偽物

あがり諾子

偽物

 連中がどうやって生まれるのかなんて知ったこっちゃない。木の股からうまれるのか、それとも運の悪い女がこっそりと人知れず産み落とすのか、それとも何か儀式でもやるのか。ただ一つ確かなことは、連中――魔王は数年から数十年のスパンで様々な地方に発生し、それに対応して勇者と呼ばれる人間が生まれる。こっちはオギャーとこの世に発生するというんじゃなくて、まつりあげられるとか、押しつけられるとか、そういう意味だ。英雄として末永く伝説に残るのから、どこかの村で爺さんのいつもの長い話――若い頃の武勇伝としてウザがられるのまで。能力知名度色々な勇者。まあ、魔王だって、毎晩こっそり畑の野菜を荒らすのから、国一つ一晩で滅ぼす勢いまで色々なんだから、勇者だってそんなもんだ。

 

 で。今現在、大陸西方の霊山を囲む黒の森の奥地――中に入ればたちまち方向を見失い、再度外に出ることかなわずといわれているそこで、魔王と対峙するおれは、まあ伝説にはならないけれど、こらがうまくいけば余所者ながら町のはしっこに家くらいは建ててもらえるかもしれないといった程度の勇者だった。


 伝説になるよりは少し最近、このあたりは魔王によって苦しめられていた。最初は穏便に、そのうち大胆に、しまいには堂々と要求をつきつけ、そいつは近隣の里からさまざまなもの――とくに人を奪い去った。

 そのころ、この辺りと言えば、立派な辺境だった。住んでいるのは、長くて十数年程度の開拓者。治める領主が近くで目を光らせてるわけでなし、そんな物騒な場所になったのなら、引っ越してしまえばいいのではないか。実際、やってられないと退散した人間もいたのだけれど、全員がそう決意した訳じゃない。黒の森がもたらす恵みと、ホントか嘘か魔王が口にする呪いは結構な強制力だった。

 ああ誰かどうにかしてください。そこへやってきた新しい開拓者が、見事魔王を討ち取った。ありがとう、ありがとう、あなたのような勇者様にこのあたりを治めていただけないでしょうか。それが、ここ、黒の森北側一帯を治める領主家の最初はじまりらしい。


 その後すっかり安定し人口も増え、里が村へ、村が田舎町へと順調に発展し、村長が領主と呼ばれるようになった頃。ご先祖様が出会ったのと同じような災厄がこの地域を襲った。不幸な子供が川に流された。黒の森の恵みを取りに行った娘が、獣に食い荒らされた姿で帰ってきた。新妻がこっそり床を抜け出したかと思うと、生まれ月に満たぬ子供と一緒に変わり果てた姿で発見された。

 最初は事故だと思われていた。だが。多少発展したとはいえ、このあたりはまだまだ辺境で、神聖都市なんて場所に比べれば危険な場所だ。

 とはいっても、一月に何人も事故にあって死ぬような場所じゃない。そんな厳しい場所に住んでいる分、危険を回避する知恵や何かも、それなりに皆身につけているのだ。

 まさかこれは――。語り継がれる出来事を誰もが嫌な予感として思い出し始めた頃、文が届いた。魔王の再来だった。


 こんな時のための領主家じゃないかといいたいところだが、残念ながら現当主は若い頃の事故が元で足が不自由、ついでにかなりお年を召している。子供といえば、遅くにできた娘ただ一人で、残念ながらまだ嫁ぎ先も婿も決まってはいない。名だたる都市の大貴族というわけじゃあないから、分家という名の手下おしつけさきもない。爺さんの兄弟の家といったって、ちょっと大きいだけの農家だ。そこにやってきたのが、おれだった。人相書きがまわるほどの悪事はしてこなかったけれど、叩けばホコリの出る身分。とはいえ、ちょっとしたトラウマもあり、足を洗ってこれからは地味にまじめにやっていくぜ。だけど身分証明できる人間もいないし、風体だって育ちの通りの盗賊顔。辺境とはいえうまく根を下ろすことができるだろうか? そんな利害の一致だった。ガチの帝都トップクラス騎士あたりに出てこられたなら、獲物を放り出し土下座する程度の腕っ節だ。けど、一応はこれでも剣奴に混ざって地下闘技場で賞金をかっさらったこともある。田舎の警備隊程度にひけはとらないという自負もあり、おれは賭けに出た。流れ者が始末できた魔王の再来ならば、何とかなるんじゃないか、と。


