色彩⇆シェイク

新井狛

色彩⇆シェイク

 僕とシキは色彩感覚の合わない恋人だった。


「私、晴れた日の空ってあんまり好きじゃないんだよね」


 胸のすくような青空を見上げて、シキはそんな事を言う。そんな時の僕はいつもふぅん、と気のない生返事を返した。だってこんなに気持ちのいい色なのに。


 まあ人間好みはそれぞれだ。色彩感覚は圧倒的に合わないけれど、そんなのは些細な問題でしかない。僕は優しくて聡明な彼女が大好きだったし、彼女もまた僕を愛してくれていると信じている。


 今日は僕がデートコースを選ぶ日だった。青空の下で、僕らはランチボックスを広げている。緑豊かな広い公園はたくさんの人で賑わっていた。背筋を伸ばしてお茶をすするシキは、その中の誰よりも美しく可憐だった。僕は思わず彼女の手を取り、はしばみ色の美しい目を覗き込む。彼女もまた僕を見た。周りにはたくさんの人がいるけど、僕らの周りだけ切り取られてしまっているようだ。実際にはそんな事ないのだけど、ほら。熱愛期の恋人ってそういうものだろう?


 だから僕らは気づかなかったんだ。ふざけた大学生達がめいっぱいの力で蹴ったサッカーボールが、僕らの頭の後ろに迫っていたことに。

 僕の後頭部を強い衝撃が襲い、勢い余った僕の額は激しくシキの額にぶつかった。


 暗転。


 僕は薄く目を開けた。あんなにも高く澄んでいた空の青はもう見えない。見えるのは、赤。もう夕方になったのだろうか。だがぼんやりとした視界が鮮明になるにつれ、僕の背筋を違和感が駆け上がった。何かがおかしい。夕暮れとはこんな、鮮血を刷毛でべったりと塗りたくったような赤い色をしていたか? 木々の葉は、芝生は、ピンクのペンキをぶちまけたような色をしていたか?


「すいませーん、大丈夫ですかぁ」


 呑気な声が聞こえて、僕は振り返ってぎょっとした。走ってくる男の肌は腐肉のような色をしている。まるでゾンビだった。僕はぎゃあっ、と悲鳴を上げて後ずさる。だがその声は僕の声ではなかった。代わりに僕の真横から僕の声で悲鳴が上がる。


 腐肉色の僕がいた。パニックになってめちゃくちゃに振り回した自分の手に、シキにあげたクローバーの指輪が極彩色の輝きを纏ってはまっている。


「どうなってるんだ!? 空がおかしい。何もかも狂った色をしてる!!」


 僕は叫んだ。シキの声だった。


「色が、色が……どうなってるの……」


 僕は僕の隣で半狂乱になっている。呑気な表情のゾンビじみた青年も、流石に異常事態に気付いたようだった。


「マジで大丈夫です? まだ昼です。じゃないっすか」


 私、晴れた日の空ってあんまり好きじゃないんだよね。シキの声が、僕の脳裏に蘇って、僕は唐突に理解した。これは


 僕は僕を見た。僕の中にいて、僕の色彩で世界を見て震えているシキを見た。

 僕は、君と僕が同じ色を見ていると、いつから錯覚していた?

 それはあまりに残虐な現実だった。それはあまりに決定的な乖離だった。

 僕たちは同じ空を見上げ、同じ風を感じ、同じ時間を過ごしていたはずなのに、僕たちの見ていた世界は根本から違っていた。


「どうして……こんなにも……」


 周囲の人々が心配そうに寄ってくるが、その表情も腐肉の色に見えて、僕はさらに絶望に追い込まれる。僕は腐肉色の僕を見た。僕らの間には、見えない壁があるようだった。お互いを理解し合ったつもりでいても、本当は互いの世界を生きることはできない。それぞれが独自の色彩を持つ世界で生きていることを、僕らは今更になって知ったのだ。僕はシキの声で、ぽつりとつぶやく。


「君と僕は、本当に同じ世界を見ていたのだろうか?」


 腐肉色の僕は、絶望をなみなみと満たした表情で頭を振った。同じであるわけがなかった。こんなものが。そしてもう僕らのどちらも、この状況に1秒たりとも耐えられなかった。

 僕らは手を取り合う。異色の中に沈んでしまった互いの目を見つめ、頭を反らし、額を強くぶつけあった。一度、二度、三度。生温い液体が飛び散り、人々が悲鳴を上げる。その鮮やかな赤が空から血に戻ってきた時、僕らはようやく動きを止めた。血染めの恋人たちを遠巻きにしていた人々が、恐れをなしたように散っていく。

 

 僕たちは手を取り合ったまま、静かに公園を後にした。茜色の太陽が投げかける僕らの影は一つに重なり合うように見えたが、僕らの心はまだ遠く隔たっている。もう依然のように戻れないことが、はっきりと分かった。


 僕らはただ歩いた。

 愛しているのに、理解しきれない恐怖と、決して埋まらない隙間を抱えて。



(終)

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