バザール

月夜野すみれ

バザール

「この子、可愛い。いくらですか?」

 少女が訊ねた。

 ここはバザールが開かれている通りである。

 露店の連なる道の端で、敷物の上に置かれた箱の中に白い子猫が一匹入っていた。


「売り物ではない……他の猫なら譲れるがこの猫はダメなんだ」

 と言っても箱の中にいはこの猫しかいない。

「そうですか……」

 少女はがっかりした表情でそう言うと去っていった。


「なんで、売らなかったんだ? 買い手を探してたんだろ」

 隣の露店で店番をしていた男――絵描きが責めるような口調で言った。

「買い手ではなく貰い手だ」

「なら――」

「あの子は優しい娘だろう」

 名前は知らないが時々見掛けるから顔だけは知っていた。


「そうだけど……あ、もしかして優しい人にムカつくタイプ?」

 絵描きも学者も少女も、互いに話をしたことはないが顔見知りだ。

「なわけないだろ。優しいなら猫が死んだら悲しむだろう。この猫は早死にする」

「そんなこと分からないだろ。あ、もしかして、自分が殺しに行く気とか……」

「なわけないだろ。人を鬼みたいに言うな」

「じゃあ、占い師?」

 でなければ早死にするかどうかなど分かるわけがない。

「学者だ」

「…………」

 絵描きは呆れた表情で学者を一瞥いちべつした。


「……この猫には色がない」

 自称学者は、絵描きが納得していないのを見ると付け加えた。

「いや、あるだろ。白だって立派な色だ。絵だって白い絵の具を塗らなきゃ白くはならないんだから」

 絵描きは自分の鞄から白い絵の具の顔料を取り出して見せた。

「この猫は白猫じゃなくてアルビノだ」


 猫の体毛は親から子へ伝わる。

 そこに法則性があるのだが、唯一の例外が全身が白い猫なのだ。

 白猫だけは鬼子のように法則から外れた出方をする。


 学者の祖父は猫の体毛の研究で論文を書こうとしていたものの、どうしても白猫が生まれる法則だけが見付けられなくて断念した。

 ある時、冒険家の手記を読んでいた学者は祖父が研究のために付けていた日誌のことを思い出した。


 そこには白い熊の話が載っていた。

 北の方にいる熊だ。

 熊でも狐でも蛇でも稀に白い個体が生まれることがある。

 だが、そこの熊は白しかいない――つまり突然変異ではなく先祖代々白い色をしているのだ。


 それを読んだ学者は白い猫は二種類あるのではないかと考えた。

 北の熊のように白くて当然の白猫と、狐や蛇のように例外的に生まれる色のない猫。


 そう考えて祖父の手記を調べ直すと、目の色が青や黄色の白猫が生まれた時は両親とも白猫ではないと言いきれないのだ。

 片親が白猫なら子供が白猫でも不思議はない。

 そして絶対白猫と交配していないと断言出来るにもかかわらず生まれた子猫は目が赤い(ことが多い)。


 狐や蛇から稀に生まれる白い個体――アルビノも目が赤い。

 白い猫とアルビノは別なのだ。

 だとすれば白猫は法則から外れているわけではない。


「そうだとしても白に違いはないだろ」

 絵描きがそう言うと学者は広場の噴水を指した。

「水は透明だから黒いグラスに入れれば黒く見えるし赤いグラスに入れれば赤く見えるが、水が黒や赤なわけではない」

「なら毛が透明だからその先の白い色が見えてるって言うのか?」

 毛の先というのがなんなのかは知らないが。


「まぁ体毛の場合は布に違いだろうがな」

「布?」

 絵描きは訳が分からず眉をひそめた。

「染めてない布はああいう色だろう」

 学者は通りの向かいの露店で売られている布を指した。

 布は生成きなり――染めていない状態だと薄い黄色に近い色をしている。

 染色することで色が付くのだ。

 白も含めて。


「白い熊や親が白い猫は染料で白く染めた状態。ただ猫の毛は元が染めた白と近い色なのだろう」

 だから同じ白に見えるのだろうと学者は言った。

「…………」

 絵描きは呆れながら学者の話を聞いていた。

 先年亡くなった学者の祖父は変わり者として有名だった。

 町外れにある屋敷の中には大量の猫を飼っていたので猫屋敷と呼ばれていた。


 あの猫達は研究のためだったのか……。

 なんてヒマな……。


 大量の猫と遊んでいるだけで暮らしていけるのだから羨ましい身分だ。

 絵描きだって一日中絵を描いていられるなら描いていたい。

 けれど金を稼がなくては筆も絵の具も買えないし、何よりメシが食えないし家賃も払えない。

 だからこうして市場の露店で売り子をしているのだ。