 無謀ともいえるそれに、おれは勝った。いや、まだ勝利したわけじゃないけど、多分勝てる。


 帰れと塩をまかれながら聞き込みをし、占い師のばあさんの手を借り、墓荒らしとして牢屋に放り込まれそうになりつつ、おれは魔王の足跡をたどった。最終的には、領主の娘を半ば人質にとった状態で、領主家が保管するオーブをはじめとしたいくつかのものを入手した。禁帯出本の写しを含むそれらを携え、おれは黒の森へと足を踏み入れる。その後、艱難辛苦といったら嘘大げさ紛らわしい、そんな苦労できごとを経て、いつの間にやら整備された結界を突破し、かつて魔王が討たれたという場所へとたどり着いたのだ。


 待ってたのはひょろ長い優男だった。夜闇を思わせる黒髪と、日に当たったことがないみたいな白い肌。すっと通った鼻梁に、絶妙のラインを描く眉、その下に切れ長の目。月明かりさす窓辺で、白い薔薇かなんかをみつめて憂いのため息でもついてみせれば、わたくしでよければお慰めさせてくださいとベッドに入りきれないくらいの若い娘が押し寄せてきそうな美形だ。けほけほと思わせぶりな咳でもしてみせたら、帰れといっても自称看護婦がまとわりついて離れないに違いない。


 花屋の看板娘が来るはずなのに、なぜむくつけき野郎が来るんだ、と。そう口にする声に、おれは勝ったと思った。強ささまざま、悪ささまざまな魔王がいるけれど、これなら勝てる。


 貴様の悪事もこれまでだ。そう言い様に、ナイフを抜き放つ。ここですらりと長剣を抜けばさまになるのだろうけど、残念ながらおれはそんなおそだちではない。大振りのナイフ二本が、おれの相棒だ。


 魔王は、片方の眉をあげた。そして、一つため息をつく。無謀なる人間よ、身の程を知るがいい。役者になった気分すら味わえるほどの様式美だった。







 魔王は弱かった。そりゃあまあ、学都の見習い騎士じゃあ相手にならないだろうけれど、帝都の地下闘技大会でなら凡百の参加者の一人程度、残念ながら優勝候補にはなれないだろうといったところだ。実は頭脳派で、術構築の時間が必要という話があるのかもしれないが、それを確かめる気はない。手下でも結界でも魔具でも、用意しておかない方が悪いのだ。正々堂々と果し合い? 八百長が決まってるってんなら、ありうるかもな。あれも単に腕っぷしとは別のところで仁義なき争いをやってるだけだが。


 身を焼く炎もなく、動きを遮る氷もなく。地割れに足を取られることもなく、風に全身を切り裂かれることもなく、おれは逆手にもったナイフを、地に伏した魔王の喉元につきつけていた。


 地面にうつ伏せに倒れた身体に馬乗りになりつつ、ナイフを喉にあてる。押すだけならば、皮膚が切れることはない。とはいえ、人間ならば頸動脈の位置。そんな場所に敵対者の刃があてられているのだ、命が惜しければ身動きなどできようはずもない。


 長い髪は、顔を上げさせるのに便利だった。


「――おれの、勝ちだな」


 黒髪を掴む手に力を込めると、奴はぎりと奥歯を食いしばり、おれを睨みあげた。


 白く滑らかだった頬が泥にまみれ、血をにじませている。たったあれだけの立ち会いで、コイツは怪我をしたのか。おれは、口元を歪めた。


「花屋の看板娘のソフィアを差し出せ、か。名前で要求するには、少しばかり無謀だったな」


 ぞくぞくするような優越感とともに、おれはそう口にした。闘技大会で優勝したときよりも、おれは調子にのっていた。本来なら、おれがやるべきことは、もはや簡単だ。コイツにとどめを刺して、オーブに証拠を残せばいい。相手は魔王なのだ、語り合う必要なんてどこにもない。


 奴はただきりきりと眦をつり上げている。尻の下、奴の身体がうごくのがわかる。力を蓄え、すきあらば反撃しようとしているらしい。できるものか。おれは、ほんの少し腰を浮かせ、素早く落とした。ぐぅ、と、うめき声が漏れる。


