後ろポケットのお礼

芳岡 海

後ろのポケット

 まずロン毛の男が嫌い。

 あと声の大きい男。

 声がデカいとだいたい態度もデカい。偉そうってほどじゃなくても、どこでもすぐに自分の話がみんなに伝わると思っているような態度。

 声と態度がデカい上に背までデカいと最悪。

 背が高い人がいいってみんな言うけど、自分より少し高ければ平均以上とか以下とか関係ないじゃん。ヒール履いて追い越さないくらいならいいよ。


 いや、もう異性のタイプとかじゃない。人として。身長が平均以上の人間は、相手より自分の目線が上にあることに慣れてる。だから自然と話し方とか振る舞いにも、目線が上なことが染みついていると思う。絶対。


 ロン毛は関係ないんじゃない?

 話を聞く友人がそう口を挟む。この悲痛な嘆きをおもしろがっている。


 関係あるの。声も態度も身長もデカい上に、さらにロン毛で自分の表面積を増やすなって思うわけ。少しは控えめに存在していてほしい。


 怜奈がそこまで言うと友人はこらえきれず笑い出した。理不尽すぎる、と笑いながら言う。精一杯論理的に説明したつもりだったんだけど。バイトの先輩が、怜奈の好きになれない要素を兼ね備えてるって。


 今日もシフトは「笠原/通し」とある。

 先輩、笠原さんの顔と声が思い浮かぶ。このアルバイト先ではかなり歴が長い人だから、頼りになるのは確かだけど。


 映画が好きだからせっかくならと、大学生になって怜奈は近くのコンビニとかではなく、レンタルビデオ店のアルバイトを選んだ。

 一応チェーン店ではあるけど小さな規模のところで、場末一歩手前のローカルな店舗の通用口は小学校のときに行った市民センターの匂いがした。社員さんよりも、笠原さんのような歴の長いアルバイトが回すことでもっているような店だった。


「怜奈ちゃんかー」

 笠原さんは最初から距離ゼロで話しかけてきた。男女の距離じゃない。先輩後輩としての距離感があるでしょ。

「十八歳? 若いねー」

 新人の怜奈を見て笠原さんはそんなことを言う。口調は軽くて、怜奈に向かって言っているのか独り言なのか、横にいた別の先輩に言ったのかもわからなかった。

 従業員制服の紺色のシャツに、下は太いジーパン姿。身長差は二十センチ以上あった。ボブカットの怜奈よりも長い髪にはゆるいパーマがかかり、それを束ねていたからきりっとした眉がよく見えた。ニカッと大きな口が動いて喋る。イケメンというか、顔のパーツの主張が強い。目が合うと光を放つように笑う。でか、と怜奈は思った。


 デカい先輩はひとまず置いておく。

 働いてみてわかったのは、好きな映画のタイトルがどんなに楽しげに並んでいても、仕事中の頭だと楽しめないということだった。ただ順番通りに収めたり仕分ける文字列にしか見えなくなってしまう。

 そういうときに業務のことを話しかけられるならすぐに返せる。

 でも、返却ディスクをせっせと棚に戻す最中に「ねえ怜奈ちゃん、このキャッチコピーやばくない?」とか、人の波がすっと引いたタイミングのレジで「スターウォーズで一番観てない話ってやっぱ帝国の逆襲だよね?」なんて話しかけられても、咄嗟に返せない。

 それでテンパる怜奈に、高い身長の高い目線から「慌てなくていいよー」なんて笑って言われるのは、納得がいかないのだ。誰もが自分と同じペースで生きてると思わないでほしい。


 二、三カ月経つとわかってきた。

 気圧されたら負けだ。

 ということで同じ声量で返すことにした。ペースについていけなくても、せめて声量だけは負けないで堂々と、「なんの話ですか?」とか「今それどころじゃないんですけど」とか言い返すことにした。

 仕事中に雑談をしてくる相手にこちらが申し訳なく思う必要はそもそもないのだけど、怜奈がそういうことを言っても、笠原さんは全然気を悪くしないようだった。そのうちに、わかっていてわざと話しかけているようなときもあった。怜奈ちゃんちょっと、と、さも業務連絡に聞こえる口調で呼んでおいて、「見てこのレシート。キリ番」とか言ってくる。

「仕事中ですよ?」

 怜奈が返すと、先輩はよく通る声をあげて笑う。


 笠原さんの声はよく通る。出勤してみると、声か動きのどっちかで笠原さんがフロアにいることはすぐにわかる。よく通る声だから声が大きくなって体格も大きくなったのか、体格が大きいから声も大きくなりよく通るようになったのか、それはどっちでもいいし、きっとどっちでもある。相乗効果だ。それにしても業務中の従業員が店内でバカ笑いなんてしていいの?


