ある王国の与太話・4

那由羅

心繋ぎ止める色

 インキュバスやサキュバスのような夢魔は、真夜中に寝込みを襲って生気を奪う魔物、と言われているが、あくまで悪目立ちした”食事方法”がそれだった、というだけに過ぎない。


 普通に昼間も活動しているし、普通に夜寝る事だってある。

 腹が減れば肉や野菜やパンも食べるし、菓子や果物も大好物だ。

 また生気だって、強引に根こそぎ奪うよりも、お返しという形で頂いた方が少量でも満腹感は得られる。


 そんな、他者に喜んでもらいたいと思う気質が強い魔物だからか、夢魔は心の機微に敏感だ。

 感情を色という形で視る事が出来る能力など、その最たるものである。


「感情の色は、人を見た時にぼんやりと光が包んでるように見えるの。

 光の外側の色は上辺の感情で、言葉に表現できる気持ち…って思えばいいかな?

 逆に光の中心にある色は、その人自身の本質の感情を示してる。

 外側うわべは赤黒い激怒の色を示していても、中心ほんしつは真逆である深緑の恐怖の色を示す、何て事もあるんだよ」


 夢魔の解説をするリャナは、インキュバスの父親と人間の母親との間に生まれた、ハーフのサキュバスだ。


 夢魔が関わる小話は割とろくでもないものが多いが、少なくとも彼女の両親は仲は良好だったようだ。両親の愛情を受けて育ったらしい彼女は、多少は小悪魔的な面も見せるものの性根は素直な少女だ。


「本当は怖いのに、怒りの感情で気持ちを抑え込んでいるって事?」

「そそ、そういう事」


 ヘルムートは、少し前にリャナから購入した夢魔のモノクルを手に取った。

 モノクル越しに映る行商の少女は、正円状にオレンジと黄色を周囲に纏っている。だが、中心は紫がかっているようだ。


 視られているリャナは不敵に微笑んでいる。夢魔は、自身の感情の色を見せないように制御出来るらしいから、今の彼女はあえてヘルムートに見せているのだろう。


「何が見えた?」

「…外側がオレンジと黄色。でも中心は紫だ。これは、どういう感情なのかな?」

「うんうん。オレンジが”期待”、黄色が”喜び”、紫は”嫌悪”だね。

 この複数の色の組み合わせによっても、感情は複雑に絡むんだ。

 ”期待オレンジ”と”喜びきいろ”の組み合わせは”楽観”。

 ”期待オレンジ”と”嫌悪むらさき”の組み合わせは”皮肉”。

 ”喜びきいろ”と”嫌悪むらさき”の組み合わせは”不健全”。

 あたしがどんな気持ちでヘルムート君を見てるか………分かる?」


 紅色の瞳を細めて口の端を吊り上げた少女は、あどけない容姿とは対象的に淫靡な雰囲気を醸している。幼くてもさすがはサキュバス、と言ったところか。


「うーん、自信はないけど………こっちが困るのを愉しんでるような気はするかな?」

「ご明察~、ヘルムート君えらい~」

「そりゃ、そんな愉しそうな顔されたらねえ…」


 軽快に拍手を寄越す様すら馬鹿にされた気がして、ヘルムートはがっくりと肩を落とした。自分の人生の三割五分程度しか生きていないはずの少女だが、何故か一生勝てないような肝の座りっぷりだ。


 それはさておき、と心で言い聞かせ、ヘルムートは改めてモノクルを眺めた。シンプルで飾り気はないが、逆にどんな格好でも合わせやすそうなデザインをしている。


「色の組み合わせによってもまた感情が変化………というか、似て非なる感情まで読み解ける、と考える方が良さそうだ。総合的に見なきゃいけないから、使いこなすのは大変そうだね」

