いつまでもいろあせることのない

秋乃晃

「じいちゃん! ここに描いてある女子高生って誰?」

 桐生きりゅう悟朗ごろうには三分以内にやらなければならないことがあった。二学年上で現在高校二年生の夏芽かが早苗さなえがもうじきこの部屋に参上する。その前に片付けなければならない。現状は足の踏み場もなく、惨状の二文字であらわしても差し支えないほどだ。全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが通過した後のような状況を想像してほしい。


 昨日のうちから予告されていたのだから、帰宅してからすぐに取りかかればよかったものの、自室の掃除よりも優先しなくてはならない事項があった。バレンタインの返礼品がない。バレンタインにギフトをもらったのだから、そのギフトの三倍のものを返さねばならないのがでのルールである。郷に入れば郷に従え、との格言もある。三倍にしなくとも、いただいたものをもらいっぱなしなのは気まずい。


 思えば先月のバレンタインデーには特大サイズのチョコレートを兄たちの目の前で渡された。早苗が帰宅したあとに(特に、早苗と同い年の四男から)やんやと囃し立てられて、うんざりとした覚えがある。悟朗への本命と、兄たちが受け取った義理とでは箱のサイズが、ルービックキューブとブラウン管テレビほど違っていたのがよくなかった。


 プレゼントされるのはうれしいのだが、こっそりと贈ってほしいものである。大きさが大きさなのでこっそりと贈られたとしても見つかるのは時間の問題であるが、それにしてもだ。兄たちだって、この村一番の美女と名高い早苗を好いているのだから。


「おじゃましまんぼう!」


 想定より早い。とりあえず、床に散らばっているものを隅っこに追いやって、早苗が座れそうなスペースを確保する。


「早苗ちゃん、今日は大荷物ネェ」

「学校のみんなからのお返しでぇす! 早苗一人で食べたら太っちゃうので、悟朗さんにあげます!」

「あらあら」


 母さんよ、そのまま早苗と三十分ぐらい立ち話していてはくれないか。悟朗は天に祈ったが、その祈りが天まで届くよりも先に「来ちゃった!」と左手にペーパーバッグの持ち手の二つ分を握った早苗が襖を開けた。早すぎる。


「コンバンハ……」


 結局、何も準備できていない。挨拶も片言になってしまった。早苗が神佑高校のブレザーを着たままなのは、下校してすぐに桐生家に直行したからだろう。校門に迎えの車を待たせて、小一時間。


 この村から神佑高校までを平日毎日送迎するのは現実味のない距離なので、早苗は神佑高校に近い場所に建っているワンルームのマンションで一人暮らしをしている。住宅の内見へはなぜか悟朗も付き合わされて、五部屋ほどを練り歩いた。こうして村まで帰ってくるときには、迎えの者を用意する。


「じゃじゃーん。みんなからのホワイトデーのお返しなのよさ! ……悟朗さん、好きなのもらっちゃってーな。お兄さんたちには、はなさないでねっ」

「これらは、神佑高校の皆さんが『早苗に』と用意してくれたものでは?」

「あたしが受け取ってあたしのモノになったんなら、あたしがどうしようといいじゃんか。若いんだから遠慮しないでよおー」


 若いんだから、とはいえ、悟朗と早苗は二学年しか離れていない。悟朗は中学三年生で、この村から歩いて通える距離の公立の学校に通っている。先ほど漏れ聞こえてきた桐生家の母君との会話の内容からして『食べきれない』というのが本音だろう。


「――む」


 早苗は開きっぱなしになっているクロッキー帳に目ざとく気付いて、床の見えている場所を飛び石のごとくぴょんぴょんと渡って学習机の前まで来た。


 クロッキー帳に描かれているのは、悟朗の発明品のラフ画である。完成品のイメージ図もあった。ぱっと思いついたものを、忘れてしまう前に鉛筆で描いている。


「ねえ、悟朗さん」


 早苗はクロッキー帳のページをめくり、まだ何も描かれていない白紙のページを開く。そして、クロッキー帳を持ち上げて「あたしを描いて」と差し出してきた。


「早苗を描くんなら、今日ではなく、もっと上等な紙を用意してか」

「いま描いてほしいなーん。今日って日は、もう二度と来ないらしいじゃんかあ」

「それは、まあ……」


 言い返せないので、しぶしぶ受け取った。

 いつか、今日という日を懐かしむ時が来るのやもしれない。


 悟朗はイスに腰掛けて、鉛筆を握る。モデルからは「かわいく描いてねっ」と注文が入った。


「ポーズは、どうしよっかなあ。何がいちばんかわいく見える?」


 ピースしたり、首を傾げてみたり、腕を組んでみたり。


「早苗が楽な体勢でいい」

「えー……なら、座っちゃお」

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