常連の男の人は緑のインナーカラーを入れている

鳥羽ミワ

常連の男の人は緑のインナーカラーを入れている

 バイト先の喫茶店の常連さんは、クジャクみたいな髪をしている。


 私が出勤するのは平日二日、土日のどちらか一日。バイト先には私と同じ大学生が多くて、どこか気安い雰囲気があって、働きにくいわけではない。だから悪い職場ではない、と思っている。

 土日に出勤すると、必ずアメリカンコーヒー一杯で、昼から夕方まで居座っている男の人がいた。

 派手な赤い花の刺繍が入った白と黒のスカジャンを着て、髪の毛に綺麗な翡翠色のインナーカラーを入れている。机には難しい本を開いていて(英語で書かれているので何の本かすら分からない)、ノートには精緻な図形がたくさん描かれていた。

 ついでに、彼は骨ばって指の長い綺麗な手をしていた。

「こちらアメリカンコーヒーです。ご注文の品は以上でお揃いでしょうか?」

「はい」

 私たちの会話はそれだけだ。その人が動くたびに、襟足に緑の髪がちらりとのぞく。低い声が静かで、なんだかいけないものを見ている気持ちになる。

 その人は、コーヒーを置いた私をじっと見つめてすぐ目を逸らす。だんだんその人が私を見つめる時間が長くなってきているのは、きっと気のせいだ。

「アキちゃん、お疲れ」

「お疲れ様です」

 カウンターに戻ると、男性の先輩が私の肩に手を置く。私はやたらと距離の近いその人が苦手だけど、年上の相手に強く言うことは難しい。ましてやその人は人脈が広くて、バイト仲間から慕われていた。

「今度、一緒に映画に行かない? 俺、友達から今度公開する映画のチケット二枚もらったんだけど」

 ベタすぎて、思わず引きつった笑いが漏れた。それを好意的な反応と勘違いした先輩が「女の子って、こういうの好きでしょ?」と笑いかけてくる。

 ああ、面倒だな。視線を逸らすと、レジに置かれているベルが鳴った。

 あの緑のインナーカラーのお客さんが、伝票を持って立っていた。ひょろりと背の高いその身体が、レジ前に真っすぐ立っている。

「お会計、お願いします」

 低い声が、カウンターにまでしんと響く。助かった。はい、と慌てて飛んでいく。伝票を読み込んでいると、お客さんは「ベタですね」と囁いた。顔を上げると、彼は呟く。

「聞こえていましたよ」

「そ、うですか」

 恥ずかしくて思わず固まると、「いや、そういうことじゃなくて」とその人は頭を掻いた。ゆらゆらと頭を揺らすたびに、後頭部のインナーカラーが光る。

「ボクも映画、好きなんです」

 突拍子もない言葉に、はあ、と気の抜けた声が出る。それで……? と様子を窺う私に、お客さんは真剣な顔をした。その顔かたちが不思議と、店内の照明や背景から切り取られたように、はっきりと見えた。

「一緒に映画、行きませんか。チケット代とご飯代は持つので、ボクと退屈な思いをしてください」

 放たれたのは、あまりにも壊滅的な誘い文句だった。だけどそれが、この神秘的な男の人から出てきたことが、私にはめちゃくちゃ面白かったのだ。

 声を上げて笑い出した私を、お客さんと先輩がぽかんと見ている。周りの他のお客さんたちも、奇異の目で私を見ていた。

「あの、店員さん……」

 おろおろする彼が面白くて、すみません、と平謝りする。

「笑っちゃいけないときって、逆に笑いの沸点が低くなるんですよね」

「それは分かります」

 私は金額を告げる。お客さんは断られたと思ったのか、大人しくお金を支払う。

「インナーカラー、どうして入れているんですか?」

 私が尋ねると、彼はぱち、と瞬きをした。ああ、と、頷く。

「好きなんです。クジャクが。羽の裏が、緑色なんで」

「そうですか」

 自分の感じ方とお客さんの考え方が近いみたいだ。少し嬉しくてはにかむ。

「綺麗だから」

 彼がぽつりと言う様子が、私はなんだかとても美しく見えた。だから情熱的にも彼の綺麗な指先に自分の指先を触れ合わせ、「SNS、やってます?」と尋ねる。

「え、は、はい」

「これ、私のアカウントです」

 戸惑う彼に構わずレシートを発行し、裏にアカウントIDを書く。先輩が焦ったように「ちょっと」と言っているのが聞こえたが、どうでもよかった。ついでにこのバイトもやめてしまおう。お給料は悪くないけど、他にもっと気楽に働ける場所があるはずだ。

「今度、インナーカラー、よく見せてください」

 彼の頬がみるみる赤くなる。面白くて「ウケる~」と笑っていると、彼はむっとしたように顔をしかめた。

「笑っていられるのも、今のうちですよ」

 きゃあ、と悲鳴が漏れた。なんだかすごく恥ずかしいことをしている気持ちになってはにかむ。

「ボク、瀬崎智也って言います。あなたは」

「水瀬秋穂。アキちゃんって呼んでください」

「アキさん」

 彼は丁寧にそう言って、「覚えておいてくださいよ」と捨て台詞を吐いて立ち去っていった。今日はなんだかいい日になったな、とウキウキでカウンターに戻ると、「アキちゃん」と、先輩が睨んでくる。そんなことも全然怖くなくて、私は「バッシング行ってきます」とカウンターの外へ出た。

 瀬崎さんの飲んだカップを片付けて、厨房へと返す。先輩は「お客さんと関係を持つなんて」「どうせ連絡なんて来ない」といろいろ吠えていたが、休憩時間にスマホを確認したら、しっかり連絡が来ていた。

 その後、私はバイトをやめた。私と瀬崎さんはその後何回かデートを重ね、私たちは退屈な思いも楽しい思いもたくさんした。

 私が瀬崎さんのインナーカラーをよく見せてもらったのはだいたい六回目のデートだったのだが、思っていたよりずっと綺麗だった。

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