世界をあなたの望む彩で。

篠騎シオン

邪魔なんだ、色なんて

「それじゃあ、お願いします」


「はい。すぐ終わりますから安心してくださいね」


そうして、私は頭をすっぽりと覆う機械をかぶせられる。

このやり取りももう何度目だろうか。

暗闇の中に入ると、ちかちかしていた目がやっと落ち着いて、私は安寧を得る。


色なんてただただうるさいだけだ。

私には言葉だけあればいい。


言葉だけあれば、物語は紡げる。


「はい、もう終わりましたよ」


その声と共に顔を覆っていたものは外され、目の前には素晴らしい世界が広がった。


「効果は2週間程度ですので、存分に楽しんでくださいね」


この技術が確立されて、どれだけ私が幸せだったことか。

モノクロの世界で今日も幸福に生きる。


◇◇◇   ◇◇◇   ◇◇◇   ◇◇◇


私は小さいころから、いろんなものに過敏な体質だった。

嗅覚、触覚、聴覚、視覚、味覚。

どれをとっても良すぎるほど敏感で。

違いを感じられるのは物語の糧にはなったが、その情報量は到底私の頭で処理しきれるものではなくて、世界に私は適応できなかった。

私は外に出かけるたび、吐いた。家からたった一歩出るだけで、だ。


だからもちろん学校にも行けず、私はモノクロで統一された家具と挿絵や表紙の取り除かれた本と共に生き、育った。

白い世界に浮いている黒い文字たちは、私の心を救ってくれた。

本の世界が私の平穏のすべてだった。


生活は辛い。

食事は食物をミキサーで混ぜたものを中身の見えないパウチに入れてもらい、それを懸命に流し込んだ。本当は敏感すぎる味覚や嗅覚のために、食事も単一の味のないものにしてほしかったのだけれど、当時のうちの財力ではそうもいかなかった。

私の感度では世界には刺激が多すぎた。


けれど数年経過し、科学は進んで、そして私の財布は潤った。

文字を学習した直後から書き貯めてきた私の紡ぐ物語は、それはもう世界中で評価されている、らしい。

私はファンに直接会ったことはないし、両親のその言葉を信じるしかないのが、私の生活にかけられるお金が増えたことからもその言葉はある程度本当なのだと思う。私の個人カードの権限グレードもそれを示している。

今では、食事は望む通り味も匂いも気にならないが栄養のたっぷり入ったゼリー状の液体を飲むことが出来るし、音は特殊なシリコンで作成した耳栓で気にならない。

高性能マスクに、体をすべて包み込む特殊素材のスーツ、嗅覚も触覚も外出に気にならないほどにそれらは私をうまく鈍らせてくれている。


ただ視覚、色だけはどんな工夫をして、どんなにお金をかけても十分に良くはならなかった。サングラスをしても、特殊なコンタクトレンズをはめても、何もかもがダメ。色の情報が脳内を埋め尽くして、吐き気を催す。

調べ物をしているときに、色に文字情報があてはめられていると知ったのもよくなかった。私の頭の中では入ってきた色情報が様々な形式で文字情報に変換され、見ている景色に重なって見える。

