第29話 モンテドーロの黄昏

 赤いりんごが太陽に照らされて、さらなる紅を纏う。

 血の通っていないはずの無機物に、今だけは血管のようなものが浮かび上がっているように見えた。

 改めて、彼の視線に合わせて血色の光球を見つめてみる。

 禍々しい。だが、どこか言葉に表せない美しさを孕んでいるように思えた。

 多分それは、人間がどれ程恋い焦がれても辿り着けない芸術の境地。

 怒りと恨みと欲望と羨望とひとつまみの慈愛をミキサーにかけたかのようだ。今だけなら、超越者の遺産がどうしてかくも人を狂わせるか分かるような気がする。

 正直、こんなものと出会わない方が人生は幸せだろう。


「素晴らしい……。これ程までに清純な、ラクリモサの断片が存在しているとは」

「おい。お前、突然やってきて何が目的だ?こっちは、あそこでぶっ倒れてるバカが引き連れてきたアホ共の対応で一杯一杯なんだよ。それとも、結局お前もあっち側なのか?」


 ヴィオラは腕を組みながら、見るからにイラついた様子でマグリットに声をかけた。

 マーキュリー、アレキサンドライト、等活、イブリース……その他全てが、突如として現れた潮騒の大司祭を前に凍りついている。

 呼吸と、鼓動と、波の音。

 得体の知れない男はヴィオラへ一瞥もせず、魅入られたように立ち止まっていた。


「なんだ。結局、モンテドーロの裏切り者とナラゴニアが手ェ組んでたってことか?それなら、あのマゾヒストはお前の部下か何かか?」

「ちょっと!イブはそんな、ニュルニュルしてないでしょ!」

「ニュルニュル?」


 意味がわからない。

 わからない、が、イブリースを理解できないのはいつものことだ。


「ヴィオラさん。恐らく、彼らの様子を見るに……」


 マーキュリーがヴィオラの前に進み出てマグリットに銃を突きつける。

 ただ、トリガーにかけられた指には殆ど力が入っていなかった。


「ほう……あなたが、マーキュリー=ヴァレンティヌスさんですね。お伺いした通り、実に聡明で美しい」

「……」

「推測通りです。私は、彼らに与する者ではありませんよ」

「証拠はありますか」


 落ち着いた声だ。

 それ以上に、冷酷な色を纏ってはいるが。


「私が示す必要はないでしょう。あらゆる物証、あらゆる生命体を納得させるだけのものを示すのは、彼です」

「彼……?」


 マグリットは振り返り。常に微笑を湛えている長髪の男に向き直った。

 シルクハットの後頭部の隙間からヘタが微かに見える。

 やはりと言うべきか、等活は余裕とも形容すべき表情を浮かべながら、気絶した青年の傍に立っている。


「再びお会いしましたね、等活殿」

「ええ、ええ。我々はこの再会を喜ぶべきですな」

「ご冗談を。あなたが真に歓喜しているのは、私のような取るに足らない求道者との再会ではないでしょう。それよりもずっと、喜ばしいことがあるはずです」

「ははは。まさか、そのようなことが」


 心底、笑みの似合う男だ。

 誰よりも不吉な雰囲気を纏っている割に、不思議なものである。


「見目麗しい青年が、欲に溺れて失墜して行く。成る程、それは確かに高尚な眺めだったことでしょう」

「……」

「マグリット?お前、何を言ってる?」

「ヴィオラさん。いや、あなただけではありませんね。あらゆる人々が、誤解をしています。あなたは彼を、どのような人物だと認識していますか?」


 真っ赤なりんごが少し傾き、甘い香りがより強くなった。


「あ?そりゃあ、ペリドットの顧問官で、見るからに怪しいクソ男で……あと、確か西南の大公国出身なんだったか?まぁ深くは知らねぇよ。マーキュリーとサリナが世話になったらしいが、私は初対面だしな」

「ふむ。大層な経歴ですね。顧問官という位置を選ぶとは……確かに、傀儡とするには都合が良いかもしれません。そこまで肩入れするとは、どれ程彼の危うさに惚れ込んだのですか?」