「友達は『占いみたいなもん』って良く言うよ。当たり半分はずれ半分、くらいの気持ちで視るって。参考程度に考えてた方が、はずした時悔しくないもん」

「もっと明瞭で実用的ならいいな、と思ってたんだけど………過信は禁物なんだね」


 得心が行って、ヘルムートは静かに頷いた。きっとリャナの界隈なら、ジョークグッズとして売られているのだろう。せいぜいが参考程度か。


「じゃあさ、あれはどういう感情になるのかな?」


 ヘルムートは顔いっぱいに渋面を作り、親指を明後日の方へと向けた。


 ここは、ラッフレナンド城2階執務室。

 ヘルムートが差した先には、執務机を挟んで二人の男達が相対している。側には女性が立っており、居心地悪そうに肩を竦めていた。


 椅子に座して正面を見上げている波打つ金髪の男は、ヘルムートの腹違いの弟であり、このラッフレナンド国の王であるアラン。

 その先で直立している金髪を結わえた鎧男は、城で衛兵且つ魔術師として籍を置いているカールだった。


「くどいぞ上等兵。リーファはエルヴァイテルト国へ送らない」

「折角あちらより誘いの書状が来たというのに、無下にされるというのですか?側女殿の類まれな魔術の才能を、伸ばす気はないと?」

「リーファは側女だ。私の御子を産む務めが最重要課題だろう。魔術留学などしている時間はない」

「御子など、それこそ他の女性に産ませれば良いだけではないですか」

「やだ」

「や───やだぁ…っ?!」

「君が行けば良いだろう、上等兵。エルヴァイテルト国は、ここ二百年で魔術文明が一気に栄えた国だ。君の師とも関連が深い。一見の価値はあるぞ?」

「そ、そうやって側女殿を解放しないおつもりか!?彼女をここに縛り付ける事が、ラッフレナンドの損失だと何故分からない?!」


 論点をずらされたカールは、苛立たしげに犬歯を剥き出している。そしてアランは、そんなカールを見てとても楽しそうに目を細めていた。


 王と一介の兵が侃々諤々かんかんがくがくと意見をぶつけ合う光景など、そうそうあるものではない。カールがアランに気に入られているからこそ、この会話が成り立っているのだ。現に、モノクル越しで見たアランの感情の色はオレンジ───”期待”一色だった。


 そして、ヘルムートが差していたのはカールの方だ。さっきから、えげつない感情の色を吐き出し続けているのだ。

 形状も安定していない。アランの感情は正円なのに対し、カールは夏場の入道雲のようにもこもことしている。会話の度に感情が噴き出るらしく、まだら模様が絶えず変化している。


