淡くて、でもカラフルな虹

川線・山線

第1話 淡くて、でもカラフルな虹

休日の昼下がり、いつも私の胸に入れている携帯電話が鳴った。勤務先の病院から渡されている、緊急連絡用の携帯である。


「はい!山下です!」

「山下先生、在宅部です。先ほど、先生が診ておられた中野さんのお宅から連絡があり、呼吸が止まったそうです。今から病院に来ていただけますか?」


そうだ。今日は在宅の宅直だったんだ。すっかり忘れていた。


私の職場は病床が50床の小規模な病院である。地域に根差す病院として、入院、外来と、訪問診療に力を入れている。最近は厚生労働省からの指導もあり、「在宅での看取り」が推奨されている。


小さい病院なので、当直医は一人で十分なのだが、医療法では、病院内には常に医師がいなければならない、と定められている。なので、訪問診療を行なっている患者さんが亡くなった時(急に容態が悪くなった時は、救急車で当院に来るか、適切な高次の病院に搬送となる)は、病院の当直医が「死亡確認」のために病院を離れることができない。


なので、交代制で「宅直(簡単に言えば呼び出し当番)」を決めて、何かあった時には「宅直医」を呼び出す、ということになっている。「宅直」という呼び方は、医療の世界では一般的で、「病院に滞在せず、自宅や近所に出かけることはできるが、呼び出されれば速やかに病院に向かうことができる状態でいる」ことを指している。今回の私のような訪問診療の場合もあれば、外科系の先生であれば手術の際に「助手」が必要なので、「助手」は「宅直」としている場合がほとんどである。


妻に声をかけた。


「ごめん、今病院から呼び出しがかかった。ちょっと病院に行ってくるわ」

「お休みやのに大変やね。行ってらっしゃい」


急いで服を着替えて、ネクタイを締める。チャチャッと髪を梳いて寝癖を直し、車に乗って病院に向かった。


中野さんは、5年ほど訪問診療を行なっていた方だ。先日100歳の誕生日を迎えたばかりである。訪問診療のきっかけは、足腰が弱ってきて、通院が辛くなったからだった。80代のころに脳梗塞を発症し、一時は左半身の軽い麻痺があったが、リハビリで問題なく動くようになっておられた。その後から、血圧の薬と、抗血小板薬を開始されていた。その後は病気らしい病気もせず、通院されていたそうだ。ちょうど私がこの病院に来た頃までは、月に1回来院されていた。ただ、さすがに95歳となってくると、お一人で通院は厳しくなっており、息子さん夫婦や、お孫さんに連れられて受診されていた。


「山下先生、もう私も足腰が弱ってきて、病院に来るのも一苦労ですわ。いつも、息子や孫の手を煩わせて、申し訳なく思っているんです」

「なるほど、そうですか。もしよければ「往診」という形で定期的におうちに伺って診察することもできますよ。在宅部の方からお話をしてもらいましょうか?」


ということで訪問診療に移行した。これは言葉の定義だが、訪問する日程があらかじめ予定されていて、予定通りの日におうちに伺って診察するものを「訪問診療」、予定外の日に患者さんの依頼でおうちに伺って診察するものを「往診」という。


中野さんの訪問診療はいつも穏やかな雰囲気が漂っていた。中野さんご自身の性格もあり、ご家族も中野さんに穏やかな愛情を持っていることが感じられた。日々の何気ないお話を伺い、お身体の診察をして、処方箋を作成する。インフルエンザの流行前にワクチンを接種したり、時に熱が出た場合には「往診」で血液検査を行なって、薬を処方したりもした。


私にとっても、中野さんにとっても、5年という時間は十分に長かった。私も体力に少し自信がなくなって来たし、中野さんも徐々に弱ってこられた。食事量も減って来たし、屋内をスタスタ動いておられたのが、伝い歩きになり、車いすを使うようになられ、そして、ベッドで寝ている時間が長くなってきた。


「先生、おばあちゃんの状態はどうですか?」

 