「何を仰る。下名は、少しばかりの弁えを理解しているだけのしがない官僚に過ぎませぬ。であれば、主君の望みを叶えようと舵取りのお手伝いをすることは当然極まりないことでありましょう」


 事情を理解していないヴィオラでも、鼻をつく怪しさ故に段々と薄皮一枚向こう側の彼を感じ取り始める。

 アレキサンドライトに対して強気で出られるような人間が、単なる官僚であるものか。


「まさか……」


 顎に手を当てながら、マーキュリーは顔を上げた。


「等活がペリドットと手を組んでいたのはブラフ、ということですか?つまり、彼は……」

「お、おい!それはどういう意味だ!」


 悲鳴にも似た声。

 美しい翠眼をした、青年の怒声だった。


「ブラフ?何を言ってる!こいつをモンテドーロに詔勅したのは、この俺だ!俺が、この俺が、直に会って選び出したんだぞ!」

「……」


 大男は変わらず、ペリドットを見ながら微笑みを浮かべている。

 微笑し、冷笑し、歓笑し、譏笑しているのだ。

 瞬きの内に、その柔和な表情が、事実なんの感情も伴っていない、純粋な嘲りに過ぎないのだと教えてくれた。


「なぜ、笑っている?」

「……」


 男は口を開こうとしなかった。


「ラクリモサの遺産は、今もなお嶄然たる影響を与えている……かつて、異なる次元の狭間より降臨した監督者は、手のひらの上にある世界を憐れんだといいます。そして、世界の存続を願うが為に監督者は地に堕ち、僭主の到来と干渉を瓦解すべく陶片オストラコンを放られた」

「オストラコン?」

「皆様は、オストラコンという組織をご存知ですか?」

「知らねぇ」

「ならば、良い機会です。あなた方がセフィロトの威光の下で歩む旅路において、彼らの存在はきっと大きなものになるでしょう」


 ヴィオラは、ふと等活を見てから再びマグリットに眼を遣った。


「どうしてそこまでして私たちに肩入れする?お前は敵だろうが」

「仰る通り。我々黄昏の民は、あなた方のような殊俗の民とはきっと相容れない。しかし、時が来るまでは手を取り合うことができるでしょう。特に、あの二人が自ら舞台に上がってくるというのなら」

「二人……」


 ペリドット……はあの様子だと、その二人に含まれていないのだろう。

 オーラムもまたどうやらあちら側のようだが、考えにくい。

 仮に彼の言葉が真実だとすれば該当者は。


「もういいんじゃない、等活ちゃん?予定ではもっと前に切り捨てるつもりだったんでしょ、彼のこと」

「ははは。滅多なことを言うものではありませんよ、イブリース殿。切り捨てるなどと、まるで下名がペリドット殿を玩具扱いしているかのようだ」

「え、違うの?もう少しだけ見守っていたいとか言ってなかった?あなたの見守るってそういうことでしょ?イブに負けず劣らずの変態なんだから」


 淡々とした会話。

 しかしその内容は悍ましい。

 あまりにもあっさりとしたカミングアウトに、ヴィオラは思わず声が出なくなる。


「……つまり、マグリットさん。あなたが仰りたいのは」


 アレキサンドライトがマーキュリーの手を振り解き進み出た。


「オストラコンという組織に属する等活とイブリースが、このモンテドーロに介入する手立てとしてペリドットさんを利用し、地下に眠る“紅き血潮の天輪アクワルタ・クワルナフ”の覚醒を画策した、と。そういうことですか?」

「概ねその通りです。取り立てて修正すべき点はございません。推し量るに、彼は実に御し易く、担ぎ易い神輿であったことでしょう。もう1人の金眼の彼女に関しては……ええ、他にも事情があるようですが」

「他の事情……?」

「あ、ありえない!ありえないだろうが!!!」


 勢い良くペリドットは立ち上がり、等活の襟元を掴んだ。

 綺麗に整えられていたはずのオールバックは既に乱れ、耳元のピアスは千切れている。


「俺は、コイツをラグナルの社交場でスカウトしたんだ!名前も言えるぞ、自ら出向いたんだからな!大公国の政界から追われ、行き場を失っていた有能な官僚を掬い上げたんだ!これは、俺の功績だ!」