 短すぎる戦いが物足りなかったということなのだろうか。おれは、膨れ上がるばかりの凶暴な衝動を持て余していた。足りない。まだ足りない。ほんの少しナイフを押しつけて引けば、こいつは噴水のように血を吹き出すことだろう。獣のような悲鳴を上げるだろうか。断末魔の痙攣はおれをはねとばすほどに強いだろうか。悔しげな眼差しを浴びることで、背筋をぞくぞくと快感が駆け上る。勝負がつけばさめるはずの熱は、一向に去る気配をみせなかった。相手は魔王だ。世の通りを説いて行いを改めさせる? どこの聖職者だって、そんなことはしやしない。言葉は通じているようで通じていない。カラクリ人形が、お待たせしました粗茶にございますと言っているのと同じ。相手はそう人ではないのだ。

 

 叩けば埃の出る身体だ。力を求め、力によって自らを養ってきた。だが、これほどまでに勝負のついた相手に対し欲望を覚えたことはなかった。思い切りナイフをつきたてたい。首を切り落とすほどに深く抉りたい。吹き出す血を全身に浴びて、その熱がさめるさまを味わいたい。そんな必要などないのに、ただひたすらに高まる欲望は、相手が魔王故だろうか。おれは、鷲掴みにした髪をひっぱり、露わにさせた喉に押し当てたナイフを引いた。脳裏で描く惨劇に比べれば、ずいぶんと穏便だった。


 白い肌に、たらりと新しい血がにじむ。ずくり、と。腹の中で何かが蠢く。苦しげな声にもかまわず――いや、苦鳴を天上の美楽とも聞きながら、おれはその傷口にかぶりついていた。







 野生の獣も、一部は雄同士で性行為を行うらしい。もちろん、生殖行為ではない。立場の差を示す示威行為とでもいったものだ。その時おれは、そんな獣並にオツムが退化していた。


 魔王の首筋にかみつき、歯をたてる。滲む血をすい、のどを鳴らす。人と変わらぬ鉄錆の味が口中に広がった瞬間、股間のものがいきり立った。


「おれの……勝ちだ……」


 嗄れ、欲望にまみれた声で、我知らずおれはそう口にしていた。

 どんなに頭の軽い傭兵だって、戦場が一段落ついたからと、その場で獲物にぶちこもうとするような奴はいない。あんあん言わせてる声を聞いても眉一つ動かさないような忠誠をもった部下に周りを取り囲ませることができるような輩ならばともかく、あたりまえの連中はそんなことをするのは里に戻ってからだ。

 まあ、その後娼館なんなりにいくかどうかは、また別の話だが。

 当たり前だ、ケツ出して腰振ってるとこなんて、五歳のガキにだってやれるくらいに無防備なのだ。手足をへし折り抗う気力を根こそぎ刈り取った状態であったとしても、獲物の仲間どころか血の匂いにひかれた獣あたりが忍び寄ってきたなら、普段は大したことのない相手であっても、ズボンをはくまもなくお陀仏だ。それにまあ、そういう趣味のやつもいないことはないが、ろくに風呂に入れずいた垢じみた身体も、手足へし折られ血を流し喘鳴を聞かせる今にも死にそうな様も、おれにしてみればそそる姿じゃない。


 頭をよぎる警鐘は言葉になる前に鳴るのをやめた。首筋に、肩口に、思うさま歯をたてたあと、おれは奴の唇を求める。ぬるい舌を引っ張り出し、食いつく勢いで歯をたてる。足の下で動くからだがたまらなく心地いい。目もくらむほどの快感が、股間から脳髄へと駆け上った。


 力任せに服を引き裂こうとしない程度の知恵は残っていた。髪を引っ張ったまま、ナイフの位置をずらし、服の布をひっかける。切れ目がはいったところで、ナイフをおさめ、ぐっとそこを握った。


 言葉にならない声をあげる様を楽しみながら、魔王の背中に膝をおき、そのへんの人間が着ていそうな布地を引き裂く。背骨を押さえつけるのは、いたく楽しい作業だった。


 倒れた拍子にできただろう青あざのある肌を踏みつける。服をはぎ取りながら、地面に転がしてやった。あわてて立ち上がろうとするを許さず、手首を踏みつける。骨が折れる感触がないことに、弱すぎたかと眉を寄せた。


