最初で最後の色

沢田和早

最初で最後の色

 幼い頃から彼の目は少し変わっていた。他人には見えない色が見えるのだ。

 その事実を認識できたのがいつだったのか、彼自身もはっきりとは覚えていない。成人した今、ぼんやりと思い出せる一番古い記憶は彼が幼児だった頃の出来事だ。テレビのリモコンをいじって遊んでいると母親に叱られたのだ。


「こらこら、リモコンはおもちゃじゃないんだよ。それにそれはテレビに向けて使わないと意味がないでしょ」


 母親は呆れていた。彼はリモコンでテレビを操作していたのではなく、庭に向けてボタンを押しまくっていたのだ。


「えー、でもこれ面白いんだもん」

「ボタンを押すだけで何が面白いの」

「ボタンを押すと光線が発射されるから武器みたいで面白いの」

「光線?」


 もちろんそんなものは出ていない。きっとリモコンを想像上の光線銃に見立てて遊んでいるだけなのだろう、母親はそう思った。


「とにかく電池がなくなるからやめなさい。おもちゃの銃が欲しいのなら父さんに頼んで買ってもらいなさい」

「はあい」


 彼はリモコンで遊ぶをのをやめた。しかし彼の目には確かにリモコンから発射される光が見えていた。それは赤い色をもっと赤くしたような色の光だった。


 同じような現象はそれから何度も起きた。エアコンのリモコンは言うまでもなく、熱したセラミックのフライパン、電源をオフにした直後のハロゲンヒーターなどからも同じ色の光が見えていた。そしてそれは彼だけに見えて他の者には見えていないこともわかった。


「赤外線って言うのか」


 小学校の高学年になった頃にはその色の光の正体はすでにわかっていた。赤外線……普通の人間の目には見えない光線だ。それは赤色をさらに赤くした色をしていた。だがその色の名前はない。


「赤外線の略語はIRか。だったらこの色はIR色と名付けよう」


 色の名を付けたところで彼以外の者にとっては何の意味もない。だがIR色を感知できる者には意味がある。夜行性の蛇は赤外線を感知できるビット器官を備えている。彼らの脳もまた赤外線をIR色で認識しているのだろうか。彼はなんとなく自分が蛇になったような気分になった。


 中学生になると赤外線だけでなく紫外線の色まで感知できるようになった。

 ある日、100円ショップをぶらついていると、ある商品が目に付いた。ブラックライトペン。紫外線を照射して透明インクで書かれた文字を浮かび上がらせる玩具だ。


「おっ、見える」


 ペンから照射された光は紫色をしていた。これは可視光線だ。しかし彼には紫色とは明らかに違う色の光も見えていた。普通の紫をさらに濃厚にした色。きっとこれは紫外線の色なのだ、彼はそう直感した。


「紫外線の略語はUVか。だったらこの色はUV色と名付けよう」


 爬虫類、鳥類、昆虫、そしてトナカイは紫外線を感知できる。彼らが見ている色も自分と同じくこんなUV色をしているのだろうか。彼は自分がモンシロチョウになったような気分になった。


 やがて彼は高校生になった。成長期真っただ中の彼はさらに新しい能力を開花させた。切っ掛けは健康診断だ。胸部X線撮影に臨んだ彼は思い掛けない事態に遭遇した。


「はい、大きく息を吸って。はい息を止めて」


 診療放射線技師の指示に従ってパネルに胸をつけていると、ストロボのような閃光が背中から胸へと貫通していったのだ。


「こ、これは、もしやX線なのか」


 彼は赤外線や紫外線だけでなくX線の色まで感知できるようになった。その光はなんとも形容し難い色をしていた


「X線の色だからX色と名付けよう」


 彼の色彩世界は大きく変わった。この世は色に満ち溢れている。暗闇の中でも熱を帯びた物体はIR色に輝いている。陽射しが強烈な真夏の昼下がりはUV色に染まっている。何より感動的なのは虹だ。彼の目に映る虹は太い。赤色の外側にもIR色の帯が続き、紫色の内側にはUV色の帯が続いている。


「内側の方がよく見える感じがするな」


 X線は地球の大気でほとんど吸収されてしまうためX色の帯は見えない。だがもしX線より短波長の光が来ていればその色の帯も見えるのではないか、そんな予感が彼にはあった。


「両国の緊張は極限まで高まっております」


 彼が社会人になって数年が過ぎた頃、世界には険悪なムードが漂い始めていた。覇権主義を唱える大国が隣国に攻め込んだのだ。隣国を援助するためにもうひとつの大国が争いに参加し、世界情勢は悪化の一途をたどった。国際組織は必死になってこの争いを収めようとしたが、二つの大国はどちらも引こうとせず、ついに世界を二分する大戦へと発展した。


「おい、オレたちの国もヤバイらしいぞ」


 彼の住む国は軍隊を持たなかったが、片方の大国と同盟を結んでいため攻撃対象となる恐れがあった。誰もが戦争の行方を見守った。しかし和平交渉は遅々として進まない。開戦から一年が過ぎた頃、衝撃的なニュースが飛び込んできた。


「なってこった、核を使いやがった!」


 戦争を引き起こした大国が核兵器を使用したのだ。もうひとつの大国から報復のミサイルが発射される。世界中がパニックに陥った。


「どうなるんだ。この国にいても大丈夫なのか」

「逃げる場所なんかないよ。今や人類を何十回も滅亡させられるほどの核兵器があるんだから」


 突然サイレンが鳴り響いた。


「ミサイル発射。ミサイル発射。R国からミサイルが発射されたものとみられます。建物の中、または地下に避難してください」

「いや、もう手遅れだ」


 彼には見えていた。X色よりさらに短波長の光の色が。それは人類を終焉に導くに相応しい身の毛のよだつような禍々しい色をしていた。


「きっと核爆発によって発生したガンマ線の色なのだろう。ガンマ色、なんて怖ろしい色なんだ。こんな色、見たくはなかった」


 すでに核ミサイルは彼の国に着弾していたのだ。目を閉じてもガンマ線はまぶたを貫通して彼の視覚を刺激する。戦慄のガンマ色を見続けながら彼は深い絶望に陥った。だがそれも長くは続かなかった。核爆発によって引き起こされた灼熱の爆風が彼を襲ったからだ。


「もっと奇麗な色を見ながら逝きたかったな」


 最後まで感知していたガンマ色さえも見えなくなった。全ての色が消えて闇となった彼の意識は闇の色すら見えぬ底無しの深みへと沈んでいった。













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