昔より抱えている情報の種類が少なくなったおかげで即座に吐きはしないが、気持ち悪くなるのは正直苦しい。


けれど、ある時出会った、奇跡の技術に。


『世界をあなたの望む彩で。』


それは最新の科学技術。

人間の色覚をつかさどる脳の部分と網膜の一部分に干渉し、望む色彩で色を見ることが出来るという触れ込みの技術。

最初は色弱や色盲の症状改善のために開発されたそれは、いつの間にか一般化され、誰でも簡単に施術を受けることが出来るようになった。

大抵の人は、世界を鮮やかにして新鮮味を味わったりすることに使うらしいが、私はもちろん違う。


白黒の世界を私は悠々と闊歩する。

そうして私はそれでも刺激がたっぷりの世界で、物語の種を探すのだ。

町中を事故もなく自動運転で走り抜けていく丸いカプセル型の車たち、私と同じ全身スーツを着てその上に好きな服を映し出している人々、空中にたくさん浮かぶ広告の数々。

白黒で刺激が少ない今なら、ネット上で交流のあるファンの人と連絡をとることも出来るのかもしれない。

色のない幸せを噛みしめながら、私はその時間を目いっぱい楽しむ。


◇◇◇   ◇◇◇   ◇◇◇   ◇◇◇


4日。

私の世界に色が戻った。

効果は永遠じゃない。

でも短すぎる。

2週間と言ったのだ、あのクリニックは。

詐欺で訴えることも考えたが、そういうわけにもいかない事情がある。

私に施術をしてくれるクリニックはもう数少ない。

安全性が保障されているのは数回まで。

そう言ってもうどこも請け負ってくれないのだ。

もう100にも近い回数、この救いを求めている私は、いけない人間なのだろうか。


◇◇◇   ◇◇◇   ◇◇◇   ◇◇◇


そこから3日。

色の激しい世界についに耐えきれなくなった私は、あのクリニックへと向かう。

この世界を知ってから、施術を受けていないときの辛さがより増しているように思う。

今日なんか、家を出てすぐ数度吐いてしまった。

だから、私は救いを求める。

そう、救いなのだ。


「だから、あなたには義務がある。

その力を持っている、あなたは私を救わねばならない」


……クリニックの中でそう怒鳴った。怒鳴る自分の声はいつもより反響して、耳の中でぐわんぐわんと響く。

私がこんなに必死に訴えかけているのに、目の前の女は首を縦に振らない。

毒々しい口紅が嫌に目につく。

光が私の目を閉じさせようとしてくる。

吐き気と頭痛が増す。

耐えかねた私は、クリニックの通信を自分の権限を使って強奪し、覚えている父親の番号にコールする。

世界は変わった。今やすべてに、お金や権限がものをいう。

今の私の財力で、父は何でも願いを叶えてくれるのだ。


「父さん、〇〇クリニック買収して。私のお金、あるでしょ。今すぐ」


その願いは一瞬で聞き入れられる。

電子的にその建物は私のものになり、すべての機材のアクセス権限を得る。

この女も、もう私のものだ。

人の心もお金と権力次第。長年の厳しい教育と科学のたまもので、世界はそう回っている。


「一番強く設定してくれる? もう2度と色のある景色を見れなくてもいいから」


「はい」


暗めの顔で彼女はうなずいて、機材の操作を始める。

しばらくして準備が完了したのか、彼女は例の頭をすっぽり覆う機械を持ってくる。

けれど彼女は私にそれをかぶせてこない。

どうしたのかと見ていると、彼女は唇をぐっと噛みしめている。

そこから出血した赤が、さらに毒々しい。

良心の呵責で、お金の力に耐えているのだろう。

大した精神力だ。

この世界で施術医なんて仕事をしているだけある。

けれどももう、昔とは違うのだ。

私はつなぎっぱなしだった通信を使って、父に命じる。


「この人の年収の4倍分プッシュして」


そう言った瞬間、彼女はがくがくと奇妙な動きをしたのち、しっかりとした動きを取り戻し、滑らかな動作で私に機械をかぶせてくれる。


ああ、これで。

私は救われる。


「それじゃあ、お願いします」


「はい、すぐ終わりますから安心してくださいね」


また、その言葉を繰り返す。

そして、私は自由の世界に――達するはずだった。救われるはずだった。

目の前に広がるのはただただただただ暗闇。

黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒。

光がない。


言葉も聞こえない。


「なにこれ。なんなの」


頭を振っても何も見えない。

何も聞こえない。

おかしいおかしい。

感覚が全部ない。

今までうるさいほどに響いていたすべての感覚が。

どこかに行ってしまった。


怖い。


何も感じないのがこんなに怖いなんて。


頭の痛みすら感じない。

平衡感覚がない。

自分がしゃべっているのかどうかすら、わからない。


でも私は叫んだ。


「戻して、元に戻して」


世界が止まる。

黒すら認識できなくなって。

ただただ苦しくって。

自分が瞬きをした、何故かそう感じられた瞬間。

世界はすべて白へと変わった。


「大丈夫ですか?」


慌てたように私に誰かが声をかけてくるのが聞こえる。

あの施術医だろう。

音と手触りと匂いが戻ってくる。

口の中から血の味がした。味覚も戻っているらしい。


けれど世界は白いまま。

ただただ、白くて何も見えない。


「ああ、私……」


救いを求めるあまりに、失ったんだな。

そう気づいた。


静かに目を閉じても、世界は白いまま。

ずっと私はこの白にとらわれて生きていくらしい。


涙がこぼれる。

静かに、泣いていると。

白の中に現れるものがあった。

くねくねと、泳ぐ黒色の何かは。


やがて、文字を形成する。

今の私を評して。

白色の中で黒文字が泳ぎ、言葉が浮かびあがる。


『白い世界は、旅路の始まり』


強欲の上に失って、でもまた、世界は私にチャンスをくれるらしい。


ふっと口から笑みがこぼれる。

私は、この彩とともに生きていこう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界をあなたの望む彩で。 篠騎シオン @sion

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説