 くぐもった悲鳴をあげる奴の腹に、膝を落とす。ひるんだところで、足首を捕らえ、思い切り引いた。


「貴様……」


 憎しみで彩られた掠れた声は、天上の美楽であり、強すぎる媚薬だった。

 縮こまって揺れるものの奥、不浄なすぼまりは、思いの外慎ましやかで可憐だった。もしかすると、御不浄など必要ないのかもしれない。なにせ、こいつは魔王だ。

 両の手は足を掴むためふさがっている。軽いというほど軽い身体ではない。が、欲望で脳髄が焼き切れたみたいなおれにとっては、十分だった。肩で身体を支える羽目になるほどに、両足を持ち上げる。いきなり口を寄せた。


 女相手だって、そんな場所を舐めようとは思わない。だが、おれは、衝動に突き動かされるままに、後孔へと口を寄せていた。脚に力がこもるのがわかる。口の下で不安定にすぼまりが揺れる。舌をのばしつきいれようとする。だが、きつく閉じたそこは、柔らかすぎる舌を拒絶する。かまわず舐めた。唾液を落とし、啜り、周囲に歯を立てる。掴んだ脚が動くたびに、おれのものはこれ以上ないというほどに力を増す。


 ふと気づいた。視線の先、奴のものが揺れている。左手で、素早くそれを掴んだ。ぐっと力を込めると、押し返してくる弾力がある。


「勃つのか」


 笑いの衝動のままに、声を上げる。返事はなかった。


「何とか言えよ」


 まるで剣を握るみたいに、無造作におれは力を込める。びくりと奴の身体がふるえた。ほんの少し力を弱めてやる。そのかわり、ねっとりとてのひらを上下させた。ぬちり、と、粘液の音がする。


「おもしれぇ奴……」


 裏筋に舌をはわせ、鬼頭をくわえる。口中、揺れるものを歯でこすりながら、奴の顔を見下ろした。


 固く目を閉じた顔は、恐怖に彩られているように見えた。あきらめたか? と、おれはたずねる。押さえつける力は弱まっているかもしれないが、今おれは奴の急所を手中にしている。奴はただ震えていた。助けて欲しいか、と。さらにおれは聞く。奴は答えない。おれは笑う。奴の急所を握る手を離し、腰を抱えた。今度こそすきだらけだったはずだが、暴れるそぶりはなかった。


「いい子だ。……おれのものになるなら、命だけは助けてやってもいい」


 尻たぶの間に先走りを塗りつけながら、おれは言った。うっすらと奴は目を開く。ぴくりと股間のものが揺れた。唇が震える。だが、声はない。


「ああ、本当だ。本当だとも――だからこれは、儀式ってやつだ。てめぇは、おれのもんだって、その身体に刻みつけてやる」


「……貴様の」


「ちげぇだろ! オマエは、目上の相手をどう呼ぶんだ」


 すぼまりに押し当てた先端を食い込ませながら、おれは言った。ああ、と、奴は声をあげる。そして。


「あ、主……」


「そうだ。最初からそう言え」


「……は……今から、精を……」


「そうだ、腹一杯にそそぎ込んでやる」


「精を……受け……」


 途切れ途切れの言葉のあと、不意に奴の口の端があがった。


「私のものになるのだな」


 深い闇色の目が、おれを捕らえる。ぞくり、と。背が震えた。悪寒のままにおれは身体をひこうとした。だが、果たせない。伸びてきた奴の手が俺の腕を捕らえているからではない。


「あ、あ……」


 奴のすぼまりにおしあてたおれのものが、飲み込まれていく。悪寒と恐怖で縮みあがるはずのおれのものは、ただよだれを垂らし、奴のテリトリーへとひたすらに入り込もうとしている。


「貴様!」


「目上の者をどう呼ぶ?」


 優しく、奴の手がおれの身体を巻く。ずぶずぶとおれのものが、奴の中へと吸い込まれていく。全部はいったところで、我知らずおれは身体を揺すった。奴は声を上げる。腹の奥の熱が吸われていく。手足が冷たくなり、頭が朦朧とする。だが、股間のものだけは、まるで別の生き物のように熱を持ち、いきり立っている。