 必死さのあまり、彼に対して向けられる視線には、最早怨恨も憤怒も籠もっていなかった。

 単なる憐憫の情だけが、バケツをひっくり返したように浴びせかけられる。

 それはただ、氷水のように冷たい。


「それに、イブリースと手を組んだのも俺だ!スラムで燻っていたオーラムを引き摺り出して加担させたのも、オーラムの弱みを探し出したのも、全て俺が指示したことだ!俺の功績なんだ!そうだろう!?」

「……」

「何故、何故黙っている!あの気持ち悪いりんご頭の言葉を否定しろ!」

「事実ですよ」

「は?」

「事実と申し上げているのです、ペリドット閣下」

「い、いつからだ」

「最初からです」

「モンテドーロの庶民共を幾らか犠牲にすれば、大国の狭間で常に危機に晒されてきたこの都市に、永遠の安定を齎せるという話は?この俺に相応しい天輪を戴冠することで、器の小さいボスを引き摺り下ろし、オーラムの称号とボスの座を手に入れるという計画は!?」


 彼の頬を血が伝って落ちていき、床に鮮血の池が形成されていく。

 一際大きく、天輪の鼓動が鳴った気がした。


「ええ、ええ。下名は嘘など申し上げておりませぬ。全ての言葉は、真実に基づきますゆえ。ただ、少しばかり御身には誤解があるようだ……」


 等活は優しく、襟元の手を払って青年の両肩を叩いた。

 穏やかな顔だ。


「誰が、あなた様に戴冠の権利を差し上げると申したのですか?下名は少なくとも、あの天輪は誰かに服属することで真の力を発揮するのであり、戴冠することさえできればどんなことでも可能になると事実を述べただけですよ。あぁ、確かに下名はあなたの計画に賛同しましたね。失礼致しました」

「……」

「しかし、やはりその思い上がりは甚だしい勘違いでしょう。仮にあなた様が一角の人物であろうとも、身の程を弁えておかねば、仮にボスの座を手にしても都市全体を御しきれますまい」

「き、詭弁だ!」

「詭弁?何を仰るかと思えば!しかし、そのような愚かさもまた、下名があなたを見かねた理由。あなたは実に聡明で、若く、行動力がある。しかし、何よりも内なるコンプレックスが、あなたの未来を見据えるのに適した眼を曇らせているのです。下名が最期に、その曇りを晴らして差し上げましょう」

「お前……」

「ペ、リリリ、ット、トトッ」


 鈴虫のように麗らかな声。

 緊張した空気には似合わぬ腑抜けた音が、向こう側から響いてくる。


「あ、あれは……」


 驚きのあまり呼吸を忘れるペリドット。

 見開いた瞳孔に、否が応でもリリリと鳴る何かが飛び込んでくる。

 今すぐにでも背けたい。

 背けるべきだ。

 しかし、それはできなかった。


「アルバーノ、カリスト、ベアトリーチェ、ベニート、セレーナ、ピエトロ、あ、あ、あ、あっ」


 彼は上の空で名前を呼ぶ。

 視線の先に、およそ人と呼べる生命体は存在しなかった。

 巨大な肉塊のようなものが、のたうち回るように転がっている。

 無数の口、無数の手足、無数の眼。

 あらゆる口は非人間的な様子で思い思いの言葉を口にし、ただ鈴虫の大合唱のように輪唱していた。


「素晴らしいでしょう?あれこそ、下名の芸術の一端です」

「芸術……まさか、あのキメラは」

「ええ、それも同じく。素材も同じですよ。あなた方が金鉱内で出会った個体は、ただの残り滓に過ぎません。本命はあちらですから」

「黒い靄も、あなたの仕業ですか?」

「靄?あぁ、それも下名の使い魔ですね。可愛い獄卒でしょう?少しばかり、食欲が旺盛ですがね」

「あなたは、何者……」


 痩せぎすな大男。

 両手を袖に通して恭しく頭を下げる様子は当に、しつけの行き届いた官僚のようだったが、その中身は血と死に満ち満ちている。


「そうですね。確かに、しっかりと自ら名乗り出たことがありませんでした。これはあまりにも失礼というもの、下名の不手際をお許しください。名を等活、ペリドット閣下の顧問官にして、オストラコンに所属するオルガンの1人でございます」