 まあ映画の話ができるのは良かったけど。

 と、ちょっとは思った。思ったけど、俳優の加瀬亮が好きだと言ったら「アウトレイジの加瀬亮の死に方やばいよね」なんて返すから思いっきりドン引きの顔だけして無視した。正確に言えば「加瀬亮演ずるインテリヤクザの死に方」です。役者本人を死なせないでください。

 先輩はやっぱり笑っている。和物ホラーが苦手って言ってたしいつか縛り付けて呪怨とか観させたい。


「あの、ちょっと」

 店内で声をかけられて振り向くと、おばあさんのお客さん。

 サブスク全盛期の今の時代、こういう地域密着ローカルな雰囲気のレンタルビデオ屋に来るのは、むしろおじいさんおばあさんが多かったりする。それと小さい子供の親子連れ客がディズニーやジブリ映画を借りに来る。

「名前がねえ、思い出せなくって。あなたわかるかしら」

 ベージュのカーディガンを羽織った女性は、荷物で不格好な形になったエコバックを手に提げ、思い出せない映画の説明をしてくれる。「女の子二人が海外旅行に行って事件に巻き込まれて」「ちゃんと裁判してもらえなくて、弁護士のお父さんが奮闘する話で」「お父さんは弁護士じゃなくてもしかしたらパイロットだったかも」

 うーん、ごめんなさい。怜奈は一緒になって首を傾げる。

「いつ頃の映画ですか?」

「新しくはないんだけど、二十年くらい前にテレビでやってたのよ」

 に、二十年!

 さらにいろいろ訊ねたいのだけど、そこから派生したおばあさんの雑談が混じるからなかなか進まない。ご飯のときにテレビつける派かつけない派かは、今はどっちでもいいんですけど。


 まず洋画ですか、邦画ですか? と聞こうとしたところで、

「大丈夫?」

 と後ろから話しかけられた。

 積み上げた返却ディスクを両手で抱えた笠原さんがこちらを見ていた。崩れると惨事になるから本当はカゴに入れて運ぶのだけど、逆にめんどうだからって笠原さんはやらない。今日も髪を一つに束ね、従業員制服の下は太いジーパンで、こうして見るといかにも最近の若者って感じ。

 あら、と女性客の方が答える。あどうも、と笠原さんも答える。この人の口調は同僚でも後輩でもお客さん相手でも変わらない。怜奈から受け取る形で笠原さんは女性の話を聞き始めた。知り合いなのかと思ったら、前にも店内で案内をしたことがあるということのようだった。助けてもらったような、顧客を奪われたような気分で怜奈は二人から離れる。

 ただ笠原さんの声でなんとなく会話は聞こえる。「あー、はいはいはい」「なるほどねえ」なんて棚の向こうで言っているけど、わかってないで調子良く答えているだけにも聞こえて心配。


 店内で映画のタイトルやその場所を聞かれることは、たまにあった。年配客ほどよく聞きに来る。

 大抵は主演俳優の名前やタイトルのキーワードから端末で検索したり、それらしいジャンルの棚を探すだけでも棚を見慣れた店員であれば見つけられる。映画の知識を駆使して、客の求めるタイトルをズバリ当てるようなマニアックな芸当は必要ない。


「さっきありがとうございました。解決しました?」

 終わったらしいのに気づいて怜奈が話しかけると、笠原さんは一瞬何のことだったか思い出す表情をした後に「あー、全然いいよ」と言った。さっきの続きで重ねたディスクを両手で抱えていた。

「関係なさそうなのも入れて、三枚DVD借りてったよ」

「探してた映画、ちゃんと見つけたんですね。私全然わからなかったです」

「いや、俺も結局わかんなかったけどね」

 先輩はまたニカッと笑ってみせた。

「え、わかんないまま何とかなったんですか」

「向こうもだいぶうろ覚えだったみたいで、俺と話して棚見てるうちに『こっちもいいわねえ』みたいになってたから、他のもんおすすめしといた」

「うわ商売上手」

「それなんか人聞き悪くない?」

 そう言って声をあげて笑うから、よく通る声がまたフロアに響く。おばあさんにもこの音量で話していたのならビビられなかったんだろうか。

「あとねえ」

 両手がふさがったままの笠原さんが、怜奈に向かっていたずらっぽい顔で笑った。

「見て、俺のジーパンの後ろのポケット」

 言われて見ると、笠原さんの太いジーパンの後ろポケットに、ぎゅっとお菓子が入れられていた。ビスケットとのど飴、個包装の和菓子の栗まんじゅうみたいなやつが二つ。何してるんですか、と呆れた笑いがもれる。

「おばあさんに感謝されて、買い物袋から出してくれてさ、俺は両手がふさがってるからいいですよって遠慮しようとしたら、ここに詰め込んでくれた」

 困ったような嬉しいような照れくさいような顔で、笠原さんはまゆ尻をちょっと下げて笑った。きりっとしていたまゆ毛と目元が、少しだけくしゃっと崩れて見えた。その顔は、男子、というかおばあちゃんと喋る男の子の顔に見えた。あ、もしかして、と怜奈は思う。

「笠原さんって、お年寄りと子供にだけモテるタイプじゃないですか」

「だけ、はないでしょー。だけ、は。同年代にもモテますよ。たぶん。一応」

 口をとがらせてそう言って、また笑う。

 たぶんおばあさんにも他のどのお客さんにも、いつもこの音量で話せるんだろう。逆にこの人の声が急に小さくて元気がなくなっていたら、そっちの方が嫌だな。

「でも俺、確かにおばあちゃんっ子だったなー」

 首をひねって後ろポケットを見下ろしながら笠原さんが言った。その顔を見上げたら目が合った。

「これさあ、しゃがんだら潰しちゃいそうだから出してくんない? バックヤードの俺の荷物んとこ置いといてよ」

「いいですよ」

 硬いジーパンのポケットにぎゅっと入ったビスケットとのど飴と栗まんじゅうを取り出す。

 大の大人の男のポケットの中に、小さくぎゅっとお菓子が詰められている光景がなんとも可笑しかった。二人で笑い合ったけど、たぶん先輩の方は栗まんじゅうが潰れていないかどうか、なんてことを考えていたんだろう。

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