場面を見られるのは望ましくないだろう。


 見られたら、もしくは聞かれたら、保護者がどういう行動に出るのかなど、他人への共感性が皆無に等しい天音でも想像出来る。天音でも想像出来るのだから、少なくとも彼女より共感性が高いであろう空蝉淳ならば、もっと鮮明に想像出来る筈だ。


 要するに、保身も含まれていたのだろう。


 いきなり怒鳴り付けたり、暴力的な手段出るほど、巽は大人気ない人物ではないが、成人男性が女子中学生にあのようなことを言ったと知ったのなら、流石に口を出さずにいられないだろうし、保護者としてするべき対応は取るだろう。


 家に帰り、買ってきた物を収納するべき場所に収納してから、普段より家が静かだなと思う。


 気のせいと言われれば気のせいと流してしまいそうな感じなのだが、なんとなく普段より家が静かなような気がする。


「巽さん?」


 二階に移動し、巽の部屋の前で立ち止まると、扉をノックをする。何度かノックし、反応がないことを確認してから、扉に耳を当てた。エアコンが動いているような音が聞こえる。寝ているのだろうか? 一応断りの言葉を述べ、部屋の中を見る。


「いない……」


 寝ているという訳ではないらしい。


 他の部屋にいないかを確認してから、一度リビングに戻ると、テーブルに何かが置いてあることに気付く。


 書き置きだった。

 筆跡は巽のものだ。


「仕事関係で急用が出来たから、少し家を空けるのか……」


 珍しいと思いながらも、仕事なら仕方がないと思考を切り替えると同時に、キッチンに非常食が出ていた理由を理解した。


 機械の天敵であるが故に、触れただけで機械を壊してしまう体質故に、彼女は冷蔵庫を空けることが出来ない。だから、調理の必要がない食事を出しておいたのだろう。


 いつ帰るのか、この書き置きには書かれていない。


 もしかしたら遅くなる可能性を考慮してのことだろう。ご丁寧にペットボトルの飲み物もキッチンに出ている。


(介添人がいないと、僕は冷蔵庫すら開けられないんだよなぁ)


 慣れたから生き難いとは思わないが、現代よりも一昔前の方が生き易かったかもしれないと考えることはある。


 キッチンに出されていた非常食を食べ、水分補給も済ませると、そういえば巽の部屋のエアコンの件が頭に浮かび、「電源切ったっけ?」と、なんとなく彼の部屋にもう一度足を踏み入れた。


 エアコンの電源は切れていなかった。忘れていたらしい。


(リモコンどこだ?)


 机とか、ベッドの脇とか、その辺りに置いているのではないかと思ったが、それらしい物は見当たらない。


 もしかして隙間に落ちているのだろうか。


 ベッドの下を見てから、机の下を見ると──「あった」


 巽の部屋にある机は、机と収納スペースが一体化しており、右側に引き出しが三つあり、左側にファイルや本が置ける収納スペースがある。


 左側の収納スペースの下──床と収納スペースの隙間に、リモコンが落ちていた。


 なんでこんなところに思いつつ、リモンコンを拾おうと、しゃがんで腕を伸ばし、リモンコンを掴んだとき──違和感を感じた。


 床側ではなく、収納スペース側に、妙な感覚を覚える。


 リモコンを取ってから、掌を上に向かた状態で、もう一度隙間に手を突っ込みながら、違和感を覚えた場所に触れた。


 何かが貼り付いている。

 恐らく紙だろうか?


 何が貼り付いているのだろうかと思いながら、恐らく端っこに当たる部分を爪で引っ掻くと、思っていたよりあっさり剥がれた。


「手紙?」


 セロハンテープで止まっていたらしく、恐らく粘着力が弱くなったいたから、爪で軽く引っ掻いた程度で剥がれたのだろう。


 セロハンテープがくっ付いた便箋。


 宛名は特になく、状態を見るに、セロハンテープでくっ付けられた状態で、長い間放置されていたのだろう。


 セロハンテープが、封筒にくっ付いていたということは、うっかり隙間に入ってしまい、長い間放置されていたという可能性はないだろう。


 セロハンテープによって、くっ付けられた場所からして、他人が貼り付けたとは思えないため、そもそもこの家には滅多に人が来ないだから、やはり巽が貼り付けたと考えるべきだろう。


 問題は、どのような意図を持って、そのようなことをしたのか──だ。


 封筒の厚みや感触から鑑みるに、封筒には中身が入っている。


(多分紙だろうな……)


 封筒に入っている紙と来れば、手紙と鑑みるのが妥当だろう。


(わざわざこんなところに置いているということは、捨てることも出来ないけれど、視界に入れたくないってことかな?)


 本人の断りなく、封筒の中身を見るのは良くないと一般的に言われており、尚且つ、巽との関係を悪化させるのは己の利益にならないと思い、気にはなるものの、封筒を元の場所に戻せないかと思考をシフトさせたとき──


「あ」


 きちんと糊付けされていなかったのか、時間が経過して接着が弱くなったのか、勝手に封筒の中身が床に落ちてしまった。


 即座に元に戻そうとしたが、一文を目にした瞬間──数秒手が止まり、止めた手で紙を掴むと、書かれた文章を読んだ。


 読んでしまった──と、言った方が良いのかもしれない。

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テロリストに飼われている彼女の目的は 沙也加水城 @sakaeudon

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