「オルガン……お前も、アテュを持っているのか」

「ええ。尤も、そこの少女に比べれば貧弱甚だしいものですが」


 彼は、視線でイブリースを指し示した。

 彼女はどこか得意げな様子で笑っている。


「黙れ!黙れ黙れ黙れ!俺の大事な親衛隊をよくも!」

「おっと」


 ペリドットが慣れない様子で振り上げたサーベルを避け、等活は和やかに諌める。


「いけません、いけませんよ、そんなことをしては……」

「リ、ぺぺッ、リリッ」

「えっ?」


 彼は振り向く。

 そこには、勢いよく跳躍した肉塊が涙を流しながら腕を伸ばしていた。


「う、わああああッ」


 誰も、反応できなかった。

 意識が散漫になっていたのもあるが、それ以上にスピードが速かったのだ。


「ペリドットさん!」

「ボス、行ってはなりません!」


 クリスタルに腕を掴まれて、アレキサンドライトは振り向く。

 彼女の眼にはもしかすると、既に彼が無力で対抗する術を知らない哀れないち市民に見えていたのかもしれない。


「この子は、下名を守るようにできているのですよ。どうやら彼らは心が痛むあまり泣いてしまっているようですが……」

「つ、潰れる……助けろっ、助けてくれっ!」

「さて、それは我々の預かり知るところでは」

「もう、充分じゃないっすか」


 瞬間、ペリドットの悲鳴が消え、肉塊の動きが止まる。

 見れば、再び気絶した彼がオーラムの腕の中に移動していた。


「ふむ」

「アタシがあなたに協力してるのは、利用された彼を虐める為じゃないっすよ」

「いいでしょう。確かにオーラム殿の仰る通りだ。彼との関係と違って、あなたと下名の関係性は互いに利益のあるものでなければなりませんから」

「あなたは……」


 脇を通って等活の方へ近づく彼女に対し、アレキサンドライトは声を上げる。


「あなたは、どうしてこんな人間と協力を!?この10年で、あなたはそこまで落ちてしまったのですか!」

「……」

「どうして、どうして何も答えてくれないんですか……」

「答える必要がないからっすよ。アタシとあなたの答弁に、最早意味なんてないんす」

「あなたは……」


 歯軋り。

 困惑、後悔、失望。


「そんなに、この都市を嫌いになってしまったんですか?」


 それは、彼女が常日頃抱いてきた疑問だった。


「そうっすよ。アタシは、この都市が、このモンテドーロという黄金郷が大嫌いっす」

「……」

「でも、彼のことは返してあげるっすよ」


 オーラムは、抱き抱えたペリドットをマーキュリーに預け、そのまま離れる。


「どちらにせよ、この都市はもう終わりっす」

「終わり?」

「アハッ♡そうそう、本当に彼って狂ってるよね〜!」


 太陽が揺れ、空気が光り輝いた。


「まぁ、等活ちゃんがこの都市の担当になったことを恨んで?それこそ、彼を選んだのはヴィオラお姉ちゃんの大好きなあの人なんだから」

「は?」

「ははは。まぁ、折角ですから。皆さんには、下名が彩る群像劇のフィナーレを、特等席でご覧いただきましょう!」


 彼の人差し指の先が光り、その動きに合わせて緻密な方陣が形成された。

 熱波が吹きすさび、巻き上げられた細い塵が視界を急速に悪化させた。

 光輪の胎動が、眼に見えて大ぶりになる……それはまるで、臨月前の受精卵のようだ。


「何かがおかしいです。皆さん、身共の後ろに隠れてください。耐えるのは得意なので」

「マグリット!何か知ってることがあるなら全部話せ!」

「私が知ることなど、そう多くはありませんよ。理解とは、時に不可逆的な汚染を引き起こすものですから。皆さんはしかとその眼に焼き付けるべきでしょう。四獣にも比肩する強大な存在が、今にも産み落とされようとしているのですよ」