とご家族が聞いてこられることが増えた。


「お身体の診察では、特に「ここが悪い」ということもないです。定期的に血液検査をしていますが、年齢相応の変化だと思います。細かな病名を付けようとするといくつもつけることができますが、大きく『老衰』ととらえたほうがわかりやすいとおもいます」


とお話ししていた。


先週の訪問診療の時は、もうウトウトされて、声をかけても、「はい…はい…」と返すのがやっとだった。


「もうすぐ、その時が来ると思います。いつそうなってもおかしくないと心づもりをしておいてください」


とご家族にお話ししていた。


そんなことを思いながら、病院に車を走らせた。空模様は天気雨。お日様が照っているが、雨粒が窓ガラスにあたる。ワイパーもそれなりの速さで動かさないと見づらいほどだ。


病院に着き、「お医者さんセット」をポケットに入れている白衣を着て、聴診器をもって「休日のだらけたおっさん」から「医師」に変身した。事務当直の方にタクシーを呼んでもらい、私が道案内をして中野さんのお宅に向かう。タクシーに待っていてもらって、入り慣れた中野さんのお宅にお邪魔する。


「こんにちは。元畑町病院です」

「あぁ、先生。おばあちゃんが…」


入り慣れた部屋で、中野さんは静かに休まれていた。中野さんの周りでは、ご家族が涙を流しておられる。


「中野さん。こんにちは。山下です。お身体を診察させてくださいね」


と声をかけて、瞳孔を診察する。


「ちょっとまぶしいですよ」


と声をかけて、対光反射を確認する。瞳孔は散大。対光反射は認めない。


「胸の音を聞かせてくださいね」


と声をかけて胸部の聴診をする。お身体も冷たくなってきている。もちろん心音も呼吸音も聞こえない。


「ちょっと首を触りますね」


と声をかけて頸動脈を触れる。拍動を触れない。


そして、口元に手を近づけ、自発呼吸がないことを確認した。


「今、お身体を診察しました。瞳孔の反射もありません。頸の脈も触れません。心臓の音も、呼吸の音も聞こえません。呼吸も止まっています。死亡と診断します」


とご家族に厳かに伝え、中野さんに向かい、優しく肩を叩いて、


「中野さん。お疲れさまでした」


と伝え、しばらく合掌する。


家族の誰かが亡くなるとき、それはやはり「特別な時」である。特別な時間を演出するためには、どうしても多少「儀式的」な所作になってしまう。これは致し方なかろう。


私の宣言でご家族は少し涙を流される。少し時間を置いて、今度は「事務的」な話をしなければならない。「死亡診断書」がなければ、中野さんのご遺体を動かすことができないのだ。


ご家族に 


「今から病院に戻って、死亡診断書を作成します。葬儀屋さんが来られても死亡診断書がないとお身体を動かせません。ご家族の方が、中野さんの息が止まっているのに気づいたのは何時くらいでしたか?」

「確か、午後3時過ぎくらいです」

「では、午後3時5分を死亡時刻とします。死亡病名は以前からお伝えしていたように『老衰』とします。今から病院に戻って、死亡診断書を作成するので、30分ほど後に、病院に取りに来てください」


と伝え、お宅を後にし、待ってもらっていたタクシーに乗って病院に戻った。


休日の薄暗い診察室の机で、死亡診断書を作成し、事務当直の方に書類と、往診の内容を記載したカルテを渡して、一旦お仕事は終了。医局で着替えて、自分の車に戻った。


やはり天気は変な感じで、自宅の方角には分厚い雲が、後ろからは明るい日差しが差し込んでいて、フロントガラスには小さな雨粒がバラバラとぶつかっていた。


ふと視線を上に向けると、少し淡い感じで虹が出ていた。


「あっ、虹が出ている」


と思う間もなく、虹は消えてしまった。


中野さんはあの虹を渡って、あちらの世界に旅立っていったのだろうか?あの淡くて、でもカラフルな虹の橋を。

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淡くて、でもカラフルな虹 川線・山線 @Toh-yan

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