「ただ、どちらの白猫も身体が弱いんだ。この子猫もきっと長生き出来ないだろう」

 ずっと猫の研究をしてきた学者の孫が言うならその通りなのだろう。

 家畜というのは大量に飼うものだし、世代交代が早い。

 そのため、別に研究しているわけではなくても経験的に分かるようになるものだと親戚の牛飼いが言っていた。


「それは?」

 学者が絵描きの売り物が入っている箱に目をくれる。

「球根だよ」

 絵描きはそう答えて時計塔の壁を指した。

 そこには色とりどりのお椀型の花の絵が描かれていた。


 あの花はこの国の代表的な花だが、元は遠い東の国から伝わってきた花である。

 一時期この花に熱狂した人達が買い求めたため球根一個にすごい金額がついた――らしい。

 だがこの花は球根が分かれることで増える。

 そのため同じ花はいくらでも増やせるのだが同じ球根が分かれたものは基本的に同じ形と色の花しか咲かない。


 運が良ければ違う色や形のものが咲くことがあるらしい。

 高い値段が付く代わった花が咲いたらその球根を増やすのだ。


「運ではない」

 学者が言った。

「え?」

「それは病気で色が変わったのだ」

「…………」

 どうやらこの学者は〝自称〟ではないらしい。


 そうなのだ――。


 球根から増えたにもかかわらず違う色や形になったものは、ある時突然枯れて全滅することが良くあった。

 そのとき近くに植わっている花まで一緒に枯れたりしていたから病気ではないかと言われていたのだ。


「球根というのは言わば分身だからな。違う色や形のものを咲かせたいなら交配で他の花の血を入れなければ違う子供は生まれない」

「花に血は流れてないだろ」

 絵描きが突っ込むと、

「意味は分かるだろ」

 学者は肩をすくめた。


「けど、あの花は種が出来ない」

 絵描きがそう言うと、

「出来ないのではなく、出来づらいだけだ。球根で子孫を増やせるならわざわざ種を作る必要はないからな」

 学者が答えた。


 やはり知っているのか……。


 そう、種が出来ないわけではない。

 ただ受粉しづらい上にようやく種が出来ても、それを畑に蒔いてから花が咲くまでに最低数年、場合によっては十年以上かかる。

 品種改良というのは花という結果を見て、別の品種との交配を試して、という試行錯誤の繰り返しなのだ。

 この花は一世代に人間並みの時間が掛かるから新品種を作るのに何年も掛かる。


 そうやって時間を食っているうちに人々の熱狂は薄れ、興味の対象は他に移ってしまった。

 流行っているのを見て自分も一儲けしようと考えた者は多かったのだが元手が回収出来ずに破産した者もいたくらいだ。

 しかし花は綺麗だから今でも作っている人はいる。

 元々球根で儲かったのは農家の人間ではないからだ。


   *


「スニール」

 学者が餌を皿に入れて猫を呼んだが来ない。

 まぁ腹を空かせれば食いに来るだろう。


 あの白い子猫――スニールは成猫とほぼ同じ大きさに成長していた。


 学者は出掛けるために家を出た。


 角を曲がると以前市場で子猫(スニール)をほしいと言った少女がスニールと遊んでいた。


「あ! ご、ごめんなさい。私、引っ越すからお別れを言いに……」

 少女が慌てたように立ち上がる。

「気にしなくていい」

 そう言ってスニールを見下ろした。

 スニールはもう子猫ではない。

 子猫だからと言う理由がなくなっても可愛がっているのなら〝子猫〟や〝猫〟ではなくこの猫スニールが好きなのだろう。


「この猫は長生きしない。それでも欲しいか?」

「え……頂けるんですか?」

「他の猫より早く死ぬぞ」

「ならその分いっぱい可愛がります!」

 そんな少女だからこそ猫が死んだら悲しみが人一倍なのではないかと思ったが、それでも学者は彼女に猫を渡した。


 長く一緒にいられさえすれば幸せというものでもない……。


「ありがとうございます! 大事にします!」

 少女は嬉しそうな表情で子猫を胸に抱いた。

「スニールって言うんですね」

「あ、いや、君の好きな名前を……」

「スニールってどういう意味なんですか?」

「……スニールじゃなくて……スチャスティ。北の国の言葉で『幸せ』だ」

「ありがとうございます!」

 もう一度礼を言うと少女は猫を抱いて去っていった。


 別にスニールが不幸な名前というわけではないが、それでも――。


 君達に幸あれ――!

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