 マグリットは、その両手に持つ何かから潮水を垂らしながら、溢れ出す真紅の粒が周囲を飲み込んでいくのを見つめていた。

 天輪の胎動はドーム全体にも影響を与え、次々と岩や砂が降り注ぐ。

 立っていることすらままならなくなる程の振動は、ただ穴の底の何かが浮上するのに従って強まっていた。


「チッ……それなら私が……」


 一か八か、ヴィオラの能力で剣を飛ばすことができれば。

 少しずつ、見えざる刃の輪郭が形成されていく。

 しかし、集中力を掻き乱すように発せられる音波が、堪え難い嘔吐感でもって彼女の能力を阻害していた。

 

「ペリドット閣下……あなた様は確かに、“紅き血潮の天輪アクワルタ・クワルナフ”の覚醒に関して多大なる貢献を果たしました。しかし、下名が改めて指摘するまでもなく、あなた様の作戦には極めて致命的な綻びがあったのです」

「……」

「それは、あなた様がこの天輪を戴冠するという物語のフィナーレ。残念ながら、御身はこの光輪を手にするだけの器ではなかったのです。仮に戴冠が成功していようとも、瞬く間にあなた様は四散し、行き場のなくなった純粋なエネルギーがこの都市を更地に変えていたことでしょう」


 彼の指先が、ペンタグラムの最後の一線を描いた。

 頭上に巨大な影が差す……それは、親衛隊たちの成れ果ての影だった。


「リ、ドッ、ぺ」

「ならばこの等活が!あなた様の完璧な計画の綻びを修正して差し上げましょう!それこそが、あなた様の忠臣として果たすべき最後の役目!」

「クソが、何が忠臣だよ。思ってもねぇことを、あたかも本心かのように言いやがって……」

「間に合いそうにありませんか、ヴィオラさん」

「無理だ。私の練度が足りない上に、紅い光の悪影響が大き過ぎる。脳内リソースが追いつかねぇ」


 等活の演説が、朗々と鳴り響く。

 彼が演出する喜劇の大詰めが、今にも幕を開けようとしていた。


「さぁ、愛しき肉霊よ!尊き血潮を取り込み、我が力となるのです!」


 血管のように張り巡らされた糸が切れ、巣から浮上した光球が水平線を越える。

 そして五芒星に導かれた肉塊は、光差す橋の上を伝って天輪の表層に接触し——


「いや」


 降砂と紅光の狭間から、眩いばかりの黄金が差し込んだ。

 この輝きを追い求めて、あらゆる人々が欲に身を落としたのだ。


「モンテドーロのものはモンテドーロのもの。部外者に奪わせる気はさらさらないっすよ」


 一瞬。それは、瞬き1つ許されない刹那の出来事。

 視界の劣悪さが、威光に晒されて治まる。

 天球に衝突していたはずの成れ果ては、薄皮一枚の黄金によって辛くも阻まれていた。

 まだ、戴冠式は終わっていない。

 この喜劇のクライマックスを飾る光輪の戴冠は、まだ終わっていなかった。


「やっぱり、契約ってのはウィンウィンじゃないと。次は、アタシが利益を得る番っすよ」

「何……?」

「それに、アタシのような悪役が居てこそ、演目のラストは盛り上がるものっすよね?」

「あ……」


 黄金の階段を登り、オーラムは眼と鼻の先の“|紅き血潮の天輪(アクワルタ・クワルナフ)”に手を伸ばした。


「ダメ!」


 アレキサンドライトの金切り声が響く。

 どうしてダメなのか、彼女に説明することなんてできない。

 ただ、直感が、本能が、その行為は禁忌に触れていると鐘を鳴らしていた。


「アウレリアちゃん、それは——」


 静止を、優しく振り解くように。

 彼女は一度こちらを振り向いてから、等活の魔手がオーラムの肩に届く寸前で天輪に触れた。

 視界を強烈な光が焼き付くし、荒れ狂う風と礫が容赦なく柔らかな肌を切り刻む。

 かくして、虎視眈々と気を伺っていた気高きハイエナにより、肉食獣の餌は見事に奪われた。

 そしてその事実こそが、モンテドーロが終焉に近づいたことを意味している。

 突如として重力を奪われたかのような、制御の効かない浮遊感の中をヴィオラは漂い、ただ微かな後悔の中で抗い難い微睡みに身を委ねていた。

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