 リャナも見た事がない光景なのだろう。眉をハの字に歪め、興味津々で苦笑していた。


「すっごいぐちゃぐちゃだねぇ。

 中心は濃い紫。嫌悪…それも生理的にムリって感じかな。

 周りは怒りの赤、警戒の濃いオレンジ、恐れの緑、驚きの水色、か。うーん、数多いなぁ。ええっと、これを組み合わせると───」


 さすがの本職も、これだけ色が混じれば手引き書は欲しいのだろう。リャナはズボンのポケットからメモ帳を取り出し、目を皿にした。


「”怒りあか”と”警戒オレンジ”で”攻撃”。

 ”怒りあか”と”驚きみずいろ”で”憎悪”。

 ”怒りあか”と”嫌悪むらさき”で”軽蔑”。

 ”嫌悪むらさき”と”驚きみずいろ”で”憤慨”。

 ”恐れみどり”と”驚きみずいろ”は───ああもう面倒臭いからいいや」


 リャナは早々に分析を諦めたが、考えるまでもなくネガティブのオンパレードだ。ここまで分かりやすいと、ある意味一本筋が通っている。


「…要は、アランの事、蛇蝎だかつのごとく嫌ってる?」

「そんなとこだねー。…なんであの人、この城にいるの?嫌なら辞めればいいのに」

「うーん………なんなんだろうねえ?」


 ヘルムートは腕を組み、ひとしきり唸り声を上げる。

 カールの場合、家の事情や魔術関係のしがらみはありそうだが、それだけがここに居続ける理由になるのかは分からないのだ。


「───まあまあ、おふたりとも」


 唐突に会話に割って入ってきた女性の声に、ヘルムートは思わず顔を上げた。

 再び横目に見やれば、ずっとアラン達の成り行きを見守っていたリーファが、朗らかな笑みを浮かべて口を挟んでいた。


「アラン様。私の魔術の知識は今時のものではないですし、余所の国のそういう勉強もしてみたいです」

「ふん?側女としての仕事は放棄するのか?」

「そうは言ってませんよ。でも側女のお勤めの合間に、他国の魔術の勉強も出来たらいいな、とは思ってます。そういう形でも、って」

「………ふむ。他国の魔術書を仕入れてみるか」


 リーファが、アランの役に立ちたい気持ちを押し出した事で、かたくななアランの心に変化が生じていた。カールに向けていた”期待オレンジ”に、”喜びきいろ”と”信頼きみどり”が入り混じって行く。


 アランが口元を緩めて機嫌を直したのを確認したリーファは、今度はカールに向き直る。


「カールさん。まだ国内の魔術体制が整ってないんですから、私やカールさんが留学に出たら皆さん困ってしまいますよ」

「だが…!」

「幸い日取りの話は出ていませんし、もう少し落ち着いてからでも遅くないと思います。城の魔術システムを放って出て行ったら、。ね?」

「………う、うむぅ」


 こちらはこちらで、カールが敬愛していた魔術の師匠ターフェアイトを引っ張り出す。そう言われてしまうと弱いのだろう。カールの色が急速に失われ、代わりに”期待オレンジ”と”信頼きみどり”と”恐れみどり”に染まっていく。


 アランもカールも黙りこくると、リーファは両手を合わせて微笑んだ。


「エルヴァイテルト国へは、手紙を送りましょうね。あちらは厄介な魔物がいるそうですから、情報交換はしておきたいです。こちらからも手紙で役に立てる事があるかもしれませんし、腰を据えてかかりましょう」

「そうだな…」

「ああ…」


 あっという間に取りまとめてしまったリーファを見やり、リャナが感嘆の吐息を零した。


「すごいね、リーファさん。ふたりとも丸め込んだよ…」

「昔はよくアランを怒らせたものだけど、最近は上手く扱うようになったと思うよ。経験だね」

「あのカールって人、王サマと似てる所あるんじゃない?だから扱いやすいとか」

「………やめてよ」


 ヘルムートの背筋に寒いものが抜けて行って、堪らずに身を震わせた。可愛いアランといけ好かない兵士カールが似た者同士とか、考えただけでゾッとする。


 嫌な顔をする事は分かっていたようだ。青ざめたヘルムートを見て、リャナがクスクス笑っていた。


「でもアレだね。王サマもあの兵士さんも、リーファさんに運命感じちゃってるんだね」

「………運、命?」

「そ。期待オレンジ信頼きみどりの組み合わせは、”運命”なんだ。

 人の意志を超えて身に降りかかる吉凶禍福きっきょうかふく───愛とは違う、抗いようのない巡り合わせだよ」


 リャナの含みを持たせた物言いに、ヘルムートは息を呑んだ。


 リーファは一見するとどこにでもいるような町娘だが、その生まれは少しばかり特殊だ。

 その出自に因る奇跡に似た偉業は、アランやヘルムートが抱えた問題の多くを解決へ導いたが、同時にそこそこの問題も巻き起こしていた。


 そうしたものもひっくるめて、運命と呼ぶのならば───


「なるほど…運命、か。それはまさに、神の所業だね」


 今度は別の議論で揉め始めたアランとカールに見やり、ヘルムートは先々の事を少しだけ憂いたのだった。



 ~心繋ぎ止める色~ おわり

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