 腰を引いた。逃げられたのではない。すぐに、つきいれた。


「――」


 奴は声をあげる。おれもまた、声をあげていた。ああ、ああ、と。情けない声を上げながら、おれは腰を振る。出ている。明らかな射精の感覚がありながらも、おれのものは萎える様子もない。

 身体から出ていくのは精液だけではない。魂とでも言うべき、形なくも人を形作る大切なものが、流れだしていくのがわかった。


 不幸な子供が川に流された。見つかったとき、その子供とはわからぬほどの姿だった。ふくふくとしていた手が足が枯れ枝のようにやせ細り、皮膚をたるませていた。だが、老人のごとき様相となった顔は、子供にあるまじき淫靡な笑みを浮かべていたという。黒の森の恵みを取りに行った娘は、獣に食い荒らされた姿で帰ってきた。食い荒らされたのは、死後であったという。新妻は自らの乳房をもみしだきながら床を抜け出し、歓喜の声をあげた。――その後、それらの原因たる魔王を追った勇者は――。







 目を開けたとき、真っ先に見えたのは月だった。森の木々の間から降り注ぐ白光が、おれを照らしている。


 幾度か目をしばたかせると、視界にもう一つ月が現れた。いや、月光を思わせる美貌が視界に入った。彼は目を細め笑っていた。


「なぜ、生きてる」

「どちらが?」


 おれはゆるゆると首を横にふった。


「残念ながらね、生きてはいないかもしれない」

「そうか」


 てのひらを握り、開く。いくらか動きが鈍いような気がしたが、徹夜明け程度の違和感だ。おれは、自らの姿を探った。森に入る前とほぼ変わらないように見える。ナイフを抜いた。


「なぜ、おれは動ける」


 彼の髪がほんの少し揺れた。頷いたか笑ったか。どちらでもよかった。おれは地面を蹴り、そのまま距離を詰める。


 右手でナイフを喉につきつけ、左手はもう一本のナイフに添える。動きが止まった。動けなかった。恐怖でも束縛でも強制でもなく、ただ当然のことだった。


「そういう、ことか……」


 おれはそのままずるずると、地面にひざをつく。ひざまずき、彼を見上げる。そして、彼の服に手を伸ばした。


 ひきさいて、はぎ取ったはずの黒衣は元に戻っていた。別の服なのかもしれなかった。おれは、彼の服をかきわけ、だらりと力ない彼のものに顔を寄せた。おそるおそる、てのひらでふれる。おしいただくようなこころもちで、舌をのばした。


 彼のてのひらが、おれの顔に触れた。許可を与えるかのようなその動きに安心し、おれは彼のものを舐めはじめる。


「……はふ……う……んっ……は……」


 ぎこちない口淫をとがめることなく、彼は優しくおれの髪をなぶる。


「魔王にね、なろうかと思う」


 おれは、彼のものをくわえたまま、彼を見上げた。彼は笑みを深め、おれの耳の後ろを、まるで犬か何かにするみたいにくすぐる。


「正確には、なろうと思ってなれた、かな。やってみたら、できた」


 口の中、彼のものは穏やかに熱を持ち始める。君のおかげだ、と。そういって、彼は笑った。


 どういうことだとか、いつからなのかとか、だから抵抗しなかったのかとか、罠だったのかとか、言うべきことはいくらでもあった。だが、どれもどうでもいいことだった。口の中のものに対する適切な力加減と、てのひらをどうすればいいかのほうがずっと重要だった。


 たらたらとこぼれる涎を指に絡ませ、柔らかな袋をなぶる。茎に、先端に、思いのたけをこめ、幾度も口づける。根本の草むらを唇ではみ、ほおずりする。一定の熱はもっているものの、欲望の発露というにはほど遠い。そのことが、ひどく哀しい。


「さあ。満たしてくれるんだろう? 腹一杯に」


 自らがかつて口に出した言葉をなぞられ、おれは赤面した。なんという言葉を口にしてしまったのか。嫣然と彼は笑んでいる。てのひらのなか、彼のものが動いた。じわりと先走りが滲むのがわかる。ああ。おれは歓喜の声を上げる。


 お情けを、と。目上の者に対する呼びかけとともに、そう口にしたのは、彼ではなくおれだった。


fin

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偽物 あがり諾子 @tneko

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